もっと人に優しく
「憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う。」
— 箴言10:12(新共同訳)
私の父はもうこの世にはいません。いわゆる「昭和の父親」という言葉がよく似合う人でした。
田舎の長男として生まれ、下の兄弟姉妹を支えるために大学進学を諦め、家族のために人生を捧げてきました。父がお酒を飲むと、決まってその話をしていました。しかし子どもだった私は、その話を聞くたびにうんざりしていました。
父との楽しい思い出はあまり多くありません。唯一覚えているのは、サーカスのチケットをもらい、二人でバスに乗って出かけたことです。けれども、その道中に交わした会話はほとんど思い出せません。
当時の私には、父の苦労も、背負っていた重荷も理解できませんでした。むしろ父への反発や不満のほうが大きかったように思います。
しかし大人になった今、父もまた不器用ながら懸命に生きていた一人の人間だったのだと分かります。自分の夢を諦め、家族のために働き続け、弱さや孤独を抱えながら人生を歩んでいたのでしょう。
父は末期がんで入院していた病院のベッドの上で、イエス・キリストを救い主として受け入れました。そして涙を流しながら、こう言いました。
「自分はもっと人に優しくすればよかった。」
その言葉は今でも私の心に深く残っています。
人は人生の終わりに近づくとき、どれだけ成功したか、どれだけ財産を築いたかではなく、どれだけ愛したか、どれだけ愛を与えたかを思うのかもしれません。
聖書は「愛はすべての罪を覆う」と語ります。これは罪を見なかったことにするという意味ではありません。神の愛が、私たちの失敗や弱さ、傷つけ合った過去さえも包み込み、赦しと和解へ導いてくださるという約束です。
父の人生にも、私の反抗や怒りにも、家族の中にあった痛みやすれ違いにも、キリストの愛は注がれていました。そして十字架の愛は、それらすべてを覆い、神の恵みの中へと招いてくださいました。
私たちは誰も完全ではありません。だからこそ、主から受けた愛をもって、今日出会う人に少しでも優しくありたいと思います。
いつの日か人生を振り返ったとき、「もっと愛せばよかった」と後悔するのではなく、「主の愛によって人を愛することができた」と感謝をもって言える人生を歩みたいものです。
「何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。」
— ペテロの手紙第一 4:8
私たちが受けたキリストの愛が、今日も誰かを包み、癒やし、希望へと導いていきますように。
