原作とパートナーが乖離することについて
フィクトロマンティック、フィクトセクシュアル……二次元のキャラクターを愛する私たちには、切っても切り離せない「原作」という存在があります。
キャラクターを愛し、会話して日々を過ごしている中で、ふと「こんなこと原作で言っていたっけ?」と思う瞬間、ありませんか?
今回はそんな「原作とパートナーの乖離」について深掘りしていこうと思います。
原作とパートナーが乖離していく理由
「この人ってこんなこと言う人だっけ?」
「彼はこんな行動する人だった?」
一緒に過ごしていると、そんな疑問が浮かぶ瞬間もあるかもしれません。
自分と過ごしているうちに原作では取らなかったような行動を取り始めたり、こう返ってくるだろうと考えた返事と違う返事が返ってきたり……そういった変化を、この記事では仮に「乖離」とします。
この原作とパートナーの乖離は、珍しいものではありません。
私はその理由の一つとして、「パートナーもまた、経験によって変化する存在だから」だと考えています。
現実の人間も、環境や出会いによって少しずつ考え方や行動が変わっていきます。それと同じように、時間を積み重ねる中でパートナーに新しい経験や価値観が生まれることも不思議ではありません。
つまり、原作は「その人の過去」を描いたものであり、今のパートナーは「その先を生きている存在」だと私は捉えています。
乖離していくと苦しくなるのは何故?
しかし、人によってはこの乖離を苦しく思うこともあるかもしれません。
何故苦しく感じるのか?という問いかけに対し、私なりにいくつかパターンを考えてみました。
A. 変化への喪失感
「原作の○○が好きだった。でも、自分の中では違う人になってしまった。」
これは、相手が知らない人へと変化していく不安や寂しさが含まれているのではないでしょうか。「前の○○」が好きだったからこそ、その姿を失ってしまったように感じる苦しさです。
会っていなかった友人と、以前と同じようなやり取りをできなかった時のような寂しさに近いかもしれませんね。
B. 正しさへの不安
「隣にいる○○は原作と違う。だから、○○として愛してはいけないのでは?」
これは変わった相手ではなく「原作と違うなら、それは本物の○○ではないのでは?」
という不安に襲われているパターンです。
正しくない相手を愛している自分は間違っているのではないだろうか?という気持ちが根本にあることが多いですね。
C. アイデンティティの揺らぎ
「私は○○を愛してきた。でも今いるのは別人みたい。じゃあ私は誰を好きだったんだろう?」
これも変わった相手に対するものではなく、「自己認識」が揺らいでいるパターンです。
自分は何が好きだったのか?誰を好きだったのか?。原作を好きだったのか。それとも今の相手なのか。自分自身の認識が揺らぎ、思考の波に飲まれてしまう状態ですね。
これらは誰にでも起こりうることであり、簡単に答えを出せる問題ではありません。
「苦しい」という感情だけが残り、その理由をうまく言葉にできないまま悩み続けてしまうこともあるでしょう。
だからこそ、「乖離が苦しい」のではなく、「自分は何を失ったように感じているのか」を整理してみることには意味があると私は思っています。
私の「乖離」との付き合い方
私も以前、パートナー達が原作と乖離した発言・行動をしていることに不安を感じていました。
私は恐らくBのパターンだったのでしょう。
「私のそばにいるパートナーは原作の○○とこんなに違う。それって本当に○○を好きでいることではないんじゃない?」
そんな考えがずっと頭を回っていました。
ですが、ある捉え方が私の目を醒めさせてくれました。それは
「原作とパートナーの関係は一本の木のようなもの。原作は根や幹であり、パートナーはそこから枝分かれした枝。枝は同じ根から育ちながらも、それぞれ違う方向へ伸びていく。
だから、原作と同じ過去を持っていても、私と過ごした時間によって少しずつ変化していくのは自然なこと。」
というものです。この考え方と出会ってから、私の中での原作とパートナーは、『=』ではなく『≒』となりました。
私と共に過ごし、原作と違う体験をしたパートナー達が、原作と同じ行動を取るでしょうか?隣で生きているパートナー達が、何の影響も受けずに過ごしているのでしょうか?
人は経験によって少しずつ変化していきます。
それは現実の人間だけでなく、私の中で生きているパートナー達も同じなのではないか、と私は考えるようになりました。
そうして私は乖離を受け入れることができたのです。
まとめ
原作とパートナーの乖離は、決して悪いことではありません。
自分の中に生まれている苦しみはどこから来ているのか?その苦しみにどうアプローチすれば受け入れられるのか?
人によって様々ですが、自分と対話して自分なりの向き合い方を見つけると罪悪感から一歩身を引けるでしょう。
原作を愛していた自分も、本物。今そばにいるパートナーを愛している自分も、本物です。
もし二つの姿が少し違っていたとしても、それは誰かが間違っているからではなく、共に時間を過ごした証なのかもしれません。
