年齢を重ねた自分を、受け入れて愛するということ
昔は当たり前に、無意識にできていたことが
だんだん「できないな」と感じることが増えてきました。
たとえば──
電車が来てからダッシュしても、ギリギリ間に合ったあの頃。
青信号がチカチカし始めたって、「まだ渡れる!」と駆け足で渡り切ったあの瞬間。
駅の階段を駆け降りて、駆け込み乗車していた自分。
あれもこれも、少し前までは当たり前だったのに。
今はもう、怖くてできません。
「怖い」と感じるようになった自分
膝や腰を痛めて動けなかった時期があって、
「もし転んだら…」と想像するだけでゾッとします。
若い頃なら多少の無理をしても、
しっかり寝て、身体を休めればなんとかなった。
でも今は違う。
どんな状況になるのか、想像してしまいます。
その想像が、行動を止めるようになりました。
昔のようには考えられない
思考力も、落ちてきたなと感じます。
わたしはもともと「並列処理型」で、
テレビを観ながら、父と会話しながら、
受験勉強をしていたような子どもでした。
「ちえの頭の中には、CPUが2つあるみたい」
なんて言われたことも。
でも今は、一つのことをぼーっと考えている時間が好き。
夫に話しかけられると、それまで考えていたことが
ふっとどこかに飛んでいってしまう。
自分でももどかしくて、
時には怒ったり、落ち込んだりします。
変化を受け入れながら生きる
プールも、昔は毎回2,000〜3,000m泳いでいたけれど
今は水中ウォーキングが中心。
できなくなったことが増えても、
今の自分なりに体を動かすことはできる。
夫もまた、できないことが増えて落ち込んでいた時期がありました。
でも、少しずつ、それも「今の自分」なのだと受け入れ始めているように見えます。
それでも、好奇心は残っている
ありがたいことに、まだ
「新しいことを知りたい、やってみたい」という気持ちは残っています。
もしかしたら、またがんばる時が来るかもしれない。
でも、今はがんばれないなら、それでいい。
「がんばれないときは、がんばれないままで。」
そう思えるようになった今、
バカボンのパパが言っていたあの言葉が、妙にしっくりくるのです。

執着が薄れて、心が穏やかになった
若いころは、「あの人みたいに」と誰かを羨ましく思ったり、
「どうして自分は」と焦ったり、嫉妬したり。
でも今は、同世代や年下の仲間たちが活躍している姿を
心から「よかったな」と思えるようになりました。
向上心がエネルギーだったあの頃。
その代わりに、今は穏やかで静かな喜びがあります。
できることを、味わう
若かった頃のように、がむしゃらにはできない。
だけど、今日も朝が来て
出かけたり、だらだら過ごしたりして
無事に夜を迎えられる。
それだけで、実はとても尊いことなんだと思います。
最近は、「明日が当たり前に来る」なんて保証はないと
より実感するようになりました。
身近な人が倒れたり、突然いなくなったり──
そんなことが現実として起きる年齢になってきたからかもしれません。
今日できたことを、大切に
昔できたことに執着するよりも、
今できることを、ちゃんと味わいたい。
がんばれなくても、楽しく過ごせたらそれでいい。
きっと、そんなふうに日々を重ねていくことが、
「年齢を重ねた自分を愛する」ってことなのかなと、思います。
最後に
わたしはこれからも、音楽を学び続け、舞台に立ちます。
新しいことにも挑戦するでしょう。
でも、もう無理はしません。
がんばりすぎず、でも好奇心は持ち続けて。
そんなふうに生きていけたらな、と願っています。
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