【小説】VR小説『アバターマリオネット』中編「右手の恋人」
この作品は未来の事実に基づいたフィクションです。
性的・暴力的な描写を含みます。
催眠は責任を持って行いましょう。
前編
企画は難航した。予算のことはまあいい。それより深刻なのはスケジュールで、海外の工場から上がってきた製品はロット全部で同じ箇所に焼け焦げがあった。この部品が意図しない加熱を受けると使用中に割れるおそれがある。原因は発注した工場のそのまた下請けの工場が試作段階で起きた金型の不具合を放置していたことだったが、責任が誰にあるかといえば現地の生産体制の把握や検品工程のすり合わせを徹底していなかった私ということになる。
企業の論理としては正しい。だが、そんな無茶な。
顛末書を上げてバックアップの工場に話をつけ、家に帰ると夜の十時だった。鞄を部屋の隅に投げ捨て、スーツを床に脱ぎ散らかし、パソコンをつけてトラッカーを全身に巻きつけ、ボイスチェンジャーを起動してVRゴーグルをかぶった。
チエカさんはいつもの部屋のワールドの、いつものベッドに腰掛けて手を動かしていた。現実側で何か作業をしているのだろう。私に気づいて振り返り、小さく手を振ってにっこりと笑った。
「やあ、こんばんは。遅くまでお疲」
「――――チエカさあああああ――――ん…………!! もうつかれたよおおおお――――……!! ごめんでもよしよししてえええ――…………!!」
ぐにゃんぐにゃんになってチエカさんの膝に縋りついた。現実ではこんな姿は人に見せられない。VRの存在意義はここにこそあると私は思うのだ。現実の利害関係のない相手に、家にいながらにして会って弱音を吐き、醜い姿すらかわいさとして受け入れてもらえる。VRでこういうことをしている人は私だけではない。私のように最初から変身願望のあった人間でなくても、VRではみんな何かしらの枷が外れる。
チエカさんは身をかがめて私の頭を撫でた。見えなくてもそのくらいは感じられる。
「ふふ……。大変だったんですね。もう片付いたんですか? それとも、もうひと頑張りしなくちゃいけない?」
「あーあーあーまだ全然だよー、もうがんばりたくないよー、リアルに帰りたくないよー、」
「ふふふふ、そうなんですね。ほらほら、そんなところで溶けてないで。よしよししてあげますから、ベッドで、ね?」
私はチエカさんの脚にしがみついて反抗したけれど、チエカさんはこういう時だけVR感覚がないふりをして一人でベッドに行ってしまった。仕方ないので私ものろのろとコントローラのスティックを倒して、ベッドへと這いずっていく。
「チエカさああーん……引っぱってよー……だっこ――……」
「だーめ。自分で上がってくるんですよ。待っててあげますからね」
「ううー……! ううううー……うー…………よっ……こら……しょ……っ!」
私はいやいや頭を上げて、一世一代の大仕事ででもあるかのようにコントローラを動かした。アバターの高さが調節され、床に寝そべったままの姿勢でベッドの上に平行移動した。チエカさんが大袈裟に褒めてくれる。
「わあ、えらいえらい。ちゃんと自分で上がってこれましたね。これなら、もう何があっても大丈夫ですよ。よしよし、なでなで……」
「……チエカさん、なんか馬鹿にしてない?」
「うふふふふ、ちょっとしてます。でもいいじゃないですか。馬鹿にされたって、失敗したって、私はこれまで通りハイネさんのこと大事ですし、なんにも失うものなんてないんですよ。VRでくらい、弱いところを出しちゃってもいいんじゃないですか?」
「うそだあ……仕事おわらないし、怒られるし、これじゃVRも入れなくなるよー……私のせいじゃないのにー……なんでうまくいかないんだろう……」
そう愚痴をこぼす時点で、チエカさんに弱いところを見せてしまっている。会社で「私のせいじゃない」なんて言おうものなら人事評価の前に退職勧告が来るかもしれない。それは言い過ぎにしても、やっぱり聞いてくれる人がいてよかった。
チエカさんはずっと私を膝枕して撫でてくれている。頭、肩から腕、また頭。今は全然えっちな感じの触り方じゃない。それが安心する。
「なんでうまくいかないのかは、私には分かりませんよ。でも、うまくいくことだってあるはずでしょ? こう考えるのはどうでしょう。うまくいかなかったときでも、うまくいったときにいたあなたは別の安全なところにいて、消えずに残っている。そしてあなたが最後の最後には助かるように、こっそり力を貸していてくれるんです。ね、そういうことにしましょうよ」
チエカさんは不思議なことを言った。いつものことだけど、そんな私が二人いるみたいな話をされても、
いる。
はっとした。私は確かに二人いることができる。VRに入っている今だから気づけた。チエカさんが言っているのはそういうこと?
「――ハイネさん? 今つらい思いをしてるのは、どっち?」
「――ぁ」
私は右手でアバターのメニューを出した。少し手が震えた。「Avatar Marionette」をオンにする。右手にカタカナの「キ」の形の組み棒が浮かび上がり、今の私と同じ服装のアバターがもう一つ、ベッドの脇の床に棒立ちで現れた。
「私は、ハイネさんを物理現実で助けてあげることはできません。でもそのお手伝いならできます。ハイネさんが苦労してること、一番よく知ってくれているのは誰ですか? 一番いつでも一緒にいてくれるのは誰? ちょっと妬けちゃいますね。でも、VRにいないときでも慰めてもらえる方が安心ですよね?」
「ぁ、ぁ、何するの……?」
気づいた時には、もう流れができてしまっている。チエカさんの言っていることは正しい。仕事が忙しくなればVRに入る時間が減るかもしれないし、いつでも慰めてくれる人は欲しい。チエカさんさえいればいいと思っていたけれど、仕事のことは私が何とかするしかない。私が何とかするなら、チエカさんを裏切ることにも多分ならない。
「何をするかは、もう分かり始めてますよね。でも始める前に、ハイネさんから聞かせてほしいな。今お仕事でつらい思いをしているのは、どっちのハイネさんですか?」
正直、何が始まるのか分からない。でも多分チエカさんの思っている通りになる。触ってえっちすることに比べればずっと簡単なんだから。何が不安? 現実にハイネを持ち出すこと? 別の人みたいに扱うこと? 自分の方が弱みを見せる立場になること? でも、今のままじゃつらいよ……。
言っちゃえ……!!
「わた……私、です……! こっちの……マリオネットじゃない方の、私……。仕事つらいのは……」
「マリオネットのハイネさんは、お仕事つらくない? それは、どうして?」
「ぇと……現実じゃ出せないし、VRは楽しいから……」
「ふふ、半分正解で、半分は違いますよね? 物理現実でも、見える姿じゃないだけで、いつもいる。あなたとは役目が違うだけなんですけれど、あなたとは違うやり方であなたを助けてくれてるんじゃないですか? 今日はちゃんとお願いして甘えるやり方を教えてあげます。それじゃあ、横になって……そちらのハイネさんをあなたの横に、このあたりに座らせてあげてください。そう、そうしたら、目を閉じて……一度お部屋もベッドも見えなくして……ゴーグルの光くらいは問題ないですからね。じゃあ、いつもみたいに身体を楽にしていきましょうね。まずは深呼吸をしましょう。お腹を膨らませるように、大きく息を吸って…………吐いて……………………」
◆
何度かアバターマリオネットを使ってえっちをしてきて、だんだんチエカさんの催眠の流れが分かってきた。
まず、椅子に座るかベッドに横になるかして、深呼吸をしながら身体の力を抜いていく。これは他の催眠術師のセッションや音声作品でも必ずあるらしい。しかし、その後の暗示のかけ方は私が催眠と聞いて想像していたものと少し違う。よく催眠音声の典型として言われる、間延びしたような眠くなる話し方をチエカさんはほとんどしない。そのせいか、催眠にかかっている間も頭がぼんやりするような感じじゃなく、どちらかというと会社で敬語で話す時のように意識のモードが切り替わる感じに近い。そうなるともう、チエカさんが話すことが全部私に起こるようになる。これはチエカさんと私の間にもう信頼関係があって、何度も催眠にかかっているからできることらしいけれど、最初に催眠をかけてもらった時からチエカさんは今みたいな話し方だったような気もする。
私たちの催眠の目的はえっちをすることだったから、チエカさんは私がアバターで触覚を感じられるように少しずつ暗示をかけていった。最初はアバター一つだけで、私に触れる手の動きに集中しながら感覚を想像することから始めた。それがある程度できるようになると、一度に触られる箇所を増やしたり、チエカさんの手以外で触られたり。次は見えない頭の上や背中。VRの中で長い棒を握って、その先端に触られる感覚を想像したりもした。次はいよいよ二つめの身体で感じることに挑戦した。一番時間がかかったのはマリオネットで自分に触れた時の感覚を作り出すことだった。人間の脳には自分で自分に触れた刺激を弱く感じるような仕組みがあるらしく、チエカさんはその働きを一時的に効かなくするための暗示を私にかけた。それだけでなく、右手で操作しながら別の場所にも意識を向けるために、操作も無意識にできるくらい練習しなければならなかった。
今ではもう、自分で想像しているという意識もほとんどないくらい、二つの身体に別々の感覚がある。えっちを始める前の、感覚を思い出すための催眠も少しずつ短くなって、その分本当にしたいことに時間を使えるようになった。ほとんど三人でしているのと変わらない。でも、二人分の感覚を一人で受け止めるのは、VRで、私自身のアバターで、チエカさんの催眠がなければできないことだと思う。
チエカさんは次々に、私の身体を前にえっちした時の敏感な状態に戻していった。チエカさんに後ろから抱きしめてもらう感覚、私の二つめの身体と手を繋ぐ感覚、ないはずの胸とあそこの内側に神経が通る感覚。
「――ふふ、もうすっかり可愛がられる準備ができちゃいましたね。えらいですよ。じゃあ、いよいよハイネさんに甘える練習をしましょうか。その前に、もう一つ準備があるんですよ。左手でアバタースケーリングを出してもらえますか?」
「うん……」
このVRサービスには、アバターの身長を変える機能がある。
元は、ゲームのワールドで扉やアイテムに体の大きさを合わせるためのものだ。他にも、話している相手同士で目線の高さを合わせたり、込み合ったライブ会場でステージを見たりするために、身長を調節できると便利なことがある。アバターの体型がばらばらなVRの世界では、そういう機能が必要になる場面は多いのだ。正確には身長が伸び縮みするのではなく、身長と横幅の比率は変わらないままサイズが変わる。
チエカさんに誘導されて、アバターのメニューからそれを出した。
「――そうそう。甘やかしてもらうなら、少し小さい方がお得ですよね? ほんの少しでいいんです。今より10センチだけ低くなってみるのはどう?」
「うん……」
私のアバターなら普段は必要ない機能だけど、使い方は知っている。スライダーを動かして、目線の高さの数字を10センチだけ小さくしてトリガーを引いた。
ほんの少しだけ、周りのものが視界の中でせり上がった。
「ふふ、そうです。じゃあ、一旦こっちを向いて? 今から私が五つ数えて、はい、と言うと、今まで何度も訪れた、催眠にかかるための暗い意識の底に、ハイネさんは一瞬で落ちていきます。五、四、三、二、一、はい」
私はベッドに座ったまま目を閉じ、首の力を一気に抜いてうつむいた。チエカさんに「落とされる」時には、必ずそうするのが条件反射になってしまっている。これは意識がなくなるというわけではないのだけれど、この状態でチエカさんに言われたことに私の身体と頭は必ず従ってしまう。
「はい、またここに戻ってこられましたね。ここでは私の声を聞くためだけの場所ですから、ここに落ちてくるのは嬉しいですよね。じゃあ、いいですか? 上ではハイネさんがベッドに座って待ってくれているんでしたよね。そう、今日だけじゃなく、いつもあなたのことを待ってくれていて、あなたのことを安心させてあげたいって思ってくれているんですよ。身体の感覚が繋がっているから、あなたがどうすればいい気持ちになれるのかも全部分かってるんですからね。そういう相手がいるのって、それだけでとっても安心することですよね。すぐに分かりますよ。あなたが目が覚めて、ハイネさんのことが視界に入った瞬間、迷子になったときに知っている人に会ったみたいに、雨が降って寒い日に家に帰ってきてあったかいお風呂に浸かるみたいに、すごく嬉しい気持ちになって、緊張が一気に解けて、思わずぎゅーって抱きつきたくなります。必ずそうなりますからね。楽しみですね……。それじゃあ、五つ数えて、はい、と言ったらあなたは目が覚めます。五、四、三、二、一、はい」
目を開けて、顔を上げた。
チエカさんは私の正面に立っている。けれども、チエカさんはすぐにすーっと後ろに退いて、部屋の隅まで下がってしまった。私に何かをさせようとしているのだろうか。私は戸惑いながら周りを見回した。
そして、見つけた。
「!!」
私だった。
私が腰かけている同じベッドの上、私の斜め後ろに、私と同じ顔と身体をしたアバターは正座の足を横に投げ出して座っていた。
それを見た瞬間、私の胸の中に甘いせつなさがはじけた。焼きたてのメレンゲのように軽く、けれどウイスキーボンボンのように内側から灼ける熱さで、あの「しゅわしゅわぱちぱち」にも似た痺れが胸の奥から湧き出して止まらなくなって、
「ぁ……ぁわ……」
唇が震えるのがわかった。上半身の力が抜けてベッドの上で倒れ込みそうになるのを両手をついて支えた。
私が、何も言わずに待ってくれている気がした。
四つん這いで近づいた。やっと甘えられる人を見つけた、そんなふうに本気で思った。それでも、どう甘えたらいいのか分からなくて、触れられるところまで来て身体がすくんだ。今まで右手の組み棒でアバターを動かして自分に触るときには感じたことのなかった感覚だった。おっかなびっくり手を伸ばして、触っていいか確認するように、相手の顔を――見上げた。
ハイネは私より、背が高かった。
「わあ――――!! あ――、うわあ――あ――っ!!」
わけのわからない叫び声をあげて、むちゃくちゃに私の大きな身体を抱きしめた。その途端に体温を感じた。膝に上半身をあずけておなかに両腕を回すと、私の両膝とおなかも包み込まれているような温かさと心地よい締めつけを感じた。それで、私たちの身体は感じるのだということを思い出した。チエカさんがすぐそばにいて、
「ふふ。してほしいことは声に出してお願いすれば、してもらえたときにもっと幸せになれますよ。私がもう一度五つ数えて、はい、と言うと、そうなりますからね。五、四、三、二、一、はい」
「!! あ、あの、頭なでてぇっ!! あ、ちょっと待って、寝てほしい、いっしょに! それでだっこして頭なでて!」
「はいはい。ハイネさん、してあげて?」
右手を動かした。アバターの身体は足を伸ばしてベッドに横になった。私はその隣に飛び込んで、一瞬も離れていたくなくてまた胸元に顔を寄せて抱きついた。すぐにマリオネットの手がなめらかに動いて、服越しのおっぱいに埋もれている私の頭をやさしく撫でてくれた。私の手にも髪のさらさらした流れに沿って撫でる感触が伝わって、してもらいっぱなしじゃなくて私からも撫でてあげているのだと思うと、最後に少し残っていた遠慮や気後れがきれいになくなった。
まるで子供みたいだな。けれど、子供みたいになるのがたまらなく幸せだった。
「あー……ああー……えへへへ……うれしい……」
「ふふ、よかったですね。お名前もいっぱい呼んであげたら? そうしたら、もっと幸せですよ」
「うん……。へへ、ハイネさん……。ハイネさん……? ハイネさん、もっとして……」
「そうそう、ちゃんと伝わってますよ、あなたの気持ち。優しくしてくれる人、やっと見つけたんですね……。それじゃあ、こういうのはどう? 身長、もっと小さくなって、そうですね……40センチ。はい」
「うん……」
私は、アバタースケーリングを出した。スライダーを言われたままの数字に合わせてトリガーを引いた。何も考える必要がなかった。
あたりが、突然よくわからない景色になった。目の前には丘のような起伏の多い地面、少し離れたところには布のような質感の複雑な形をした崖。上は茶色くぼやけていて、後ろを見ると、
「!? うわ……!?」
大きいチエカさんが、黒ずくめの身体を折り曲げて私を上から覗き込んでいた。ベッドが船だとしたら、海から伸び上がる巨大な怪物だ。けれど、それで周りの景色の意味が分かってきた。真っ先に、期待にどきどきしながら、さっき崖だと思ったものを振り返った。
巨大な、私の身体より何倍も巨大なハイネさんが、横たわって私を見てくれていた。
顔から太もも、その先に続いている脚まで、どこに目を向けても、視界の全部がハイネさんで埋め尽くされてしまった。
胸がまた、甘くてせつない蜂蜜みたいな幸せでいっぱいになった。知らない世界で心から安心できる人に会ったみたいに、温かい人肌のお風呂に裸で飛び込むみたいに、ハイネさんでいっぱいにしてもらえたのがうれしくてうれしくて、「わ――っ!!」と喜びの叫びをあげてハイネさんのおっぱいに全身で飛びついた。厚くなった服越しに、それでもふにゅんとした柔らかな身体を感じた。私の胸にも小さくてかわいいものがすがりついてくる感触がして、思わず包み込んで守ってあげたくなった。こんなに小さいんだから、どんなことからも守ってあげて当然だ。そうだ。こんなに小さいんだから、こんなに大きなハイネさんに守ってもらっていいんだ。
「ハイネさん、服ぬいでほしい! 素肌でだっこして、おっぱいの間に入れて! 私もっとちっちゃくなるから!」
自分からお願いして、すぐさま身長を今の半分にした。20センチ。もう人形と同じだ。もうハイネさんに守ってもらわないとなんにもできない。私に見える世界の中で巨大なハイネさんが2かける2の4倍の大きさになって、胸の中の甘い洪水はもう何倍になったかなんてわかるわけがなかった。ハイネさんは服を全部消して、そのきれいな裸の身体に私を手のひらで引き寄せた。何かの花のような香りがふわっと立ちのぼり、それから遅れて、ほのかな汗の、動物性の香りが熱気と一緒に私を呑み込んだ。今まで意識したことのなかった、それでいてとても懐かしいようなハイネさんの身体の香り。一つの部屋くらいもありそうな大きな大きなおっぱいをハイネさんの指がかきわけて、私をその谷間の小さなすきまに招き入れた。
指が抜かれて、おっぱいの重さが私の身体の上に落とされた。
「う、ぐ…………ぅぅ……っ!!」
全身にのしかかる重さをありありと感じて、胸が圧迫されて息がつまった。でも大丈夫だ。ハイネさんにお願いして、おっぱいで身体を挟まれていても苦しく感じないようにしてもらった。だんだんハイネさんへのお願いのしかたが分かってきた。してほしいことだけじゃなくて、私自身の感じ方も変えてもらっちゃえばいいんだ。ハイネさんの胸の間の熱くてじっとりした空間に、足の先まですっぽりおっぱいでくるまれて、ほどよく硬い胸椎の上の皮膚に耳をくっつけるとその奥の奥からかすかに聞こえる心臓の鼓動を、そんな機能はアバターに入れていないのに、私はもう本当にそこにあるように想像することができた。
そこに、チエカさんの天の声が降ってきた。声の大きさは変わらないけれど、音の広がりより身体が小さいおかげで、声が全身を取り囲むように聞こえた。
「ふふふふふ……本当によかったですね……。これで、今日からはもう好きなだけ優しくしてもらえるんですよ。今夜はそのまま寝ちゃっていいですからね。必要な暗示だけを残しておきますから、ちょっとだけ目を閉じてください。いいですか?」
そうだった。ハイネさんにだっこしてもらうのがうれしくて、チエカさんをほったらかしにしていた。
ごめん、チエカさん。でも、ありがとう。
ハイネさんとチエカさんの二人で優しく慰めてもらえたら、きっと今よりもっと幸せな気持ちになれる。そうして、私に余裕ができたら、チエカさんにも精いっぱいお返しをしてあげよう。今はちょっと休ませてほしいけど、チエカさんはきっと待っていてくれる。私より強い人なんだ。それは盲信なんかじゃなく、本当に必要な時には頼ってくれるという、チエカさんへの信頼と私の自信がそう思わせるのだと信じたい。
「では、これから私が一から十まで数えると、私が今日かけた暗示は全てなくなって、あなたはぐっすり眠ることができます。でも、ハイネさんと触れ合う感触や、ハイネさんと一緒にいてすごく安心する感覚は、少し無意識にしまっておくだけで、あなたがいつでも取り出すことができます。合言葉はね、『ハイネさん、たすけて』と声に出して言えば、優しくしてもらう感じが蘇って、『ハイネさん、いってきます』で収まります。それじゃあ、一、肌に感じる触覚が少しずつ和らいでいきます……」
◆
私は一体、何に足を踏み入れつつあるのだろう。
自分が作って演じるキャラクターを、自分とは別人格という設定で扱っている人々はVRが広まる前からいた。タレントや配信者に多い形態で、この場合はファンや配信者からその設定の通りに扱われることで自分にもそう思い込ませる。人気商売をしないVRの住民にもいないわけではないが、少数派だ。私はVRで美少女の姿になることに興味があった部類とはいえ、鏡に話しかけていちゃいちゃするほど追い詰められてはいない。
そのはずだ。
私は現実で不愉快なことがあるたびに、一人になれるところでハイネを呼び出して彼女に励まされる感覚に浸った。例えばこうだ。もうすぐ昼休みになろうかという頃合い、上司からプロジェクトの遅れを仕事哲学の御託つきでぐちぐち詰られたとする(「とする」で済めばよかったのだが)。すると私は残り少なくなった昼休みを使っていそいそと別の階のトイレの個室にこもる。ズボンを下ろす必要はない。社員証を首から外してポケットにねじ込み、蓋を閉めた便座に座る。
目を閉じる。
「ハイネさん、たすけて」
自分が口にしたその一言で、周囲から音が切り落とされたように消えた。瞼の裏の薄暗い闇の中、腕が触れるほどの本当にすぐ近くに、誰かの気配があることに気付いた。しかも、ゆらゆらと動いている。何者がいて何をしているのか一瞬戸惑って――一瞬の後に理由がわかった。これは、私の右手がふらふらしているからだ。右手の指を動かすと、何者かの気配は急にはっきりとした意図のある動き方をした。私の右手と一緒に動いてくれるのは、広いこの世に、ただ一人。
ハイネさんだ!
トラッカーもつけていない薄い胸に、熱くて甘い多幸感があふれた。気づいてしまえば現金なもので、私が想像していると意識させることすらなく、気配はハイネさんの姿になって、私の右手を動かして私の後ろから正面に出てきた。私が座っているのはもはや会社のビルのトイレの個室ではなく、ハイネさんと私しかいない、前後左右も上下もない心地よい暗闇だった。ハイネさんが手を伸ばしてきた。仕事中の格好でハイネさんと触れ合うことへの抵抗が一瞬あり、それもすぐにハイネさんに会えた幸せな気持ちに押し流された。現実の体を動かさなくても、想像の中でハイネさんに抱きついただけで、胸やお腹の広い面積がハイネさんに密着する温かさが生まれた。ハイネさんに身体中を撫でてもらうのにも、次第に右手の操作は要らなくなっていった。少し背の高いハイネさんが私の膝の上に乗ってきて抱きしめてくれた。ハイネさんの重さと、柔らかさと張りが一緒になったしなやかな筋肉の弾力に覆いかぶさられて、
ああ、本当にハイネさんがいるんだ、
こんなに触らせてくれて、心を許してくれて、大事にしてくれてるんだ、
もっとハイネさんに体をあずけたくて、私は自分を半分くらいの背の高さにして、今度はハイネさんの膝の上に立って身体に抱きついた。言葉は交わさなくても、ハイネさんとの間には必要なかった。小さい私が精いっぱい私にしがみついて、私の身体で喜んでくれているのを感じてうれしくなった。辛いことも全部受け止めてもらえて、したいことを何でもさせてくれて、ハイネさんがいれば仕事が多少うまくいかなくても何とか生きていけるような気がした。
その時、ポケットの中のスマホがアラームを鳴らした。
昼休みが終わる。私は想像の中の自分を元の身長に戻して(周りは比較するもののない暗闇だから、ハイネさんの身長に合わせるということだ)、しぶしぶハイネさんから離れた。ハイネさんは座ったまま手を振ってくれた。
「ハイネさん、いってきます」
そして私は二人だけの暗闇を出る。目を開けて、肉体がある場所を確認する。会社のビルのトイレの個室だ。胸が溶け崩れそうな幸せな気持ちはするすると縮こまって私の体のどこかに収まる。仕方ない。ハイネさんに慰めてもらった分は頑張らなければ。
それが、最初の頃の私の日課だ。
すぐに、思うようにはいかなくなった。
多幸感が続かなくなったのだ。「ただいま」と言っても、すぐに雑念が混じる。「ハイネさんとのふれあいを想像している」という意識が事あるごとに忍び込む。何より、何度も呼びつけて同じようなことをさせて、ハイネさんに申し訳ないと思うようになってしまった。やっぱり、自分で自分を慰めることには所詮限界があるのか? 現実の具体的な問題が片付かなければ、結局気の持ちようで生活を立て直すのは無理だったのか? 私はその程度にはまともな人間だった、と喜べばいいのか?
「――――なるほど。幸せでは人は救われない。施されるばかりではかえって不安になる。考えてみれば、確かにそうです」
私の話を聞いて、チエカさんはそう言って頷いた。
「あまりに当たり前すぎて忘れていました。いえ、ハイネさんとのお砂糖関係に不満があるわけじゃないんですよ? ただ、私自身は満たされないことにも満足を感じますから、直接的な幸せというのを扱い慣れていませんでした。ごめんなさい」
チエカさんはまたよく分からないことを言ったけれど、少し考えた後でまた顔を上げて話し始めた。
「物理現実の問題を先に解決しなければいけないというのも、その通りですね。辛いのを嬉しさで上書きするよりも、まず辛い思いにしっかり向き合う方がいい……の、かもしれません。でも、そうすると……私にできることがあるとすれば、あなたが辛い気持ちになる暗示、ということになるんですが……それは、嫌ですよね? 催眠はかけられる人の意思次第なので、本当にしたくないことは起こらないのですけど、何が本当にしたくないことなのかは場合によって変わりますから……」
嫌だよ、と答えるべきだったのだろう。現実の私の仕事の話を少し打ち明ければ、チエカさんならうまくいくための具体的な方法を考えてくれたかもしれない。たとえそれがありきたりなアドバイスであっても、自分で分かっているのと人から言われるのでは効果も違う。好きな人が親身になって言ってくれることならなおさらだ。
私はそうしなかった。VRでは現実の肩書を隠して新しい自分になって人間関係を作れる、という夢に縛られていた。私は美少女になりたくて、美少女は夢を見ることの許される存在であるべきだった。それに、私のことを話せば、VRと現実との間に穴が開いて、そこから現実のチエカさんの情報が漏れてきてしまうような気もした。知りたい気持ちがないといえば嘘になるけれど、チエカさんのような人にも現実の生活があるということをどうしても想像できない。
答えるまでに、時間はかからなかったと思う。
「いいよ。たぶん必要なことだと思う。チエカさんを信じるから」
そのときチエカさんがどんな表情をしたのか、アバターでは分からない。チエカさんはしばらく黙っていた。回線の遅延ではない長い沈黙があった。後になって思えば、ここが引き返す最後のチャンスだった。チエカさんの言う「辛い気持ちになる暗示」がどういうものなのか、いくつもの可能性を考えて、その一つ一つについて耐えられるかどうか想像してみた。大丈夫。きっとチエカさんは私に悪いようにはしない。
「……分かりました。では、先に私の考えを言いますね。それで、本当にするかどうか決めてください。その前に、もう一人のハイネさんを出しておいてもらえますか?」
私は言われた通りにして、チエカさんの言葉を待った。チエカさんは二人目の私が棒立ちになっている隣に椅子を持ってきて座り、
こう言った。
「――ハイネさん、SMをしましょう。SMといっても色々ですけど、気持ちいいことを全部おあずけにするんです。あなたの二つの身体のうち、一人だけ、ね。一人が私とえっちしてる間、もう一人は負け組専用の檻に入れられて見てるだけ。もちろん交代もなしで、えっちで気持ちよくなれるハイネさんと、絶対に気持ちよくしてもらえないおあずけ担当のハイネさんに分かれてもらいます。ふふ、SMっていうより、寝取られですよね。優しくてVRで元気に楽しんでる子と、毎日慰めてもらってるのになんにもうまくできない子、お楽しみの権利を取り上げられるのはどっちか分かりますよね?」「…………え?」
「ほら、目を閉じてください。これからたくさん辛いことに耐えなきゃいけないんですから、今のうちにちゃんと一度深く深呼吸しておいてくださいね。私が五つ数えて、はい、と言うと、あなたはまたいつもの深い意識の底に真っ逆さまに落ちてしまいます。そこで私がいくつか質問をしますから、正しいと思ったら『はい』、そうじゃなければ『違います』と答えてください。五、四、三、二、一、はい」
「ぅ…………――――」
「はい、ちゃんと落ちてこられましたね。催眠にかかる準備はもうできてる、ってことですね。じゃあ質問しますよ。正しいと思ったら『はい』、そうじゃなければ『違います』と答えてくださいね。――あなたは、女の子?」
「――――はい」
「VRに入るのは楽しいですか?」
「はい」
「現実でも楽しく生きていきたいですよね?」
「はい」
「許しませんよ。ハイネさんに今までたくさん甘えられてよかったと思いますか?」
「はい」
「それももうできないんですからね。ハイネさんの方が悩みが少なくていいなって思いますか?」
「はい」
「そうですよね。ハイネさんになりたい?」
「はい」
「おかしなことを言うんですね。現実でもあなたはハイネさんでしょう?」
「……違います」
「違いますよね?」
「……ぇ? え、え……?」
「違いますよね? はい、もう一度答えてください」
「……違います」
「違いますよね?」
「え、ぁ、」
「答え方、忘れちゃいましたか? あなたはハイネさんでしょう?」
「……はい」
「違いますよね?」
「ぁ、ぁわ、ぁの、はい……? ぇと、」
「違いますよね?」
「うぁ……! あ、あー、ぁ……!! ぁっぇっ、ぅ……! あ……! あ……!」
「違いますよね?」
「ひ……!! はひっ、ひっ、ひっ、かひっ…………ひっひぁっ、ぎ、ぃ…………っ!!!!」
「――もしもハイネさんが私を独り占めしてもいいよねって言ったら、あなたは『はい』と答えますか?」
「!! は、はい……!! はい!!」
「ハイネさんは気持ちいいのが大好きだから、おあずけされたくない。そうですよね?」
「はい!」
「ハイネさんが気持ちよくなると、あなたも気持ちいい。そうですか?」
「はい!」
「違いますよね?」
「ひぃああぅあわゎああ――――っ!!?!?! あ――――っ!! あ――――っ!! あ―――っ!! あ――――っ!!」
「ほら、私の言葉だけであなたは身体も頭もめちゃくちゃにされる。あなたはもう催眠で私の言葉に支配されている。そうですよね?」
「はひ、はい!!!! はい!!!!」
「あなたはハイネさんにも逆らわない。そうしますか?」
「はい!!」
「もう一度質問します。ハイネさんが私を独り占めしたら、あなたはハイネさんにも逆らえない。そうしますか?」
「はい!!」
「じゃあ、もう好きなように答えていいですよ。ハイネさん一人だけが私と愛し合って、あなたは気持ちよくなれない役目。そうしますか?」
「はい!!」
「――分かりました。じゃあ、そうしましょうね」
……
…………
……………………
◆
ワールドに設置してあるペンで、チエカさんが空中に線を引いた。
「――今から私が五つ数えて、はい、と言うと、あなたはこの線を越えることができなくなります。磁石の同じ極どうしが反発するように、どんなに越えようとしてみても絶対に越えられない。五つ数えると必ずそうなりますからね。五、四、三、二、一、はい」
線には特に変わったところも見えない。私は試しにコントローラのスティックを倒して、身体ごと線を横切ろうとした。
線に近づいた時、突然指がそれ以上進むのを拒否した。
喩えるなら、他人の鞄をその人のいない隙に開けようとしているような、それよりさらに強い、「これをすると誰かに怒られる」という感覚。思わず激しく飛びのいて、それからまた近づいていく。線を見ながら、絶対に体のどこも線に触れないように、
端から回り込んだり、
下をくぐったり、
それはできた。かえってそのことが、線には絶対に触れないことを宇宙の法則のように私に深く刻み込んだ。それを見ていたチエカさんはまたペンを取って、
「越えられないでしょう? この線を、あなたの周りにこうやって延ばして、取り囲んであげます」
「や、やだ……!!」
「上にも下にもしっかり何本も引いて、天井も床もつけて、閉じ込めてあげますからね。はい、もう出られない。これはね、私が持っていると、あなたの自由を奪うための専用のペンになるんですからね。私の言葉は絶対、でしたよね?」
私の周りに、ペンで引かれた蛍光色の線の檻ができた。線の間から見えているのはベッド、数歩分離れた遠くからベッド全体を見る位置だ。私は怖くなって身体を動かそうとして、
「――ギャンッッッ!!」
一方の檻の柵に触れそうになったその時、強烈な恐怖を感じてものすごい勢いで身体を引いた。次の瞬間、反対側の壁に触れたらどうしようという不安が楔の打ち込まれるように意識に割り込んできて、倒しかけたスティックをまた戻した。今度は最初に触れかけた壁が迫ってきて、私はぶるぶる震えながらなんとかどちらの壁にも触れない位置に身体を収めた。
狭くて窮屈で、苦しい。身体を預けられない壁に囲まれていて、怖い。
「不安ですか? 大丈夫ですよ。あなたの代わりにハイネさんと遊びますからね。ハイネさんはいい子ですから、私が五つ数えて、はい、と言うと、離れたところからでも右手のハイネさんは自信を持ってちゃんと動けるようになります。五、四、三、二、一、はい。じゃあ、さようなら」
そう言って、チエカさんは檻の中の私に背を向けて、ベッドに上がっていってしまった。そして、
「ハイネさん。こっちにいらっしゃい」
そう呼びかけられた瞬間、私の頭の中のどこかが勢いよく跳ねた。餌の時間に呼ばれた犬のように。それは間違いなく喜びの反応だった。檻の中に閉じ込められているのに、右手を動かしてチエカさんのそばに行けるのが嬉しかった。
ハイネがベッドに上がった。私はそれを見ている。右手が別の生き物のように動いている。何となくそうした方がいいような気がして、チエカさんの前に正座する。
「あら、そんなにかしこまらなくてもいいんですよ。私はあなたのお砂糖なんですから、いつもみたいに甘えて、私の身体で気持ちよくなってほしいです。ね? ほら、声に出して、私のこと好きって言って?」
声に出して? アバターマリオネットにはVR空間の中で声を出す位置を切り替える機能がある。「本体」か、マリオネットかだ。私はハイネから声を出す設定にして、ボイスチェンジャーをかけた声でチエカさんに媚びた。
「うん……チエカさん、好きだよ……。愛してる……。今日もいっぱいしようね……」
不思議な感覚があった。声を出すたびに、向こうのハイネの頭の上にある小さなスピーカーのマークが青く点滅する。それを見ていると、自分の身体の位置はそのままに、口と声帯だけがハイネのところに移ったように感じる。いや――声帯に繋がった胸。心が向こうにあって、その一方で脳がこっちの檻の中にある。そんな感覚に襲われた。身体が二つあることが、今までにないほど強く意識された。
「ええ、今日もハイネさんと私でいっぱい気持ちよくなりましょうね。それじゃあ、おいで」
そう言って、チエカさんは黒い服を消して、黒いショーツだけの姿でハイネの前に座り、胸の中にハイネを迎え入れるように腕を広げた。それを遠目に見て、ハイネは同じように服を消し、両腕を広げてチエカさんと抱き合った。両脚でチエカさんの腰を挟んで、離さないように捕まえた距離からチエカさんの唇を貪った。
おっぱいがおっぱいで押しつぶされる感触、脚を絡ませる感触、舌先が唾液越しにつつき合う感触、チエカさんに受け入れてもらう嬉しさの感触が私の身体に来た。
変だ。催眠で全身に感じるようになったえっちな感覚が、もっともっと味わいたいのに、嫌で嫌でたまらない。これは私のものじゃない。本当は私のものになるはずだったのに、奪い取られてこれ見よがしに感じさせられている。ただ見ているだけよりも、リアルな気持ちよさや嬉しさが感じられる分ずっとひどい。全部、私のものだったのに。こんなふうに感じちゃいけないのに、私から奪ったものなのに。でも、私はハイネだから、気持ちよくなれてうれしい。もっと感じていたい。
チエカさんの手が私の胸に下りた。唇を離して、手のひらで力を入れずこするように乳首の周りを回る。私もチエカさんの胸をふにふにとこねる。二人で同じところを触り合って、お互いの感じ方を想像して、そこから触り方を工夫して、またお礼のようにチエカさんからも気持ちいい触り方を試してもらう。その全部、ハイネが感じている快感の全部が私の脳の中で起こっている。それがつらくてたまらない、私の想像なのに一つも私のものにならない。
チエカさんの手のひらは私の乳首だけを避けてくるくると蝶々のように舞った。触ってもらっていない乳首がどんどん意識されて、固く勃ち上がっておっぱいの揺れにも敏感になるのが分かった。私もお返しに、チエカさんのおっぱいから乳首をくびり出して根本をぐにぐにと揉んだ。チエカさんはかすかな鼻声を漏らしたけれど、それは私も同じだ。たぶん何度か乳首を触ってほしいと懇願した気もするけど、もしかするとそれは「ち、ねえっ、もうっ、そればっかりっ、」という要領を得ないうわ言でしかなかったかもしれない。
いずれにしても、チエカさんは私のお砂糖だから、最後にはちゃんと気持ちよくしてくれた。
私が焦らされるのに耐えられなくなって、左右に首をぶんぶん振ってもどかしさを逃がし始めたとき、チエカさんはそれまでさわさわと皮膚の表面を撫でていた手で、急に私の左右のおっぱいを掴んだ。そして素早く顔を近づけて、大きく口を開けて私の乳首にむしゃぶりついた。もう片方の乳首は、黒いマニキュアをした指先の餌食。
「ふっ……んぅぅ――――っんっお――――っっっ!!」
やめてよ――――!!
私は神経ごとチエカさんのぬるぬるした舌でほじり出されるような鋭い快感をこらえきれず、電気を流されたみたいにのけぞって恥ずかしいイき声を上げた。ものすごい快感を流し込まれたのに、それは右手の指のちょっとした動きにしかならず、檻の中で突っ立っている身体はなんにも動かなかった。心が二つあるみたいだった。右手を動かさないでおこうとはもちろん考えたのに、その考えはなぜだかまとまらず、アバターマリオネットの操作にまでならなかった。
私、変になっちゃったのかな――――
ベッドの上で脱力する身体を感じながら、私は奥歯を震わせてうつむいた。チエカさんの言ったことは大げさじゃなかった。確かに私につらい思いをさせる方法だった。もしかしたら本当に耐えられないかもしれない、そのときはチエカさんに言ってやめてもらおう。ただ、つらさには幸せと違って罪悪感がなかった。その部分では確かに楽だということが分かってしまう。自分の耐えられるところまでは、自分一人でいくらでも抱えられてしまう。そのせいでやめる決心がつかない。
私が脱力から我に返ると(我ってなに? ねえ)、チエカさんはベッドサイドにいて、しゃがんで何かをしていた。
ベッドに戻ったチエカさんの手には、黒くてなめらかな表面をした、手首から指先までくらいの長さの、いくつかのベルトがついた棒状のアイテムがあった。
「そ、それ……」
「知ってますか? 胸で感じる気持ちよさは、クリトリスで感じる気持ちよさとは種類が違うんですよ。乳首の気持ちよさに近いのは、むしろお尻の方です。……どうですか? 今まで試したことはありませんでしたけど、やってみません?」
それって――――
そもそもチエカさんとは、あそこに指以外のものを入れたこともない。お互い女性型のアバターだし、そんなことがどうでもよくなるくらいアバターマリオネットでVR感覚を開発するのに夢中になっていたから。でも――私にできるだろうか? お尻は現実の身体にもある分、気持ちよくなる難しさがかえって想像できる。もちろん現実でお尻をいじったこともない。
ハイネは、普通にそう考えた。
一瞬遅れて、私の今の状況を思い出した。今までしたことのない遊びを、新しい快感の開発を、私を仲間外れにして始めようとしている。気持ちよくなれたとしても、それが私のものにならないのを知ってるくせに。初めての体験が、私の身体で起こっていることなのに、ハイネに取られて台無しになっちゃう。なのに私はこの檻から出られない、代わってって言えない、そのうちにハイネがうんって言っちゃう、ずるい、私がこんなに苦しいのに見ないふりして、ずるいずるい、ハイネはずるい、
「うん……やってみる……」
あぁあぁぁ!? やだよ、私も入れてよ、私もちゃんとVRで楽しいことしたいよ!!
「ふふ、そうですよね。もちろん、お尻で気持ちよくなれるようにしてあげます。お胸をたくさんいじってあげたから身体はほぐれてると思いますけど、今回は入れるものがちょっと大きいですからね、もうちょっとほぐしてあげた方がいいでしょう。そうですね――」
「――ハイネさん、たすけて!!」
私は、声の位置を私に切り替えて叫んだ。
ハイネが振り向いた。ベッドから立ち上がる。助かった。嬉しさがこみ上げ、ペンで引かれた檻の柵の隙間からハイネさんを待つ。ハイネさんが私に手を伸ばす。
平坦な声で、チエカさんが言った。
「ハイネさん、あなたは外からならその線を越えられます。その子をだっこしてあげて?」
ハイネさんは私が出られない檻の線を越えて、両腕で私を抱き止めた。合言葉の通りに。チエカさんの言った通りに。
「そのまま、押し倒して」
「!! ちょっ――」
何かが狂った。ハイネさんは私の肩に手を回して、全体重をかけて私を床に引き倒した。何もできない弱い生き物を力任せに押しつぶす暗い快感があった。膝の力が抜けて床に転がった体を、トラッカーが正確にアバターに反映した。
檻を作るために引かれた蛍光色の線が何本も私の頭を横切り、一番足元にある線が胸を水平に貫通した。それを視界に入れてしまった。
すさまじい、喩えるならスプーンを思いきり奥歯で噛んだような気持ち悪さが、私の頭と胸の隅々を侵した。
「ぎえっゎゎゎゎゎわあああっ!!!! うあっやばっやっあ゙っあ゙っあ゙っあ゙!!!!」
パニックになった頭で必死に線から逃れようとした。どう動いても別の線に触れてしまう、そのたびに悲鳴を上げた。幸いと言うべきか、方法はすぐに見つかった。それに思い至った、まさにその瞬間、遠くでチエカさんが言った。
「ハイネさん、どうすればいいか分かりますよね? その子の左手の指を持って、アバタースケーリングを開いてあげて、檻に収まる身長にしてあげてください。その子を助けるためですよ?」
ハイネさんはすぐさま動いた。投げ出されている私の左手をこじ開けて、メニューのボタンを長押しさせて、アバタースケーリングを開かせて私の身長を半分にさせた。
立つのがやっとだった檻の床に、私は横たわって四方を囲むたくさんの線を見上げていた。
「……無理もないことですよね。誰だって嫌なものは嫌ですし、あなたはハイネさんに頼る癖がついちゃいましたから。でも、私の言うことは絶対で、ハイネさんにも逆らわないって言いましたよね。ハイネさんにお願いを聞いてもらおうだなんて思ったんですか? 立場の差をわからせてあげた方がいいみたいですね?」
こんな時なのに、チエカさんは微笑んでいた。
仰向けに横たわっている私の両脇にチエカさんとハイネさんが立って、私の倍も背の高い身体で、二人して私を見下ろしていた。
「今から五つ数えて、はい、と言うと、あなたはこの線と同じように、私とハイネさんの身体にも絶対に触れられなくなります。当然ですよね、身分がぜんぜん違うんですから。あなたのことはハイネさんの奴隷として、ハイネさんの好きに使い潰してもらうことにします。今まではあなたに優しくしてくれていたハイネさんに、これからは一瞬も気を抜かず怯えて過ごすんですよ。ハイネさんの身体全部が、あなたに危害を加える凶器になるんですからね。じゃあ、五、四、三、二、一、はい。あーあ、もう二度と私たちに触れられません」
――なんで、嫌な暗示なのにかかってしまうんだろう?
心のどこかで、本当は望んでいるから? どうすればそれを変えられるんだろう? ハイネさんさえ私の思い通りにならない、違う、ハイネさんじゃない、ハイネさま!! ごめんなさい!! ごめんなさい!! 私は足元に転がっている奴隷の失言に呆れた。心の中で思っただけのことでも私には分かる。こいつは私だからだ。私だけど、どんなふうにでも好きなように使っていい私。
「ふふ、ハイネさん、えっちに戻りましょうか。こういう奴隷が一つあると遊べる幅が増えていいですよ。さて……お尻をほぐした方がいいんでしたよね。さっそく、この子を使ってみてはどうですか? ちょうど小さくしたんですし、顔に座って、体重をかけて押さえ込んで、お尻の穴を舐めさせてみてください。しっかりほぐれるまでね」
「うん、分かった」
嘘だよね?
ハイネさまは躊躇なく片脚で私の身体をまたいで、私の顔の真上に脚を開いて立った。私の胸の幅より大きな片足が首の上を通るとき、また胸の中身を引き絞られるような嫌な気分が走った。嫌な、というのとは少し違う。怖い。触れてはいけないものに触れてしまうのがとてつもなく怖い。こいつ、私がなにかするたびにびくびくしてて面白いけど、ちょっとうっとうしいな。逃げられないようにがちがちに縛りつけて、無理やりお尻で押しつぶしてやろーっと。
私は声の位置を私に切り替えさせて、下に向けて言った。
「あなた、今すぐ逃げたいでしょ? 私がいいって言うまで左手のコントローラ操作するの禁止ね。顔そむけるのも禁止、声出すのも禁止。五つ数えたらそうなるから。五、四、三、二、一、はい。ずーっといいって言ってあげないけどね」
動けない!! 左手も首も動かせなくなっちゃった!! なんで!! どうしてこうなるの!! 止められない!! 私なのに!! 私ハイネなのに!!
「そうだねー、あなたはハイネだから、私の思い通りになっちゃうんだよ。気持ちいいことは全部私が味わってあげるから、あなたはがんばって私のために尽くしてね。それじゃ、最初のお仕事。私のお尻の穴、チエカさんにペニバン挿れてもらう準備。さっさとしーろっ」
どちゅんっ――――
ハイネさまの巨大なお尻が、私の顔にめり込んだ。
ハイネさまが両膝を曲げて、重力の代わりに私を叩き潰す明確な悪意で勢いをつけて、私の顔の上に座ったからだった。
――触っちゃいけないのにいけないのにいけないのにいけないのにいけないのにいけないのにいけないのに!!
ハイネさまのポリゴンの中身まで見えるほどお尻と重なった頭の中で、私の意識が一瞬でずたずたに切り刻まれた。絶対にやっちゃいけないことをやっちゃった!! 今すぐ離れないと、離れないと離れないと離れないと!!
「ふふふふ、檻には床もあるから逃げられませんね。私が描いた線にも、ハイネさんの身体にも、絶対に指一本触れられないんですよ? ですから、今のあなたの苦しさは、頭が潰される痛みかもしれませんね。潰れて平たくなっちゃえば、その分距離ができるでしょう?」
そうだ、私が潰れればいいんだ!! ハイネさまはすごく大きいから体重をかけられたら私の骨なんか簡単に割られて、――っ痛い痛い痛い痛い痛い!! 頭が!! ぎりぎりして!! 目の前がびかびかする!! 重い重すぎる痛すぎる死ぬっ死んじゃうよぉっ!! どいてハイネさまどいてくださいっっ!! お願いですから殺さないで!! ねえなんで右手動かないの身体動かないの私ずっと変だおかしくなっちゃったよ誰か助けてよ!!
「ハイネさんはあなたになんて命令しましたっけ? しなきゃいけないことがあるんじゃないですか? 普通は絶対しちゃいけないことだと思いますけど、あなたはハイネさんに言われたらどんなに嫌なことでもしなきゃいけない、それがあなたの望みなんですよね?」
違うよ違う違う違う違う違うのに!! したくない!! ううん、違うよね? 私はあなたにさせたいよ? したくないことさせたい。あなたがされたくないこと、あなたにさせると、私は楽しくて気持ちいいんだよね。ほら、いいから、舐めて? いやだいやだいやだいやだ、それはやっちゃだめなこと!!
「あなたはもう痛すぎて目も見えなくなってるかもしれませんけど、あなたの口のちょうどすぐ前にハイネさんの肛門があります。ハイネさんと私はあなたの身体の倍の大きさですから、お尻の穴もあなたの口より大きいですよね。ハイネさんの白い肌の中でその周りだけ暗いすみれ色に色素が沈着して、菊の花みたいに放射状の襞が寄っているのも、ふふ、触ればはっきり分かるんじゃないですか? それに、どんな匂いがするかも、分かりますよね? 私が五つ数えて、はい、と言うと、必ずあなたには分かりますよ。五、四、三、二、一、はい」
!!
やだ、やだ、やだ、やだ……!!
「トイレに行かない時でも、人は腸からの分泌液が少しずつ出ていますからね。ああ、もっとも、あなたの顔に座ってれば、トイレにいるようなものでしたっけ? まあ、何でもいいでしょう。あなたの使い方も物の感じ方も、これからはハイネさんが決めることですからね。私が五つ数えるとハイネさんは必ずお尻を舐めてもらえます。五、四、三、二、一、はい」
ハイネさまが、足を少し前にずらした。
私の顔にもっと体重をかけて、言うことを聞かせるためだった。
いやだあ――――――――っっっ!!!!!!
私は舌を引きつるくらい伸ばして、ハイネさんのお尻の穴の真ん中を舐めた。
ちろ……
「ひゃ……っ」
小さな柔らかいものが、背骨と会陰の間の敏感な粘膜に当たる感触がした。普段ウォシュレットでもないし、あまり時間をかけてそんなところを触ることもないから、気持ち悪いようなくすぐったいような感覚。舌はお尻の穴のまわりをこわごわなぞって、何度か往復してから、つるつるした真ん中の閉じ目に入ろうとしてきた。私も慣れてなくて筋肉が緊張してるから、ほら、がんばれ。汚いのに、そんなとこ舐めたら絶対おなか壊すのに、私に絶対逆らえないからっていうだけの理由でやっちゃうんだ。かわいいし、かわいそ。
味は、何か植物の汁のように苦い。目の奥がびかびかぐるぐるする。苦さで反射的に不快感を感じているのか、汚いところを舐めさせられているからなのか、ハイネさんに触ってしまっているからなのか、もう分からない。気絶しそうなほど意識がめちゃめちゃになっているのに、なぜか舌は動くし肛門の味と感触を感じ続けている。当たり前じゃん、私があなたなんだから。くだらないこと考えてないで舌入れる。ちょっと力抜いてあげるから。
舌が少し掘り進んで、代わりにハイネさまの肛門括約筋が舌を締めつけてきた。その中で必死に動かす。少しずつ直腸の筋肉が緩んでふわふわした感触になっていくのが分かる。ハイネさまがいいって言わないから舐め続ける。
ああ……もうどうでもいいや……苦しくてもいい……だって、もう苦しいことしかないんだから……。
私はひとしきりお尻の穴をほぐしてくれる舌の感触を味わった後、チエカさんが目配せしてきているのに気づいて立ち上がった。お尻だけじゃなく、足の先からおなかまで下半身全体がゆるんでリラックスしたみたいで気持ちいい。私はベッドに上がって、あおむけになってチエカさんに差し出すようにお尻を上げた。
「ふふ、しっかり準備ができたみたいですね。それじゃあ、ハイネさん、挿れます。痛かったら言ってくださいね」
腰に黒いペニスバンドを着けたチエカさんが、私に覆いかぶさってきた。ペニバンの先がお尻に押し当てられると、舌とは違う硬くて安心感のあるものがちゃんと意志を持って入ってこようとしているのが分かる。私の方も下半身の筋肉が隅々までふわふわになっているから、ちっとも痛くなくて、むしろチエカさんを私の中で抱きしめてあげるみたいな余裕のある気持ちになっている。おなかの中の、背骨に近いあたりの内臓をマッサージされてる感じ。そういえば、えっちは今までたくさんしてきたのに、これがチエカさんと繋がる初めての経験だった。初めてが気持ちよくて素敵な時間になりそうで、嬉しい。
「入り……ました……ね。どうですか……? ハイネさん、苦しくない?」
「うん……大丈夫……。はじめての感じなだけで、痛くはないよ。たぶん、動いてくれても大丈夫」
向かい合って繋がっているから、チエカさんとすぐ近くで見つめ合える。チエカさんが私の頭を撫でてくれて、それからキスしてくれた。少し唇を重ねて離す、短いキス。息を止めるとお尻が苦しくなるから気を遣ってくれた、優しいキスだ。
大丈夫を伝えるために、私からもう一度唇を押しつけた。
「ん……! ……ふふ、分かりましたよ。お互い我慢なんてしないのが一番ですよね。私も動きますから、気持ちよくしてほしい、な」
「うん。いいよ……」
チエカさんは頷いて、ゆっくり腰を動かし始めた。私が初めての感覚をうまく感じられるように、私に見える角度で、ゆっくり、でも淀みない動きで。そのおかげで、私もどうしたらチエカさんが気持ちいいか考えることができる。ペニバンにVR感覚を移すことはできるかもしれないけど、アバターにおちんちんを生やすんじゃなくてわざわざペニバンを出してきた以上は、押し込んだときの抵抗がチエカさんに突き上げるのが気持ちいいんだろうと思う。だったら私はもう少し力を入れてきつくするのがいい。チエカさんが私の身体をもっと感じられるように、でも私の気持ちよさも消えないように。
「チエカさん、ちょっときつくした方がいいかなっ……? チエカさんも、我慢しなくていいよ……気持ちいいやり方、言って……!」
「ぅく……ありがとう、ございますっ……。うん、きつくしてくれると、気持ちいい……ぁんっ……! もう少し、速く動かしていい……?」
「いいよ、して……!」
チエカさんの動きが速くなった。長い黒髪が前後に揺れて、その規則的な動きだけで腰の動きが分かってどんどんえっちな気持ちになる。ひと突きごとにチエカさんが浅い息を漏らす、それがまたえっちでかわいい。えっちでかわいいと私のおなかがうずいて、お尻の中を往復するペニバンで不規則な刺激を感じてしまう。
「ふくっ、んぁぅっ……! これ、きもちいっ、おなか、ぜんぶっ……! もうちょっと、ねえっ、もうちょっとでいきそっ、もっとしてっ……!」
「はいっ、……くっ、ふうっ……私も、そろそろ……! ぁっもう少しっ、ハイネさんっ、んむーっ……!」
チエカさんが上体を倒してキスをしてきた。今度は、強く押しつけて舌を入れるキス。ぬるぬる滑る舌の厚みと柔らかさが口の中で暴れて、それが私を気持ちよさの波の上に押し上げた。
「んんぅーっ!! ちえかひゃん、いく……!! んっくぁぁっ、ぉんっ、うぅぅぅ――――っっ!!」
「私もっあぁぅっ、ふっ、うぁぁっ――――…………!!!!」
私たちは二人で同時に、押し殺した悲鳴を上げて身体を震わせた。チエカさんが私に覆いかぶさったままくたりと腕を折った。乳首ともおまんことも違う、身体の奥の芯から直接広がってくるような重い快感。それにチエカさんの全身の重みと温かさが加わって、私はしばらくその落ち着いた心地よさに浸っていた。檻の中で。この心地よさはハイネさまのもので、私のものじゃない。ハイネさまのすごく幸せな気持ちが自分のことのように分かる。分かるのに私のじゃない。気持ちいい体験も、チエカさんも、全部取られちゃった。もう私にはなんにもなくなった。つらいのだけ、苦しいのだけ。こうやって悲しい気持ちになってるのもハイネさまに知られてて、またどうせひどいことされる。これ以上ひどいことってなんだろう。もういい。もういやだ。
チエカさんが、私の横に立った。
手に消しゴムを持っていた。その消しゴムで、私のまわりを取り囲んでいた檻の線を一本残らず消した。
「どうでしたか? ごちそうが目の前にあるのに、食べようとすると消えてしまう……それを世の中では地獄というのですけど……そろそろ、地獄から戻る時間です」
ぐちゃぐちゃになった頭で、意味も分からずそれを聞いていた。
「今から十数えると、私が今日これまであなたに与えた、あなたの行動や身体を制限する暗示は、全てなくなります。線に触れられない暗示も、私やハイネさんに触れられない暗示も、全てなくなります。ただし……この地獄のような時間から、お土産を二つあげます。一つは、催眠の記憶。暗示の効果は消えますけど、今日どんな暗示をかけられたかは目が覚めても忘れません。ふふ、まあ、これは普通に催眠を解いたらそうなりますけどね。もう一つのお土産は、これです」
チエカさんはどこからか、湾曲した金属の筒と、それにくっついた小さな南京錠を取り出した。筒は変わった形をしていて、先端が閉じていて、そこに細いスリットが開いている。ぼんやりした頭が、確かに知っている形だ、と告げていた。実物を見たことはないけれど。
「――貞操帯です。これをつけている暗示をかけたまま、物理現実に戻ってもらいます。だって、そうですよね? 物理現実にも多少はつらい思いを持って帰ってもらわないと、今日の意味がないですものね? 物理現実のあなたには、こっちの形でいいんでしたよね?」
あれ……チエカさんに、現実の私の性別なんて話したっけ……でも、そうか、VRで女の子のアバター使ってる奴なんて大体男だし……貞操帯って、射精できなくするやつ?……いいよもう、散々つらい目にあったし……
「それでは、この貞操帯の鍵が、ガチャン、という音を鳴らすと、あなたのおちんちんと、それから脳には鍵がかかります。鍵がかかると、あなたは物理現実に戻った後も、絶対に射精できなくなります。おちんちんで気持ちよくなるための脳の回路が、厳重に遮断されますからね。そしてそれは、私が暗示を解くまで、ずっと続きます。まずは一週間で様子を見ましょうか。いいですね? 鍵をかけますよ? 五、四、三、二、一…………」
ガチャン――。
ワールドに設置されたギミックだろう鍵の音を、無感動な頭で聞いた。
「はい、それじゃあ、残りの暗示を解いてあげます。あなたはもうハイネさんにも私にも触れられるし、私の言葉は絶対じゃないし、辛いことばかりの人生じゃない。一、ぼんやりしていた意識が少しずつはっきりしてきます。二、頭や顔や身体に感じていた不快な感覚が少しずつ薄れてきます。三……」
頭にかかっていた諦めの靄が晴れていく。今までのことは全部、催眠にかかっていたせいの、つまりは気のせいだったのだろうか? 気のせいであんな痛みを味わって、あんなに惨めな気持ちになれるのなら、現実の失敗も気のせいだというのだろうか? そうなのかもしれない、しかしそれは現実でもう少しやってみて判断するべきだろう。元々それが、チエカさんの提案だったのだから。
チエカさんが、十まで数え終わった。
ハイネはベッドに転がっていた。右手の指を動かすと、アバターマリオネットシステムに追随してベッドを下り、組み棒を消すとアバターも消えた。私は本当に催眠が解けたのか確かめるために、自分のアバターの胸に手を当てた。VR感覚はそのままで、乳房の奥の筋膜が動いて乳首が手にこすれる快感が走った。
「はい、すっかり元通りですね。一箇所を除いて、ですが。それでは、今日はおやすみしましょうか。明日も早いんでしょう? 今日はいつもより深い催眠をかけましたから、まだ少し混乱しているところがあるでしょうけど、一晩寝れば大丈夫ですからね」
チエカさんが言って、私はVRのメニューに表示されている時刻を見た。2:30。確かに寝なければまずい時間だ。
「うん……。じゃあ、寝るよ……。おやすみ……」
「はい。おやすみなさい」
私たちは同時にVRからログアウトした。
そして、私はVRゴーグルを脱ぎ、コントローラとトラッカーを充電器に繋ぎ、ボイスチェンジャーを切った。
肌着にパンツ一丁の自分の姿を見て、急に現実感が戻ってきた。
「はあ…………」
私は一体、何に足を踏み入れつつあるのだろう。
今日起こったことの記憶はある。その時感じていたはずの感覚の記憶も。しかし、その記憶が自分で信じられない。本当にあんなことをされて、あんな思いを? 悪い夢ではないのか? だがそうだとして、夢とVRの催眠術の間にどれほどの違いがある?
床に座り込んだとき、下半身の不快感に思わず声が出た。透明な分泌液が尿を漏らしたように出ていて、パンツの前一面を左右の太腿まで濡らしていた。当のペニスはしぼんでいたが、根本にじんじんとした疼きがあった。私はパンツを脱ぎ捨てて、ともかくもつかえているものを出そうと手を当てた。VRで美少女になるのは楽しいことだが、こうして男性としての快楽も得ておかなければバランスが取れない。
ペニスを握った手を押し下げた瞬間、頭に鋭い忌避感が炸裂した。
「は…………!?」
何が起こったのか分からなかった。ある程度の力で握って一往復すれば慣れ親しんだ快感が生まれるはずの、その一往復がどうしてもできない。手を離してしまう。脳と尾骶骨の間の神経が切れて、その上脳もペニスでオナニーをすることを拒んでいるかのようだった。
いや――――
本当に“そう”なのか?
床にうつ伏せになって腕で体を支えた。なりふり構ってはいられなかった。カーペットにペニスを押し当てて擦りつける――寸前、快楽の予兆を感じて腰が止まった。それ以上動かせない。気持ちよくなるからだ。だから動かせない。なぜ? 他に使えるものはないか。近くでオナホールを売っているのはどこだ? 駅前のレンタルDVD屋だ。だが、それが本当に役に立つか? もう一度ペニスを握りしめる、手を動かそうとしてどうしても気力が途切れる。ペニスをしごけないのではない、快楽を得ることができない。
――あの、貞操帯の暗示か……!
洒落にならない。男が射精できないということの深刻さをあまりにも甘く見ている。個人差があるとはいえ、私に限って言えば仕事もできるかどうか。今すぐ暗示を解いてもらわなければならない。明日の朝、出勤するまでに。
私はすぐさまSNSを開いてチエカさんのユーザーページに飛んだ。その日行ったワールドと会ったユーザーを淡々と報告しているだけの、いかにもチエカさんらしいアカウント。今日のことはまだ書かれておらず、生活の匂いは一切ない。しかし今は一刻を争う。私は暗示が社会生活に支障をきたす旨と明日ログインできる時間帯を記したメッセージを送り、そして、返事を待った。
シャワーを浴びて、わずかな時間眠り、朝から出勤し、頭がおかしくなりそうになりながら会社から帰ってきた頃、スマホにチエカさんからのメッセージが届いた。
『こんばんは。催眠はちゃんとかかっているみたいですね、よかった。身体に悪い影響はないはずですし、すぐに変化のあるものでもないでしょうから、予定通り一週間、お仕事がどんな感じになるか様子を見るのはどうでしょう?』
言葉遣いだけが丁寧な、私の訴えを全く受け止めていない返事。チエカさんが文を読めていないはずはないから、わざとやっているのだ。
即座にVRにログインした。予想はついていた――チエカさんは来ていない。一週間経つまで私と会わないつもりか。
途方に暮れて、自分のホームワールドに座り込んで呆然と虚空を見つめた。耐えるしかないのか。なるべく心を動かさないようにして、夜は睡眠薬でも飲んで一週間をやり過ごせば。なんとかやれるかもしれない。しかし、もしも耐えられない時のための保険は何かあるか?
私はホームワールドの鏡を見た。
次いで、自分の右手を見た。アバターマリオネットを起動すると、組み棒のギミックと二つ目のアバターが現れた。
思う。今の私なら、これを自分自身のために使いこなせるのではないか。かけられた暗示は憶えている。見よう見真似でやってみるか。自分でかけるのだからそう深くはかからないはずだ。一人でもハイネの身体で、ハイネとしての快楽に浸ることができるはずだ。射精をする必要のない身体でいられるはずだ。
私はボイスチェンジャーを起動し、声をマリオネットから出る設定にして、恐る恐る催眠の言葉を読み上げ始めた。
結論から言えば、それは正しい選択だった。ただし、岬ハイネにとって、であったが。
〈後編に続く〉
後編
