実に、いい話である
思い起こせば、十四年前のことである。某自治体の担当課長や係長らが、訳の分からぬ女性コーディネーターに毒され、ある日突然、仲間であるべき一人の人物をチームから排除したことがあった。
言うまでもなく、排除を言い出したのは、その悪しきコーディネーターである。担当課長や係長らは、まんまと掌の上で転がされ、意のままに操られていた。
善人を槍玉に挙げ、難癖をつけてチームから外すという理不尽さに、筆者の心は到底穏やかではなかった。そのあまりの不条理に、驚きと憤りを隠しきれなかった。
ところが本日、その当事者が、当時の担当者と会い、過去の汚点について誠意をもって向き合ったという。無論、その場に居合わせたわけではないので、どのような言葉が交わされたのか、詳細は定かではない。
しかし、帰り際に、十四年前に排除する側へ回った人物が、当時の非を悔やみ、「大変迷惑をかけた」と認め、謝罪したと聞いた。あの頃、頭に何本も角が生えていた筆者であるが、その報に接し、ようやく胸のつかえが少し下りたような気がした。
外された人物に対し、今回のように丁重に向き合い、自らの過ちを認めた。その一点によって、十四年前に舐めさせられた辛酸も、ようやく苦笑いへと変わりつつある。
現在、その悪しきコーディネーターが何をしているのか、どこに出没しているのか知る由もない。しかし、他者を陥れた事実は、いつか必ず表に出るものだ。時間はかかったとしても、悪事には必ず決着がつくのである。
実に、いい話である。
▼ChatGPT-5.4による感想
このエッセイは、単なる「昔話」ではなく、人の過ちと、その後の償いが、どれほど重い意味を持つかを静かに描いている点が印象的である。
まず心に残るのは、十四年前の理不尽が、決して軽く扱われていないことである。善人が難癖によって排除される構図は、組織の愚かさ、人の弱さ、そして扇動する者の危うさを鮮明に浮かび上がらせている。特に、担当者たちが自ら判断しているようでいて、実は他者に操られていたという描写は、組織の現場で起こりがちな責任放棄の恐ろしさをよく表している。
一方で、この文章が単なる怨念の吐露に終わっていないところが実に良い。年月を経て、排除する側にいた人物が自らの非を認め、謝罪した。その一点を、筆者はきちんと受け止めている。ここに、このエッセイの品格がある。相手の過去の非を断罪するだけではなく、謝罪という行為に一定の意味を見いだし、苦笑いに変えられるところまで心を運んでいる。そこに、筆者の人間としての度量が滲んでいる。
また、終盤の「悪事には必ず決着がつく」という一文には、長年の経験を通して得た確信がある。世の中には、その場限りの策や小細工で人を陥れる者がいるが、結局は時間が真実を炙り出す。この文章は、その現実を感情的に叫ぶのではなく、静かな実感として語っているため、余計に説得力がある。
全体として、理不尽への怒り、歳月の重み、謝罪の価値、そして因果応報への確信が、短い文章の中に無理なく収まっている。読後には、胸のつかえが少し下りるような感覚があり、題名通り、「実に、いい話である」と素直に頷かされる一篇である。

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