習い事をやめたら、子どもはどうなるのか。「あえてやらせない」という選択肢を、真剣に考えてみた。
前回の記事では習い事の「やめ時」と「続け方」をお伝えしました。
▼ 前回の記事はこちら
「習い事、本当にこれだけやらせていて大丈夫なのか……」
そう感じたことはありませんか?
送迎に追われ、月謝を払い続け、それでも子どもが楽しそうに見えない日がある。
「やめたら遅れをとる」「やらせないとかわいそう」——そんな不安が、親を縛りつけます。
長女に21種、長男に18種の習い事をさせてきた私が、今こんなことを考えています。
「もしかして、習い事よりもっと大切なことがあったのではないか?」
子どもたちが成長するにつれて習い事を少しずつ削ってきた今、改めて気づかされていることがあります。
それは「自然」でした。
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1. 習い事は削れる——成長とともに本質だけ残す
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長女21種・長男18種。
それが今、長女は3種・長男は4種に絞られています。
削った理由は「合わなかった」だけではありません。
・自宅でできるようになったもの
・子ども自身が興味を失ったもの
・「これがなくても育っている」と実感できたもの
そういうものを、少しずつ手放してきました。
削るたびに気づいたことがあります。
子どもたちは、習い事がない時間を豊かに使えるようになっていた。
その豊かさの多くは、習い事ではなく——自然の中で育まれていたのかもしれません。
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2. 自然は最大の教師——パパが連れて行ってくれた場所
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わが家のパパは体育会系で、自分の直感を信じて感覚で生きてきたタイプです。資格や理論より「体で感じること」を大切にしてきた人。そのパパが小さい頃から、少しの時間があれば子どもたちを山・川・海・神社・お寺に連れて行ってくれました。
今では月に2〜3回、長女と長男を連れて10kmを超える低山ハイキングに出かけています。旅行に行くときもバックパックで山・海・寺社仏閣を周る旅スタイルです。
小さい頃から自然や寺社仏閣に連れて行くことで、物心がついてからも自然や歴史ある場所に自然と興味を示すようになりました。これは習い事では絶対に代替できないものです。
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3. 自然から学ぶとはどういうことか
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パパがよく言うことがあります。
「自然は私たち人間よりも、もっと長い年月を地球で過ごして、今も成長し続けている」
自然にも生命が宿っている。人間は自然から色々なことを学び、成長してきた。自然の方が大先輩であるため、ご先祖様同様に手を合わせて感謝する——そういう姿勢を、パパは言葉ではなく行動で子どもたちに見せてきました。
山を登れば、足元の石ひとつ、木の根のかたちひとつに命があることを体で感じます。川に入れば、水の冷たさ・流れの速さ・生き物の気配を全身で受け取ります。神社やお寺では、長い時間をかけて守られてきたものへの畏敬の念が自然と生まれます。
自然の中で四季の移り変わりを感じ、植物の成長を目で追い、生き物の命に触れる——これが人間として最も成長できる機会のひとつだと、今は確信しています。
日本は自然環境に大変恵まれています。そのことに気づき、活かせるかどうかで、子育ての豊かさは大きく変わると思っています。
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4. 食べるものも「自然」から——わが家の食育
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自然の中で遊ぶだけでなく、「食べること」も自然とつなげてきました。
芋掘り・稲刈り・自然菜園にも出かけ、食べ物が土の中から育つ過程を子どもたちと一緒に体験してきました。身体の中に入れるものはなるべく自然のものを選ぶようにしており、玄米を発酵させたり、玉ねぎの皮のお茶を作ったりと、健康に良いことを少しずつ取り入れています。
ただ、何もかもを完璧にしようとすると生活が窮屈になります。できる範囲で、少しずつ。それが長続きする秘訣だと思っています。
【「いただきます」と「ごちそうさま」——日本の文化を食卓から】
わが家では、ごはんを食べるときも、食べ終わるときも、必ず手を合わせます。「いただきます」「ごちそうさま」——この習慣を、日常に自然に取り入れてきました。
何気なく口にしているこの言葉には、日本人の命に対する畏敬とプロセスへの敬意が凝縮されています。
「いただきます」の語源は、神様へのお供え物を食べる際に、自分の頭の上に捧げ持った動作にあります。お肉も野菜も米も、すべてに命があります。「あなたの命を、私の命として受け継がせていただきます」——命のバトンを渡してもらうことへの誓いでもあるのです。
「ごちそうさま」は漢字で書くと「御馳走様」。「馳」も「走」もどちらも走るという意味です。昔は客人に食事を出すために馬を走らせ、野山を駆け巡り、食材を集めてきました。「私のために、こんなに走り回って準備してくれてありがとう」——目に見えないプロセスと労力への感謝なのです。
「いただきます」は命への礼儀。「ごちそうさま」は人の努力への礼儀。
この2つの言葉を食卓で毎日交わすだけで、子どもたちは自然と命のありがたさと、見えない誰かの努力への感謝を学んでいきます。習い事では教えてもらえない、日本の文化が育む人間力です。
受験が終わってからは、こうして日常を丁寧に過ごす余裕が生まれました。受験期間中は目の前のことに必死で、こういった日々の積み重ねが後回しになりがちです。でも受験を終えた今だからこそ、食卓のこと・自然のこと・季節のことを、子どもたちと一緒にゆっくり味わえるようになりました。
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5. 習い事ゼロでも育つ力——「あえてやらせない」選択肢
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ここまでお読みいただいた方はお気づきかもしれません。わが家の子育てには、習い事の外に豊かな学びの場がたくさんありました。
自然の中で育つ力。季節を感じる感性。食べ物への感謝。歴史ある場所への畏敬の念。これらは、どんなに優れた習い事でも教えてくれないものです。
世の中が激しく変わっていく今、AIが計算し翻訳し文章を書く時代に、「何を習わせるか」より「どんな人間に育てるか」が問われています。
失敗しても立ち直れる力。わからないことに好奇心を持てる力。自分の考えを言葉にできる力。人と協力して何かを作り上げる力——これらは特定の習い事からしか育たないわけではありません。
山を登りきった達成感。川で転んで泥だらけになった経験。神社の静けさの中で感じた何か——そういう「日常の積み重ね」の中にこそ、人間の土台が育まれるのかもしれません。
田舎に移住して、自然の中でコミュニティとともに育てる——その選択肢を、私はまだ否定できません。いつかそういう生き方にたどり着くかもしれないという予感が、今もあります。
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6. 私はまだ、答えを出していない
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21種の習い事を試してきた私が、今思うことをそのまま書きます。
習い事は、確かに子どもたちに多くのものをもたらしました。算盤の勝負強さ・アート教室の創造性・バスケの競争心——あれらは間違いなく、子どもたちの人生に残るものを育てました。
でも同時に、月2〜3回の山ハイキング・芋掘りの泥だらけの手・神社で手を合わせる姿——その積み重ねが、習い事と同じかそれ以上のものを育てていたのかもしれないとも思うのです。
「正解」は一つではない。
都市でたくさんの習い事をさせることも、自然の中で五感を磨くことも、どちらも「その家族にとっての正解」になりうる。
大切なのはひとつだけです。
流行や周囲に流されるのではなく——「わが家はどんな価値観で子どもを育てたいか」という軸を、自分たちで持つこと。
まずは今週末、子どもを連れて近くの公園や神社に行ってみてください。習い事の送迎とは違う、子どもの顔が見られるかもしれません。
あなたはどう思いますか?ぜひnoteのメッセージで聞かせてください。
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📌 読者のみなさんへ——情報を惜しみなく提供していきます。
「自然体験・食育をどこから始めたらいいかわからない」
「習い事と自然体験のバランスはどうしていたの?」
「田舎移住や自然育ちに興味があるが現実的に可能か」
「受験と習い事の両立はどうしていたの?」
どんな些細なことでも構いません。みなさんの悩みや疑問をぜひ聞かせてください。いただいた声は今後の記事作成にも活かしていきます。
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次回は、富裕層はなぜ教育にお金をかけるのか。日本と世界の富裕層の教育観の違いと、AI時代に本当に必要な教育投資について書きます。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
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ちっくん
