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#029 自己紹介。僕はこういう時代を生きてきた

ここまで旅の話や夜の話を書いてきて、少しずつ読んでくれる人が増えた。素直に嬉しい。

ただ、断片的な旅の記録や、夜のエピソードだけでは、輪郭は見えにくいように感じる。
だから今日は、自分の人生の記憶を辿り、
きちんと自己紹介を書いておこうと思う。

肩書きや成果じゃなくて、
どんな時代を、どんな感覚で生きてきたか。
何にワクワクして、何に迷って、何に救われてきたか。

1986年生まれ。田舎の次男、世界は家の中にあった

1986年生まれ。
田舎の自営業の家の次男として生まれた。

小学生の頃の世界は、ほとんど家の中にあった。
テレビ、ゲーム、漫画。
夕方のアニメ再放送、週末のバラエティ。
家族のチャンネル争い。

ドラクエ5は、完全に生活の一部だった。
セーブデータが消える、あのダークな起動音。
何度、目の前が真っ白になったかわからない。

でも今思えば、
「尊い積み重ねが、一瞬で失われることもある」という感覚を、
あの頃に刷り込まれていた気がする。

ミニ四駆もあの時代の象徴だ。
レッツ&ゴーが流行り、みんな改造に夢中だった。
"肉抜き"をすれば速くなると信じて疑わなかった。

30代になって、子どもとミニ四駆を触ったときに気づく。
勝敗を分けるのは、電池とモーター。
結局、そこに金をかけないと勝てない。

当時の自分に言いたい。
「まずは親にお願いして、ミニ四駆用の高い電池を買ってもらえ。」

中学。ポスターと音楽と、背伸びの始まり

中学に入ると、世界の重心が少し外にずれる。
自分の部屋が、自分の宇宙になる。

雑誌を買って、好きな芸能人やアーティストのポスターを切り抜き、壁に貼る。
GLAY、ミスチル、浜崎あゆみ、少し遅れて宇多田ヒカル。
誰を貼っているかで、そいつの性格がなんとなく分かった。

弾けもしないのにギターを買った。
MDコンポも買った。
曲順を決めるだけで、異様に真剣だった。

音楽は「聴くもの」じゃなくて、
言葉にできない気持ちのよりどころだった。

中学卒業。初めての携帯、桜の下の別れ

中学卒業の頃、初めて携帯電話を持った。
たしか N503だったと思う。3和音のやつ。

卒業式の日、
みんなで連絡先を交換して、それぞれ別の高校へ旅立った。
桜の下で写真を撮って、「またな」と言い合って。

これまでずっと一緒に笑い合って過ごしてきた仲間たちが、同じ場所にいなくなる。
こんな感覚を、このとき初めて現実として受け取った。

高校。初恋、プリクラ、見られ方を覚えた時代

高校は地元の進学校。
学ランに、太いスケーターパンツ。
格好つけていたのか、悪ぶっていたのか、
たぶん両方だった。

プリクラが流行っていて、初恋の彼女とは何度も撮った。
落書きして、日付を書いて、
あれは2人の関係を「形」にして残すものだった。
今でもあの淡い恋を型取ったプリクラは、
実家のどこか奥底の段ボールにしまってあるのだろう。
この頃の彼女との心のやり取りは、ずっと大切な宝物になっている。

部活は真面目にやった。
朝練や放課後の部活動、土日の練習試合に明け暮れ、副部長を務めた。
今でもたまに同窓会があり、当時の顧問の先生も
交えて近況を語り合う。
あの頃の自分が、確実に今につながっていると感じる瞬間だ。

大学。東京、インターネットと映画と旅の始まり

大学受験はちょっと失敗した。でも浪人はしなかった。
大学のレベルよりも、東京に出ることへの好奇心が勝った。

大学では、初めてインターネットの世界にどっぷり触れた。
SNSの先駆けmixi、2ちゃんねるという掲示板、最近映画にもなったが、使い方次第では違法ダウンロードソフトにもなり得るWinny。
夜な夜な最新映画をダウンロードしていた。

この頃、TSUTAYA の全盛期。
家の近くには GEO があり、DVD を借りまくった。
空き時間は映画。暇な時間が、とてつもなく贅沢だった。

縁あって部活やサークルの違う仲間たちと出会い、
千葉の館山や山梨の山中湖、いろいろなところに旅行に出かけた。
その仲間の一人である彼女の影響もあり、写真にもハマった。
いい壁を見つけると、みんなで並んで撮る。
飲み会、海、山、川、バーベキュー、クラブ、カラオケ。
当時大好きだった「オレンジデイズ」というドラマがあったが、
本当にそのドラマの中を生きているような時間だった。
ミスチルが、よく似合う時代だった。

そして、旅が始まった。
さらに広い世界を見たい、という好奇心が沸々と湧き上がる。
タイ、バリ、シンガポール、インドネシア、グアム。
後に、インドとネパール、カンボジア。ロンドンにドイツ。

旅は、知識より先に感覚を壊してくれた。
湿気、匂い、夜の音。当たり前という定義の崩壊。
「自分の世界は、ほんの一部だった」と体で理解した。

東京の裏側。歌舞伎町のバーが教えてくれたこと

大学の外では、歌舞伎町のバーで働いた。
ゴールデンタイムは、サラリーマンや大学生の飲み会。
0時を過ぎると、空気が変わる。

ヤクザ、キャバ嬢、ホスト、2丁目、AV女優。
暗いカウンターに、別々の人生が並ぶ。

必死でカクテルを覚えた。
ノートにグラスの絵を描き、酒と分量を書く。
100種類は覚えたと思う。

あの時間、自分の世界線では出会わない人達との出会いの連続は、
確実に今の自分を形作る礎になっている。

社会人。20代の空白と、逃げ場としての東京

大学を卒業し、社会人になった。
それまで「選べる」人生が、
急に「決められた」人生に変わった気がした。

出社時間、席、役割、評価。
正しいことをしているはずなのに、
自分が薄くなっていく感覚があった。

20代中盤の記憶は、正直あまり色が濃くない。
遊んではいた。飲んではいた。
でも、どこか上滑りしていた感覚。

今でも覚えているのは、
パスポートを仕事のバッグに入れて持ち歩いていたこと。
使う予定はない。
ただ「逃げ道がある」という安心感が欲しかった。

仕事は郊外だった。
だから週末は、東京の真ん中へ向かった。
会社のことを考えなくて済む場所へ。

クラブに行き、友人と飲み明かし、
終電を逃して友人宅に転がり込み、
月曜の朝にそこから出勤したことも何度もある。

寂しさなのか、孤独感なのか、焦りなのか。
「自分はこのままでいいのか」という感覚だけが、
ずっと胸の奥に残っていた。

30代。働き盛りと、腹が据わる感覚

転職をした。
当時はまだ人の流動性は高くなく、
今ほど転職市場は活気立ってはいない。
人生の大きな決断だった。

本気で考えた。
「どうせ会社を辞めるなら、自分で何かできないか」
「このまま雇われ続ける人生でいいのか」
でも現実は簡単じゃない。

ふと自分を俯瞰して見つめ、家族ができ、家を買い、守るものが増えたことを鑑みる。
その瞬間、自由が減ったようにも感じたが、
同時に不思議と腹が据わった。

「逃げられない」ではなく、「逃げないと決めた」。

30代は、本当にシャカリキ働いた。
先人たちが言っていた「働き盛り」を体感した。
責任が増え、判断が増え、そのくせタスクは膨大にのしかかる。
楽な日なんてほとんどなく、なぜか死に物狂いだ。

でもその分、
「自分はここまで踏ん張れる」という境界線を知ることができた。
思っていたよりも遥かに自分は強かった。
「意外とできる。やる時はやる。」

20代の“虚無感”は、
30代で少しずつ“厚み”に変わっていった。

そして今。歩いてきた道は明日につながっている

こうして振り返ってみると、人生は一直線でもなければ、計画通りでもなかった。

流行っていたものに夢中になり、
意味もなく背伸びをして、
好奇心に任せて旅に出て、
夜に居場所を探して、
働いて、迷って、また歩き出す。

そのひとつひとつは、
当時はただの「その日その場の選択」だったけれど、
いま振り返ると、どれも無駄じゃなかったと思える。

あの頃の衝動も、うまくいかなかった時間も、
無防備に世界へ放り出された旅も、
全部が今の感覚につながっている。

いまは家族がいて、無茶はしないし、
安心できる旅を選ぶようになった。

それでも、知らない景色に胸が動くことや、
初めての匂いに足が止まることは、昔と何も変わっていない。

歩いてきた道は、今ここににつながっているし、
ここから先にもまだ続いていく。

この場所で文章を書いているのも、
自分の過去を飾るためじゃなく、
これからの道を確かめるためだと思っている。

何者かになりたいわけでもない。
ただ、自分で選びながら、自分の人生を歩いていきたい。


ここまでが、いまの僕の自己紹介であり、
これから続いていく物語の現在地。

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