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「しゃべるサイボーグが欲しい」‥‥そう言った息子に、本当に買ってしまった父親がいた。


ソノシートが回る夕暮れに見えた、夢と親心の境界線


       境界線ノート|ランポのさんぽ

子供の頃。
未来は意外と近くにあった。
少なくとも、そう見えた。


昭和40年代後半。
変身ブームの真っ只中だった。


変身サイボーグ1号。
透明な身体。
銀色のメカ。
人間なのか。
ロボットなのか。
その曖昧さが格好良かった。
そして。

さらに未来を感じさせたのが、
「指令マシン」だった。
背中に装着する。
ソノシートを差し込む。
ボタンを押す。
すると。
ノイズ混じりの低い声が流れる。
「ただちに〇〇へ向かえ」
それだけで秘密組織の一員になれた。
そんな時代だった。

しかし。
未来という言葉は、
時々、
想像力を暴走させる。

近所に三つ年下の男の子がいた。
彼はどこかで聞いた。


「しゃべるサイボーグ」という噂を。

そして脳内で翻訳した。
完全に。
見事なまでに。

「会話できるロボット」へ。

子供が見ている未来
彼は父親に頼んだ。
必死に頼んだ。

「しゃべるサイボーグが欲しい」と。

すると父親は言った。
豪快だった。
実に昭和だった。
「本当にしゃべるならいくら出しても、買ってやる」
そして。

本当に買った。
今思う。
玩具の性能より凄いのは、
その父親だったのかもしれない。

数日後。
その子はサイボーグを抱えてやってきた。

ボタンを押す。
ソノシートが回る。
声が流れる。
終わる。
また再生する。
終わる。
それだけだった。
「……ちょっと違う」
その一言を、
私は今でも覚えている。

境界線は玩具の中にはなかった
当時の私は思った。

冷静に。
少しだけ大人ぶって。
「そんなものあるわけない」
会話できるロボット。

そんな未来の玩具。
あるわけがない。
1970年代だった。
無理に決まっていた。

でも。
本当は。
私の心を揺らしていたのは、
テクノロジーではなかった。
別のものだった。

羨ましかったのだ。
「欲しい」と言った。
父親が応えた。
そして買った。
夢を信じた。
それを実行した。
その事実だった。

玩具の性能など、
どうでもよかった。

私が見ていたのは、
サイボーグではない。
親子だった。

私は長い間、この思い出を
「未来への憧れ」だと思っていた。

だが最近になって気づいた。
私の記憶に残っていたのは、
しゃべらないサイボーグではなかった。その隣で立っていたあの子の父親の姿だった。

そして、その父親を見ていた、
小学二年生の私自身だったのである。


あの少年の夢は実現した
 

それから半世紀。

今、私たちはポケットの中に、
本当にしゃべる機械を持っている。

質問する。
答える。
会話する。
学習する。
あの少年が夢見た未来は、
完全に実現した。
けれど。

あの夕暮れは、
もう戻らない。
少し雑音の混じった音。
回り続けるソノシート。
期待。
失望。
羨望。
親の愛情。
未来より先に、
あの空気が消えてしまった。


技術の進歩は、
夢と現実の境界線を消していく。


昔は夢だったものが、
今では当たり前になる。

だが。
もうひとつの境界線は、
意外と消えない。
「欲しかったもの」と、
「買ってもらえたもの」。
「未来への憧れ」と、
「親が叶えてくれた記憶」。
あの日。

私はサイボーグを見ていたようで、
本当は親子の物語を見ていたのかもしれない。

夕暮れの路地。
回り続けるソノシート。
その小さな円盤の上には、

昭和という時代の、
まぶしい境界線が静かに回っていた。


境界線ノートMAP

国家の境界
テクノロジーの境界
生命の境界
自然の境界
文化の境界
個人の境界

世界にはまだ多くの境界がある。
今日もまたひとつの境界を歩きました。


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