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横断歩道で待っているその人は、人なのか。


自転車と馬車と牛車が教えてくれる「歩行者」の正体

      境界線ノート|ランポのさんぽ

夕暮れだった。

信号のない横断歩道。

少し見通しが悪い。

そんな道を運転しているとき。

たまに出会う。

ドライバーを静かに苦しめる存在に。

横断歩道の前で、

じっとこちらを見ている人だ。


ただし。

自転車に乗ったまま、足だけ地面についている。

渡るのか。

渡らないのか。

降りるのか。

降りないのか。


止まるべきなのか。

進んでいいのか。

たぶん全国のドライバーが一度は脳内フリーズしたことがあると思う。

調べてみると、

法律は意外なほどシンプルだった。


自転車は軽車両。

つまり車の仲間。

だから自転車に乗ったまま横断歩道を渡ろうとしている人に対して、

原則として車には横断歩道での停止義務は発生しない。

ところが、その人がサドルから降りて、

自転車を押し始めた瞬間。

突然「歩行者」になる。

法的な立場が変わる。

さっきまで車だった人が、数秒後には歩行者になる。

なんだかRPGのジョブチェンジみたいだ。

乗車中。

軽車両。

降車後。

歩行者。

法律の世界は時々大胆である。

人とは何か、ここで少し遊んでみたい。

もし横断歩道の前にいたのが、自転車ではなく馬車だったらどうだろう。

観光地で見かける馬車。

あるいは雛人形の最下段にいる牛車。

実は道路交通法上、

これらも軽車両である。

牛も。

馬も。

牛車も。

馬車も。

軽車両。

なかなかのパワーワードだ。

では御者が降りて、

馬の手綱を持って歩いたら歩行者になるのか。

ならない。

ここが面白い。

自転車は押せば歩行者。

馬や牛は引いても軽車両。

法律の世界では、

人間より牛の方が頑固らしい。

そして現実が始まる

しかし。

ここからが本題だ。

法律だけなら話は終わる。

乗っている自転車は軽車両。

終了。


ところが現実はそう簡単ではない。


横断歩道の前に立っている自転車が、

こちらを見ている。

体は少し前傾している。

今にも渡りそう。

そんな状況で、「優先権ないですよね」と言いながらアクセルを踏める人は少ない。


なぜか。

事故が起きたとき、

裁判所が見ているのは条文だけではないからだ。

ドライバーには「予見可能性」という考え方がある。


渡るかもしれない。

飛び出すかもしれない。

そう予測できたなら、

危険を回避する義務が生まれる。


つまり。

法的優先権がないことと、

安全確認をしなくてよいことは、

まったく別の話なのである。


ドライバーが迷う理由


今回いろいろ調べていて気づいた。

多くの人は法律を知らないから迷っているわけではない。

むしろ逆だ。

経験的に知っているのだ。

人間はルールどおりには動かない。

自転車は突然渡る。

歩行者はスマホを見る。

子どもは走る。

高齢者は止まる。

そして自分自身も疲れている。

道路は法律の教科書ではなく、

人間が集まる場所なのだ。

だから迷う。

だから減速する。

だから確認する。

境界線はどこにあるのか

今回の話で一番面白かったのは、歩行者と軽車両の境界線が、道路の上ではなく、人間の認識の中にあることだった。


サドルに座っているか。

降りているか。

それだけで法律は変わる。


でもドライバーから見れば、

遠くからそんなことは分からない。

つまり。

私たちが横断歩道で感じる緊張感は、

法律の境界線と、

人間の認識の境界線が、

ずれている瞬間なのかもしれない。

そして今日も。

どこかの横断歩道で、

ママチャリとドライバーがお互いを見つめている。

その隣では、

法律上は同じ軽車両である牛車が、

なぜか堂々と通行権を主張しているかもしれない。


世界は思ったより不思議だ。


そして境界線は、いつも私たちの足元にある。



境界線ノートMAP


国家の境界
テクノロジーの境界
生命の境界
自然の境界
文化の境界
個人の境界

そして今回歩いたのは、「歩行者」と「軽車両」の境界。

世界にはまだ多くの境界がある。

今日もまたひとつの境界を歩きました。



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