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『CARNIVAL』小説版読んだ。


ずいぶんと前に見た映画なのでタイトルは忘れてしまったが、たぶん、アメリカの内戦を描いた作品だったと思う。拷問されぐちゃぐちゃになった死体の横で、笑みを浮かべながら自慢気にカメラに写る民兵の姿が印象的だった。直前まで殺伐とした雰囲気を纏っていたのに、記者がカメラを向けた途端、凍りついた表情が笑顔に切り替わる。なんだか不気味な気がしないでもないが、写真に映る彼らの笑顔は朗らかであり、そこに悪意といったものは感じられない。すぐ隣に血塗れの死体が転がっているという点を除けば、とても良い写真であるように思う。
(…いいや、隣が死体だからこそ、なのだろう)


…以前に、とある「ガイジンさん」の写真を撮る場面に立ち会ったことがある。そこでは、“白板”を手に持って、無表情で立つように指示されるのだが、どうやらあまり日本語が理解できなかったようで、ニコニコと楽しそうな様子で写真に映っていた。目がクリクリとしていて、愛嬌のある出っ歯が印象的な、とても素敵な笑顔だったと記憶している。その瞬間だけは、どうにも明るくって、皆表情を緩ませていた。暖かさが、そこにはあった。
…ところが、手元の資料に目を落とすやいなや、皆、表情が消えた。十にも満たない僅かな文字の羅列が、確かにあったはずの何もかもを奪ってゆく。…結局、「笑わないように」と起伏のない口調で何度か指導を受けた後、彼の顔は消え失せてしまった。


人はカメラを向けられると、つい笑顔になってしまうらしい。

それなら彼女は幸せでしょうか。
なぜ彼女はあの“白板”を持っているのでしょうか。
彼女の手錠は誰と結ばれているのでしょうか。

彼女の罪とは、いったいなんなのでしょうか。

薄っぺらく張り付いたようにも、崇高な輝きを放っているようにも見える。
レンズ越しに覗いただけの僕には何もわからない。それでも、一つだけはっきりしている事がある。


      ────彼女の“笑顔”は、とても美しいってこと。







・ほんへ

なかなか読む勇気が出てこなかったので、三年くらい本棚の肥やしになっていた。……だって、瀬戸口が自殺なんて描くわけがないんだもの。自殺で終わる物語を、あの人が自分に許すはずがないんだもの。

しかし無情にも、本作は学の自殺で幕を降ろしてしまう。
「むべなるかな」って?……そりゃあ、あんまりだぜ瀬戸口先生。

二人の破滅は、始めからわかっていたことだったのかしらん。正直ゲーム本編の記憶なんてほとんど残っていないけれども、それでも、当時の自分はあのラストにどこか希望を感じていたはずなのだ。あの、何一つ明るいきざしの見えない世界で、それでも、二人で懸命に生きようって、そう誓いあったはずではなかったか。それとも、ただ単に僕が、脳味噌にお花畑の咲いた馬鹿だったというだけの話か。

この瞬間が、少しでも長く続けばいいのに。


「生まれてきて本当に良かった」

嘘ではない。本当なのだ。心の底からそう思えた筈なのだ。
だが、この言葉を発した数時間後、彼は首を吊る。

「どんなに苦しくても、心が死んだようになって、痛みも喜びも何も感じることが出来なくなってしまって、何をしても無意味に感じられて、もう駄目だと思っても、諦めないで、自分に耐えて、もう少しだけがんばって欲しい。」
これは皮肉のつもりなのだろうか?

「追伸。今までありがとう。出来ることならば、誰も憎まないで生きてください。」
そう言い遺して、彼は本当に、誰も憎まず、あまつさえ世界を祝福してこの世を去った。彼女に、これ以上ないほどに残酷な呪いを残して。

……こんな物語が許容できるだろうか。いや、結局のところ、「CARNIVAL」は始めから物語ではなかったのかもしれない。これは夏夜の狂騒で、祭りのあと。ただのありふれた非日常の一端に過ぎない。洋一とサオリが典型的な、それこそ夢のようなボーイミーツガールを織りなすほどに、学と理紗のどうしようもない現実が、克明に浮き彫りとなってしまう。(そして悲しいことに、もしも学の隣にいたのが泉だったなら、こうはなっていなかっただろうという確信が、私にはある)
理紗があまりにも不憫でしょうがない。彼女がいったい何をしたっていんだ?……勿論、彼女は何もしていない。そして彼女だけが、学の隣にいることを許されない。────あ、やっとわかったよ!理紗の罪って、きっと学君を好きになってしまったことだったんだね!これはもう理紗が悪いよ。理紗の存在そのものが、学君にとって猛毒だったってわけだ。学君を殺したのは、君自身だよ、理沙。それが嫌なら、君のほうが先に死んでおくべきだったのかもね。

馬鹿にしてやがる…。


「飼育小屋」……結局、ここはそういう場所なのだろう。眼前に吊るされた僅かな餌に、微かな希望を見出だしたところで、気まぐれに手を引っ込められ、あったはずの欠片はたちまち霧散してしまう。檻の外の主は、子供のように無邪気な悪戯心の持ち主で、きっと満面の笑みを浮かべているに違いない。

……思うに、僕は瀬戸口に騙されているのかもしれない。はじめから、この、くそったれな世界に救いなんてものが欠片もないことくらい、わかっていたつもりだったのに。それでも、彼が描くほんの一欠片の希望があんまりにも眩しいもんだから、少し勘違いをしてしまったのだろう。「信じてもいい」って。この、くそったれな世界を、くそったれなままに愛することができるんだって。でも、それはやっぱりフィクションだったのかもしれない。僕が勝手に、希望を透かし見ていただけだったのだ。本作だってそうだ。父親を告発することを決心した理紗の姿に、前向きな、なんとなくの希望を見出だしたくなるが、その希望は作者が望んだものではなく、他ならぬ僕自身の望みなのだ。僕には彼女の表面的な振舞いしか見ることができない。崇高な決断のように見えてしまうのは、それが所詮は切り取られたCHAPTERでしかなくて、ドラマの一部始終だから、なのだろう。区切られた断片はつねにすでに物語なのであって、本当の現実は、決して語られることのない余白の部分にこそある。見えないものがリアルで、描かれている、直接目に見えてしまう部分がフィクションなんだ。学の訃報を知った理紗の姿が描かれることのないように。父を告発しすべてをやり直そうとする理紗の、その決断に至る過程が描かれることのないように。間違いなく、そこには葛藤があったはずだ。だが、その葛藤を僕が知ることは永遠にない。

「一時停止ボタンなんかどこにもなくて、力一杯全部を出し切った、その瞬間に都合よく存在が消えてなくなったりもしない。疲れ切ってしまって、戦う気力なんか全然なくなって、勇気とか希望とか自分を守るものが全部失われてしまって、映画だったら「終」とテロップが出るような場面が過ぎても、生活は続いてしまう。けして止まらない。そこからが、本当に人間が生きるということなのだろうと、最近はそう思ったりもする。」

……本当に、信じてもいいの?
実のところ、上手くいく保証なんて、どこにもありはしない。
物語の中にしか希望がないというのなら、俺はこのくそったれな現実をどうやって生きればいいのだ?





……線の細い女性と、小学生くらいの少年と少女が写っている。本棚の隙間に挟まっていた、少し色褪せた写真。傍から見ると、とても幸せそうだ。
思うに、過去もまた、連綿と断線なく続く現実から切り取られた断片なのだろう。過去はもはや現実そのものではなく、ノスタルジックに脚色されたフィクションでしかない。苦痛でしかなかったはずの過去は、もうどこにも存在しない。その古ぼけた写真は、かつてたしかに幸福だった幼年時代の象徴なのだ。誰にも、不幸だったなんて言わせない。「幸福に生きよ」と誰かに言われるまでもなく、我々の生は、幸福に生きることしか、許されていないのだから。

「小さな頃に見ていたものは、まだ何も知らなかった時代のまぼろしなんかではなくて、いまでも見ることが出来るずっとそこにある変わらないものだった。辛くなるからって無理に忘れてしまわなくても良かったんだ。僕は気がつくのが遅すぎた。必要なものを、自分で隠していたんだ。でも、こんな僕でもまだ全てを失ったわけではなかった。世界は残酷で恐ろしいものかもしれないけれど、とても美しい。思えば、そんなこと、僕らは最初から知っていた筈なんだ。」


…僕はもう、“異常”という言葉も、“狂気”という言葉も語りたくはない。
そこにあるのは、ただただ不条理でしかない、僕らにとって当たり前の日常だった。



追伸
たぶん、映画のタイトルは「Civil War」だった気がする。






おしまい

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