大奥(PTA) 第十九話 【第四章 青梅】
【第四章 青梅】
<父上>
初島様は、お背中で苦しそうにしていらっしゃる花子様に、時々お声がけをなさりながら、太郎君とお話を続けられました。
「して、お父上は?」
初島様の問いかけに、太郎君はお答えします。
「お父様は、私と花子をおばあさまの屋敷に連れて行くと、少しおばあさまとお話ししておられましたが、暫くして何処かへ出かけてしまわれました」
「ああ、それで」
初島様はその後の言葉に詰まってしまわれましたが、内心は太郎君のお父上に対し、ご自分が子守りを引き受けたのなら、何故最後まできちんと御自身で面倒をご覧にならぬのかと、少し憤りをお覚えになりました。
御事情はともかく、早く稚児医者(小児科医院)へ急がなくては、初島様はそうお思いになり歩みを更に速められると、橋の袂まで参りました。太郎君の寺子屋は橋のすぐ近くの小高い丘の上に御座います。初島様は、まずは今寺子屋にいらっしゃると言うお母君の安子様に、一刻も早くこの事をお知らせしなくてはとお思いになり、太郎君にこう仰いました。
「太郎君、この橋を渡ってまっすぐ行った所に銭湯が御座います。ほら、あそこに煙突が見えて居るでしょう?」
初島様が指差した方向に煙突を確認すると、太郎君はこっくりと頷きました。
「あの銭湯を右に曲がってすぐの所に、常磐井醫院と書いた看板のある稚児医者(小児科医院)が御座います。私は花子様をそこに連れて行きますから、太郎君は寺子屋に行って、お母様にその場所を知らせる事は出来ますか?」
太郎君は不安そうながらも、七つにしては大変しっかりしたご様子で、
「分かりました」
と、初島様にお答えしました。
<赤鬼先生>
太郎君を寺子屋に送り出しますと、初島様は急ぎ橋を越えて、銭湯の角を曲がりました。
「稚児医者 常磐井醫院。ここで間違い御座いませんね」
いつから掛けて有るのか分からぬほど襤褸襤褸の木の看板を確認すると、初島様は鬱蒼と生えた草垣をくぐって中に入られました。
「御免ください。あの、先生はいらっしゃいますか?」
初島様が戸口で声を掛けられましたが、中々人が出て来ません。
「あのう、すみません。子供が大変なのです! 出て来てはいただけませんか?」
初島様が三度ほどお声を掛けたところで、ようやっとここの主らしい男がのっそりと現れました。
髪は白髪でぼさぼさの総髪、顎にはもじゃもじゃの髭を蓄え、赤ら顔の中にぎょろりとした目が埋まるように覗いており、医者らしく十徳を身に付けていらっしゃいますが、一張羅なのかあちこちに穴が開いており、でっぷりとしたお腹のせいか、胸紐が引き千切れそうに結んで有りました。
「この子かい? 早速診せていただくよ」
その赤鬼の様な風貌の稚児医者が仰ると、小さい花子様は、驚いて更に大泣きされてしまわれました。
赤鬼先生は、処置を終えてからこう仰いました。
「青梅を誤食した様だね。熟してない生の梅は毒素を持っている事があるから、食当たりに似た症状が激しく出る事が有る。特に体が小さいお子さんだと、弱い毒でも命取りになる事が稀にある」
「左様に御座りますか」
初島様が心配そうに相槌を打たれますと、赤鬼先生は、
「なあに、全部吐かせて胃を洗浄して置いたんで、安静にして置けば明日にも元気になるだろうよ。今回はお母さんが急いでここへ運んで来て下すったから、大事には至ら無くて良かった良かった」
「本当に、本当に良かった……。ほっと致しました」
初島様が仰ると、赤鬼先生はこう続けられました。
「じゃあ、お母さん、下剤を処方して置きますんで、少し落ち着いたら飲ませて下さい。それで毒素を完全に体外に排出させるんで」
「あのう、先生、実は……。実は私、この子の母親では無いのです」
この様に初島様が仰ると、
「え?そうなの? 儂はてっきりお母さんかとばっかり。じゃあ一体、この子の親御さんは何処でどうして居るんだい?」
赤鬼先生は、初島様にそう問われました。
初島様は赤鬼先生の質問に、こうお答えになりました。
「私は、三丁目の牧野様の奥方様のお屋敷で女中をしていた者に御座います。本日昼前ごろ、奥方様の所へお邪魔した際に、奥方様とおのこのお孫さん、この女子のお孫さんのお三人で留守番をされていらっしゃいました」
赤鬼先生は、医者らしい淡々とした口調でこう返されます。
「ほう。そうなの。で、お母さんお父さんは、今日はお子さん方をおばあちゃんに預けてお出掛けってえ事かい?」
初島様は、戸惑いながら赤鬼先生にお答え申し上げます。
「えっ、いいえそれが……。上のおのこのお話しだと、お母君は本日、寺子屋のやむを得ないお手伝いに出掛けておいででして、この子らのお父君に子守を頼んでご出立されたように御座います。それがどういう訳か、私が奥方様の屋敷に参った時には、このお嬢さんが梅を齧って泣いておりまして。でもその時にはお父君の姿は見当たらず、奥方様、いえこの子のおばあさまが、気が動転して倒れ込んでしまい、代わりに私が此処へお連れしたと言う次第に御座います」
赤鬼先生は、それを聞いてこう仰いました。
「ふうん……。三丁目の牧野、牧野さんねえ……」
しばらくお考えになられると、赤鬼先生は何かを思い出されてこう仰いました。
「ああ、やっと思い出した、あいつか! あの牧野の倅!」

