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89歳のお琴の先生と、畳の部屋で聞いた「捨てられなかったガム」の記憶。そして私たちが生きる「奇跡の今日」


序章:古民家の匂いと、一期一会の音色

空が少し低く垂れ込めた、ある日の午後。 私は、長浜の静かな一角に佇む、あるお宅の呼び鈴を鳴らしました。

「はーい、いらっしゃい。」

引き戸を開けて迎えてくれたのは、武田倫江さん。
昭和、平成、令和と3つの時代を生き抜いてこられた、昭和11年生まれのもうすぐ90歳の女性です。 一歩、玄関に足を踏み入れると、そこには不思議な懐かしさが漂っていました。 初めて訪れたはずなのに、まるで大好きなおばあちゃんの家に帰ってきたような、心の芯がほぐれるような温かい空気が、私を包み込みました。

通された奥の和室には、窓から柔らかな光が差し込み、その中心にどっしりと大きな、立派なお琴が三面、静かに鎮座していました。

出迎えてくれた柔らかくて、とってもかわいらしい武田さんと、立派なお琴

間近で見るのは初めて。 その凛とした佇まい、木目の美しさ、張り詰めた弦の緊張感。 思わず「わぁー!お琴やー!」とワクワクして声が出してしまう。

初めて会った時から感じていた柔らかさとかわいらしさを持つ武田さん。実際のレッスンでも本当に優しく、手を取るように教えてくださいました。
初めてお琴の「爪」をはめ、初めて弦に触れます。 指先から伝わる確かな反発力。そして、弾いた瞬間に部屋の空気を震わせる、ポロン、という優雅で深い音色。久しぶりに楽器を弾く感動に心が震えて、ワクワクがとまらなかった。

武田さんのご指導のおかげで、不器用なりにも1時間程度で「さくらさくら」を弾けるようになりました。

レッスンの後、小さなお茶会が始まりました。 出してくださったのは、湯気の立つ温かいお茶と、甘じょっぱい「ぬれ煎餅」。

可愛らしく笑う武田さんと、出して頂いたお茶とお煎餅を頂きながらお話しする。 なんてことのない、けれど最高に贅沢で穏やかな時間。 そんな緩やかな空気の中で、ふとしたきっかけで彼女の口から語られたのは、その穏やかな笑顔からは想像もできない、壮絶な「記憶」でした。

第1章:赤い花丸をもらうために描いた「軍艦」

「90年近くも生きてこられて、やっぱり戦争中が一番辛かったですか?」

何気なく私が尋ねると、武田さんは湯のみを置いて、静かに、けれど力強く首を振りました。

「いいえ。本当に辛かったのは、戦争が終わってから……軍国主義から民主主義に切り替わった『あと』だったのよ」

意外な言葉でした。平和が訪れた日が、なぜ一番辛いのか。 先生は、当時の少女だった「自分の心」に戻って、語り始めました。

当時、国民学校の生徒だった武田さんは、絵を描くのが大好きな女の子でした。 学校の図画の時間、彼女は画用紙に向かうのが楽しみで仕方ありませんでした。 でも、そこに描くのは花や風景ではありません。

「軍艦」や「戦闘機」です。

なぜなら、お花を描いても先生の評価は普通でしたが、勇ましい軍艦や敵を倒す飛行機を描くと、先生は大きな赤い花丸(二重丸)をくれたからです。

「先生に褒められたい。お父さんやお母さんに『えらいね』って喜んでもらいたい」

そんな子供らしい、あまりにも純粋な動機で、彼女は一生懸命、人を殺すための兵器の絵を描き続けました。 「お国のために」という言葉が、子供たちの心の柔らかい部分にまで染み込んでいた時代。
男の子たちは「兵隊さんになって死ぬこと」を夢見て、女の子たちは「傷ついた兵隊さんを看護すること」に憧れました。

それが絶対的な「正義」だと、大人も子供も、誰も疑わなかったからです。


実際に武田さんに見せて頂いた
小学生の時に描かれたクレヨン画


第2章:崩れ去った神の国

しかし、その「正しさ」は、1945年8月15日、たった一日で音を立てて崩れ去りました。

玉音放送が流れたあの日。 武田さんは、今まで見たこともなかった光景を目にします。 あんなに強かったお父様が、ラジオの前で肩を震わせて泣いているのです。

「お父ちゃん、どうしたの? 泣いてるの?」 「……負けたんや」

昨日まで「神風が吹く」「日本は神の国だ」と教えられていた世界が、嘘のように消え去った瞬間でした。

それからが、本当の地獄でした。 昨日まで「鬼畜米英を倒せ」と教えていた学校の先生たちが、翌日には教科書に墨(すみ)を塗らせ、「これからは民主主義だ」と言い放つ。 子供たちは、昨日までの「真実」を、自分自身の手で真っ黒に塗りつぶさせられたのです。

「何を信じていいのかわからない」

神と教えられていた天皇陛下は人間になり、信じていた先生の言葉は嘘になった。 その絶望の中で、教え子たちを戦場に送ってしまった罪悪感に耐えきれず、自ら命を絶ってしまった先生もいたそうです。

足元の地面がガラガラと崩れ落ち、暗い海に放り出されたような虚無感。 「お腹が空くのも辛かったけれど、心の置き場がないことの方が、もっと辛かったのよ」

武田さんのその言葉は、ぬれ煎餅の甘じょっぱい香りの中に、重く、鋭く響きました。

第3章:父の震える手と、銀紙の輝き

戦後すぐ、私たちの街にも進駐軍(米軍)がやってきました。 そこで武田さんは、忘れられない体験をします。

米軍の兵隊さんが、チョコレートやチューイングガムを投げるのです。 甘いものなんて何年も口にしていない子供たちや大人たちが、地面に這いつくばるようにして、必死になってそれを拾い集めます。 少女だった武田さんも、甘い香りにつられて、思わず手を伸ばそうとしました。

その時でした。隣にいたお父様が、強い口調で言ったのです。

「そんなもの、拾うな!」

握っていたお父様の手はわなわなと震えていた。 それは、「卑しい真似をするな」というプライドだったのか、それとも「昨日までの敵から餌をもらう」ことへのどうしようもない悔しさだったのか。 お父様のその剣幕に、武田さんは一度は拾うのを諦めました。

でもね、と先生は少女のように悪戯っぽく笑って、声を潜めました。

「どうしても、どうしても我慢できなくてね……実はこっそり、チューイングガムを一つだけ拾っちゃったの」

お父様に隠れて口に入れた、たった一粒のガム。 その甘さは、脳が痺れるほどの衝撃だったそうです。 そして、一緒に落ちてきたチョコレートの、キラキラと輝く銀色の包み紙。 「こんなに綺麗なものがこの世にあるなんて」と、その銀紙を見るだけで涙が出るほど感動したと言います。

「そのガムね、味がなくなっても毎日毎日、捨てられなくてずっと噛んでたのよ。おかしいでしょ?」

そう言って笑う先生の笑顔を見て、私は胸が締め付けられました。 味がなくなっても噛み続けるほど、その「甘さ」は彼女にとって、明日を生きる希望そのものだったのです。

またある時は、袋に数粒だけ入ったピーナツを手に入れて、それを「今日は一粒だけ」と決めて食べるのが、一日の最大の幸せだったそうです。 たった一粒の豆が、宝物だった時代があったのです。

第4章:「白いワイシャツ」と突き抜けるような青空

そんな「悔しさ」と「ひもじさ」の時代。 しかし、ある日を境に、あのお父様の様子が変わります。

ある晴れた日、お父様が真っ白なワイシャツを着て、外出の支度をしていたのです。 それを見た少女時代の武田さんは、恐怖で震え上がりました。

「お父ちゃん、あかん! そんな白い服を着てたら、敵に見つかって撃たれる!」

戦時中、白は「死の色」でした。目立つ色は敵機の標的になる。だからみんな、何年も地味な色の服しか着ていなかったのです。 あの日、ガムを拾うなと震えていたお父様。 しかし、父は静かに、けれど晴れ晴れとした顔でこう言いました。

「もうええんや。戦争は終わったんやから」

そう言って家を出ていく父の背中。 その向こうには、どこまでも高く、突き抜けるような「青い空」が広がっていたそうです。

敵機に怯えなくていい。 白い服を着てもいい。 お父様の白い背中は、「平和」を受け入れ、前を向いて歩き出した象徴のように、少女の目に焼き付きました。

第5章:月明かりは「死の鏡」だった

空の話が出たついでに、先生はもう一つ、忘れられない空の記憶を教えてくれました。 私たちの住むこの街のシンボル、琵琶湖の話です。

「米軍はね、琵琶湖を目印にしていたのよ」

夜、湖面に月が映り、キラキラと輝く美しい光景。 私たちにとっては癒やしの風景ですが、戦時中、その輝きは、真っ暗な日本列島を飛ぶB-29にとって格好の「目印」でした。

そこを目指して飛んできて、琵琶湖の上空で部隊が合流し、大阪や名古屋へ爆弾を落としに行く。 あるいは、長浜の上空を轟音を立てて通過していく。

「今夜は月が綺麗だね」

そんな言葉が、当時は「今夜は爆撃機が来るかもしれない」という恐怖の意味を持っていたのです。 私たちがロマンチックだと感じる風景が、かつては死を運ぶ「巨大な鏡」だった。

その事実を知ったとき、私はいつもの湖の風景が全く違って見えました。 今、静かに水を湛えているあの湖は、「もう誰の目印にもならなくていい」という、安らぎの姿そのものなのだと。


終章:大雨の帰り道で気づいた「本当の幸せ」

「またいつでもいらっしゃいね。」

武田さんの温かい笑顔に見送られ、外に出ると、天気予報通り、あいにくの大雨になっていました。 私は自転車にまたがり、雨の中を漕ぎ出しました。

冬の冷たい雨粒が、容赦なく顔や体に打ち付けてきます。髪の毛と服はすぐにびしょ濡れになり、冷たさが肌に張り付きます。 いつもなら、「びしょ濡れで寒い!無理!早く帰りたい!」と、気分が落ち込んでいるところ。

でも、今日は違いました。 冷たい雨に打たれながら、なぜか私の心は、不思議なほど穏やかで、温かかったのです。

ペダルを漕ぎながら、ふとこんな思いが湧き上がってきました。

「ああ、寒い。……でも、私には『帰る場所』があるんだ」

家に帰れば、雨風をしのげる屋根がある。 濡れた髪や体を、乾いたタオルで拭くことができる。 蛇口をひねればお湯が出て、温かいお風呂に入ることだってできる。 そして、温かいご飯を安心して食べることができる。

そのすべてが、どれほど恵まれた「奇跡」なのか。 武田さんの話を聞いた直後の私には、この冷たい雨さえも、自分が平和な世界に生きていることを実感させるスパイスのように感じられたのです。

「私は今、本当に幸せだ」

ずぶ濡れになりながら、私は自転車の上で噛み締めました。 味がなくなっても噛み続けたガムのような「小さな幸せ」も、 お父様が守りたかった「白いシャツを着て歩ける自由」も、 今の私は全部、当たり前のように持っているのですから。

コンビニに寄れば、数百円でチョコレートが山のように売られています。物価高といえども、買うことはできる。銀紙を見ても、私たちはもう泣いたりはしません。でも、だからこそ。

私たちは、この「当たり前」を、もっと味わわなければいけないのだと思います。

家に帰り、温かいお風呂に浸かったとき、私は心から思いました。 「温かい」と感じられる、そのこと自体に感謝しよう、と。

戦時を生き抜いた武田さんが、瓦礫の中から拾い集め、大切に繋いでくれたこの「平和な今日」。 私たちができる最大の恩返しは、過去をただ悲しむことではありません。

それは、「笑顔で、この時間を使い尽くすこと」

どんな天気の日でも、どんなに些細なことでも、「あー、幸せ!」と、遠慮なく口に出して味わうこと。 明日も、この当たり前の奇跡を目一杯感じて味わって、笑って、今目の前の幸せや満たされているものに目を向け、生きていこうと思います。

武田さんのあの素敵な笑顔と、お琴の音色を胸に刻んで。



【おまけ】
武田さんが気づかせてくれた
「私たちが持っている30の奇跡」リスト


物語の中で触れたこと、そして先生との会話から見つかった「当たり前じゃない幸せ」をまとめました。 今日、あなたもいくつ持っていましたか?よければ、ここに載っていない日常に溢れている奇跡をコメントなどでおしえてくださいね!

1. 「白い服」を着て歩ける奇跡

  • あの頃: 白は「死の色」。敵機に見つかるから着てはいけない色でした。

  • 今: 好きな色を纏い、誰にも狙われることなく、堂々と街を歩けます。


2. 「明日」の天気を知れる奇跡

  • あの頃: 天気予報は軍事機密。「明日」がどうなるか、誰にも分かりませんでした。

  • 今: スマホを見れば未来が分かります。「明日は雨だから」と、未来の予定を立てられます。

3. コンビニで買える「チョコレート」の奇跡

  • あの頃: 銀紙一枚が、涙が出るほどの宝物でした。地面に這いつくばってでも欲しいものでした。

  • 今: 数百円で山のように売られ、銀紙を惜しげもなく捨てられる豊かさがあります。

4. パジャマで「無防備」に眠れる奇跡

  • あの頃: いつ空襲警報が鳴っても逃げられるよう、防空頭巾ともんぺを着て、靴を枕元に置いて浅い眠りについていました。

  • 今: 誰も攻めてこないと信じて、一番無防備な姿で、朝まで泥のように眠れます。

5. 「月」を美しいと思える奇跡

  • あの頃: 月明かりに照らされた湖は、爆撃機を導く「死の鏡」であり、恐怖の対象でした。

  • 今: 「月が綺麗ですね」と、ただ心を癒やすためだけに空を見上げることができます。

6. 「疲れた」と弱音を吐ける奇跡

  • あの頃: 「欲しがりません勝つまでは」。弱さを口にすることは許されませんでした。

  • 今: 辛い時に「辛い」と言えます。自分の心を守るために逃げたり、休んだりする自由があります。

7. お腹いっぱい「残せる」ご飯の奇跡

  • あの頃: 一粒のピーナツが、一日生きるための希望でした。

  • 今: 「もう食べられない」と箸を置くことさえできる。それは王様でもできなかった贅沢です。

8. 役に立たない「無駄」を楽しめる奇跡

  • あの頃: 戦争の役に立たない娯楽や趣味は「軟弱」「非国民」として奪われました。

  • 今: 動画を見たり、推し活をしたり。「ただ楽しいから」という理由だけで時間を使えます。

9. 大切な人と「手をつなぐ」奇跡

  • あの頃: 人前で愛を表現することは不謹慎でした。愛する人は戦地にいて、触れることさえ叶いませんでした。

  • 今: 好きな人と並んで歩き、温かい体温をいつでも確かめられます。

10. 雨の日に「帰る家」がある奇跡

  • あの頃: 明日、家が焼かれているかもしれなかった日々。

  • 今: どんなに冷たい雨に打たれても、蛇口をひねればお湯が出て、乾いたタオルがあり、安心して眠れる屋根があります。

11. 好きな歌を「口ずさめる」奇跡

  • あの頃: 英語の歌やジャズは「敵性音楽」。歌っているのが見つかれば警察に連れて行かれました。

  • 今: お風呂で鼻歌を歌っても、街中でイヤホンをして洋楽を聴いても、誰にも怒られません。

12. ペットを「家族」として愛せる奇跡

  • あの頃: 人間の食料すらない時代。犬や猫は「無駄飯食い」と言われ、毛皮のために供出させられる悲しい運命にありました。

  • 今: 愛犬にお洋服を着せ、一緒にお布団で寝て、「長生きしてね」と心から願うことができます。

13. 「No(嫌だ)」と言える奇跡

  • あの頃: 上官の命令、国の方針は絶対。「嫌です」「できません」という言葉は、死を意味することもありました。

  • 今: 行きたくない飲み会を断ったり、嫌なことから距離を置いたり。自分の心を守る「拒否権」を持っています。

14. 蛇口から「お湯」が出る奇跡

  • あの頃: お風呂を沸かすための薪や炭は貴重品。冬でも冷たい水で雑巾を絞り、あかぎれだらけの手で家事をしていました。

  • 今: ひねるだけで、火傷しそうなほど温かいお湯が出ます。洗い物で手が凍えることはもうありません。

15. 「真実」を知ることができる奇跡

  • あの頃: 教科書は黒く塗りつぶされ、ラジオは大本営発表の嘘ばかり。本当の戦況を知る術はありませんでした。

  • 今: 分からないことはスマホですぐに調べられます。誰かに騙されず、自分で真実を確かめに行ける自由があります。

16. 夜が「明るい」奇跡

  • あの頃: 「灯火管制」で家の明かりを外に漏らすことは重罪。夜は漆黒の闇で、本を読むことさえできませんでした。

  • 今: 24時間営業のコンビニがあり、街灯があり、夜遅くまで起きて好きなことができます。「夜が怖くない」という安心感。

17. 「失敗」しても笑っていられる奇跡

  • あの頃: 工場でのミスや判断の遅れは、即座に「非国民」「敗北」に繋がりました。常に極限の緊張状態でした。

  • 今: 「あ、間違えた!」「ドジしちゃった」と笑ってやり直せます。失敗が命取りにならない、優しい世界です。

18. 好きな場所に「旅」ができる奇跡

  • あの頃: 移動は制限され、切符を買うのも一苦労。不要不急の外出は白い目で見られました。

  • 今: 「今度の休み、どこ行こう?」と思い立ってすぐに電車に乗れます。移動の自由は、心の自由です。

19. 写真を「笑顔」で撮れる奇跡

  • あの頃: フィルムは貴重品。写真を撮るのは「出征(戦争に行く)前」の決意の表情か、遺影のためであることが多かったのです。

  • 今: 美味しいご飯、変な顔、何気ない瞬間。スマホで毎日、何枚でも「生きている喜び」を残せます。

20. 「個人の名前」で生きられる奇跡

  • あの頃: 「〇〇家の嫁」「〇〇部隊の兵士」。個人の名前よりも、所属や役割が全てでした。「私」はありませんでした。

  • 今: あなたは、誰の付属品でもない「あなた自身」として、自分の名前で人生の物語を紡ぐことができます。

21. 自分の気持ちを「言葉」にできる奇跡

  • あの頃: 「壁に耳あり障子に目あり」。不満や本音を言えば、隣組や特高警察に通報される恐怖がありました。心を殺さなければ生きていけませんでした。

  • 今: 「これが好き」「これは嫌い」「愛してる」「腹が立つ」。自分の心の声を、誰にも検閲されずに口に出せます。私の心は、私のものです。

22. 「おしゃれ」を楽しめる奇跡

  • あの頃: 「パーマネントはやめましょう」。おしゃれは非国民のすること。女性はモンペ姿を強要されました。

  • 今: 髪を染め、ネイルをし、メイクをする。自分を美しく飾ることは、平和な時代の特権です。

23. 好きな本を「読める」奇跡

  • あの頃: 検閲があり、反戦的な内容や敵国の本は読めませんでした。思想までコントロールされていたのです。

  • 今: どんな本でも、漫画でも、自由に手に取れます。知りたいことを知る権利があります。

24. 外国の人と「友達」になれる奇跡

  • あの頃: 外国の人は「鬼畜(きちく)」であり、話すなんてもってのほか。憎むべき敵でした。

  • 今: 世界中の人とSNSで繋がったり、観光客と笑顔で挨拶したり。「人間同士」として仲良くできます。

25. 「砂糖」たっぷりの甘い奇跡

  • あの頃: 砂糖は統制品で、一般家庭からは姿を消しました。子供たちは甘い味を知らずに育ちました。

  • 今: ケーキ、アイス、甘いコーヒー。脳がとろけるような甘さを、いつでも味わえます。

26. 親と一緒に「暮らせる」奇跡

  • あの頃: 「学童疎開(がくどうそかい)」で、子供たちは親元を離れ、知らない土地で暮らすことを余儀なくされました。寂しくても泣けませんでした。

  • 今: 「ただいま」「おかえり」と言い合える家族が、同じ屋根の下にいます。

27. 「クリスマス」や「誕生日」を祝える奇跡

  • あの頃: クリスマスは敵国の祭りとして禁止。誕生日を祝う余裕など、どこにもありませんでした。

  • 今: ケーキを囲んで、ロウソクを吹き消して、「おめでとう」と言い合える。記念日がちゃんと記念日として存在します。

28. 「なぜ?」と疑問を持てる奇跡

  • あの頃: 上の言うことに「なぜ?」と聞くことは反逆でした。思考停止して従うことが求められました。

  • 今: おかしいことには「おかしい」と疑問を持っていい。自分の頭で考えることが推奨されています。

29. パートナーを「自分で選べる」奇跡

  • あの頃: 結婚は「家」のため。「お国のために立派な子供を産む」ことが求められ、好きでもない相手と一緒になることもありました。

  • 今: 「この人が好きだから」という理由だけで、一緒にいることができます。

30. 「長生き」を喜べる奇跡

  • あの頃: 「お国のために散る(死ぬ)」ことが若者の美徳とされました。命は軽いものでした。

  • 今: 武田さんのように90歳まで生きることが「素晴らしい」と称賛される。命を全うできる世界です。


【本記事の参照・引用元】



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北川 雅子(のりこ)| チロ村 いただいたサポートは、私や相棒、チロ公のみんなの夢のために大切に使わせていただきます!いつも応援ありがとうございます\(^o^)/⭐️