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『ばぁば』と『にゃにゃ』 最終話 風の伝言

最初の癌が見つかってから、早いもので二年の月日が流れました。
ばぁばは体調を崩す日が増え、次第に食も細くなっていきましたが、それでも家族との穏やかな日々を過ごしていました。

「お互い歩けなくならないようにね」
そう励まし合いながら、夫婦で手を取り合い、家の周りを散歩するのが日課です。
けれど、歩くのが辛いばぁばの心はいつも「早く家に帰ってにゃにゃに会いたい」という思いでいっぱいでした。

娘や息子、孫たちが頻繁に顔を出すようになり、みんなが「ばぁば、ばぁば」と口々にその名を呼ぶ声に包まれるうち、かつて世間の荒波から自分を守るためにまとっていた険しい「鎧(よろい)」は、少しずつ剥がれ落ちていき、まるで世間知らずだった若い頃の優しい表情に戻っていきます。

子供達は久しぶりに会う痩せ細った母の姿に、動揺を隠せません。
しかし、愛猫のにゃにゃだけは違いました。 ばぁばの姿がどんなに変わろうがいつも一緒で、成猫になった今でも赤ん坊のように、ばぁばの耳を「ちゅぱちゅぱ」と吸って甘えるのです。
ばぁばもそんなにゃにゃが可愛くてしかたがないのです。

やがて耳が遠くなり、夫との日常会話さえ聞き取りづらくなったばぁばでしたが、にゃにゃが何を考えているかだけは、不思議と手に取るように分かったのです。
ばぁばはかすれる声でにゃにゃに話しかけては穏やかに笑っています。

そんな折、再び体調を崩したばぁばは再入院を余儀なくされます。
大きな病院では長期療養が難しく、転院を促される日々。家族はかつて奇跡の復活を遂げたリハビリ病院に望みを託しましたが、今回は「受け入れられる状態ではない」と断られてしまいました。

「違う病院を探すから、頑張ろうね、ママ」

娘の有紀が必死に励ますと、ばぁばは弱々しくこう答えたのです。

「有紀、ごめんね……。もう、ママは頑張れないんだよ」

その言葉に、有紀はたまらず涙を流しました。

「ママ、にゃにゃにもう一度会いたくないの?」

叫ぶような問いかけに、ばぁばはかすれる声で言葉を絞り出しました。

「……また会えば、あの子に寂しい思いをさせるだけだわ。もう、お家には帰れないのだから」

「何を弱気なこと言ってるのよ! まだ75歳なんだよ。私の子供を見るまで生きるの!」

怒りに似た悲しみをぶつけ、有紀は病室を飛び出しました。

その夜のことです。
ばぁばは夢を見ていました。

若い頃の姿をした母親の「としこ」が、死んだ愛猫の「なつ」を抱いて何か語りかけています。

「よく頑張ったね、よしこ。もう辛い思いはしなくていいんだよ。」

「おかあさん、なつ、迎えにきてくれたの?」

母親は何も答えず笑顔でよしこを見つめています。

「おかあさん、私は辛くなんてなかったよ。すごく幸せだもん。」

そう答えるよしこは子供の姿をしています。

母親は「なつ」と霧のかかった橋を渡ろうとしています。

「おかあさん待って。よしこも行くよ…… 待ってよおかあさん。」

よしこは母親に追いつこうとするも、何かを思い出します。

「おかあさん、なつ、先に行ってて。みんなにお別れの挨拶をしなきゃ」

一度は引き返そうとするも、母親が見えなくなるのが怖くて、よしこは懸命に母親を追いかけます。


夜中、じぃじの元に病院から危篤の連絡が入りました。
子供達に連絡をし、じぃじはすぐに病院に駆けつけます。

じぃじが着いた時には、ばぁばの意識はなく荒い呼吸だけが続いていました。
二時間かけて子供達全員が病院に集まり、みんなが代わる代わる手を握り、懸命に祈りましたが、やがて呼吸はゆっくりと、穏やかなものへ。
そして最後は、意識が戻らぬまま深い眠りにつくように静かに息を引き取りました。
最期の表情は驚くほど穏やかで、幸せそうでした。

復活を信じていた子供たちは、心の準備もできぬまま、最後の言葉すら交わせなかった現実に、泣き崩れます。

泣き声が病室に響く中、じぃじは目を閉じているばぁばの手を握り「今までありがとう。」と小さくつぶやきます。


窓の外は小春日和。ささやかに風が吹いています。
葬儀が終わり、主(あるじ)を失った家で、じぃじは一人、遺影の前に座ります。
どのくらい時間が経っていたのでしょう。

ふと横を見ると、そこには自分を見上げているにゃにゃの姿がありました。

「……にゃにゃ。ばぁば、いなくなっちゃったなあ」

寂しげな呟きに応えるように、にゃにゃはトコトコと歩み寄り、じぃじの膝へ飛び乗りました。
そしてじっと遺影を見つめ、悲しげに「にゃー」と鳴いたのです。

その時窓から入ってきた風に乗って声が聞こえた気がしました。

『二人とも、ごめんね。寂しい思いをさせてしまって』

その声を聞いたじぃじは、せき止めていた感情が溢れ出し、目からは止めどなく涙がこぼれ落ちました。

子供たちが帰り、静まり返った部屋で、じぃじはにゃにゃを強く抱きしめながら、いつまでも、いつまでも泣き続けています。

そんなじぃじをにゃにゃは不思議そうに見つめていました。

       完



あとがき
その後、じぃじは有紀の家族と住み始め、にゃにゃは次女夫婦(私)の家で、今も幸せに暮らしています。
にゃにゃは今でも母の写真を見せると、じっと見つめ、まるで「今でも大好きだよ」と伝えているかのようです。
今年でにゃにゃは14歳になりますが、まだまだ元気いっぱいです!


【次回予告】
次回からは新連載、ショートショート・ブラックコメディ 『いい人さん!』をお届けします。


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