【短歌連作】 カタツムリのなみだ
“涙”を共通のテーマにした短歌の連作5篇。
ほんのささやかな涙ですが、お楽しみいただけたら嬉しいです。
*****
『 溜息 』 〜冬から春へ〜
アクセント記号は非常勤の非へ 強くなりゆく紙飛行機
もぎたての林檎のように全身のなみだを燃やしきみも生きてる
右耳を胸に押し当て脈の音に眠る睫毛はまだ濡れており
ハイターに浸す五分の静けさよ偽物のような白が冷たい
雨の日のいつもより濃いクレヨンのむせぶ匂いと三密の霧
紛れ込む蛾もちょうちょさんと呼ばれてはばつ悪そうにカーテンのかげ
飛行機は浸透圧でのぼりゆくグラデーションに従いながら
空は澄み青空だけどアクリルの境界線をくもらす湿度
左だけ脱げては履かせまた脱げて子どもの足のミリの大きさ
がむしゃらなスコップの砂はざらざらと吾の笑窪まで埋めようとする
床を這い壁を這い底冷えの朝 次亜塩素酸をなすりつけゆく
違和ばかり真冬の気温十九度 渦を巻く退職クラスター
愛鳥の飛べずに猫に喰われたり散らばる青羽思い出したり
夕空よ溜息に似た深呼吸ふたつ のぼる月はまだ白い
春はゆく早すぎるよとつぶやけば溜息にさえ舞う花吹雪
***
『 迷い 』 〜春から夏へ〜
人の声、肩のぶつかる懐かしさ、草花の名に聞こゆシガラミ
片方の口角が五ミリ切れていて集まる視線が熱くて痛い
一生を添い遂げるなど一本の口紅すらも使い切れずに
無抵抗という抵抗をしながらシュークリームにかぶりつきおり
母の日に母から受け継いだ真珠を着けて確かむ母であること
迷い子の目をした仔猫のしおりの挟まる歌集を買ってしまって
長袖の麻のカーディガンを羽織り仕事へ向かうカタツムリ日和
不条理な雨に抗うようにして渦巻くカタツムリはしずかに
雨上がり朝一番の砂場には一番乗りの鳥の足跡
小さき蜘蛛をジョニーと呼びてまたねってお外へ逃し手を振る子らよ
亡き母の好物だったいちじくの入ったサラダを頼む初夏
明日からの痛みを誤魔化すようにして強炭酸を流し込む夜
カタツムリの湿度をもって朗読す宮沢賢治の童話集より
雨宿りしていくか濡れていくのか迷いの中に紫陽花が咲く
また夜が終わってしまう 色褪せて南に浮かぶ上弦の月
***
『 軌跡 』 〜夏から秋へ〜
早番の朝は冷たい 教室の隅に掃き溜められている澱
弱虫のわたしを置いて雨粒はまっすぐに飛び降りてゆきたり
ようやっと今を生きているのですが 垢と呼ばれる個人情報
割り切れぬ分担をなんとか割り切る 仕事は仕事、私は私
せめてもの償いをする 純白に包まれ葬られてゆく垢
三回忌に花屋でもらう丁字草の裏に付いてた五ミリの蝸牛
わたしたちできないことが似てるねと蝸牛を覗き話しかけおり
単純でいいよ迷子のマイマイと小さいちいちゃんそんな感じで
涙腺を緩めてくれたマイマイにオーガニックのにんじんを与う
音もなくいつかカタツムリも眠る音のない肺で呼吸しながら
目覚ましを掛けず布団へうずくまる カタツムリガールを宣言す
表情をなくしてみても感情はなくならなくて人間だった
マイマイの二本のツノがひっそりとピースしているこっちを向いて
陽を受ける蝸牛の軌跡三センチ透明な道は延びてゆきたり
マイマイを秩父の原へ放ちやり丁字草も秋色となりぬ
***
『 微風 』 〜秋から冬へ〜
枠をはみ出して付けられたバッテン 東京に鳴くアフリカの鳥
「もういいかい」これで何度目なんだろう 「まあだだよ」ってもう言わないで
ちょっとした間違いだったはずなのに 麻婆豆腐がぐちゃぐちゃになる
残された母のノートに一片の途方に暮れたままの数独
いる、いらない、母の遺品を分けゆきてわたしらしさも整えてゆく
この世にはどれほど嘘があるのでしょう 囁くようなコットンパール
光年の単位を知った日のように星を見つめて耳を塞いだ
湯に浸かる トマトのような薄皮を持つ冷え切った心まるごと
口笛を吹いてみたけど音は出ず 一つ、一つ、と消えてゆきたり
夕刊の崩落の文字が目に入る いつもはしない面取りをする
リビングのパキラへ今の二回り大きな鉢を買いに行く ごめん
待つよりも待っていられる溜息に待たせるよりも待つ方がいい
「もういいよ」 あれもこれもと詰め込んだ入院バッグを解くそよ風
濃い色と打つはずなのに恋色と出てきて選びたくなる夕焼け
今日もまたおにぎり握る 米粒が潰れぬほどの手加減をして
***
『 希望 』 〜冬から春へ〜
底に残る種たちはみな泣いていた 不完全なるポップコーン
くつしたがいやだと泣いて困らせたこと浮かべつつ丁寧に履く
幸せを探して歩く 野良猫が遠くの春に転がっていた
軽くするためですからと簡単にカットオフされた人のカロリー
無意識に母の口癖を真似して そんな急いでどこに行くのん
窓を恋、素数を素敵と見違える 雪空のむこうに春が見える
春風で二本の骨が折れました わたしの一部の傘を預ける
新しいルールにしよう 泣いている仔猫がいたら連れ帰ること
空は空、海は海だし ネモフィラはネモフィラだからあなたはあなた
カチカチのキウイをりんごのそばに置く 背中をさする友情みたい
カタツムリみたいに伏せて寝てみたら抱きしめられた温度になって
雲間から幾筋も光が射して となりの人が「きぼう」と言った
小さき手で空に向かってパーを出す 負けを認めた雲が逃げてく
ドライにした花をもう一度束ねてまた会えたねと呟いてみる
東京に快晴マーク みずいろの折り紙みたいに均一な空
ー ちる ー
*****
涙は痛みや悲しみだけのものではなくて、喜びや感動も表現してくれます。そしてわたしたちの心と体を癒し、整えて守ってくれています。
生きる上で欠かすことのできないもの。
目には見えていない涙や、形にはなっていない涙も実はわたしたちの身の回りにたくさんあって、何かを伝え教えてくれようとしているのかもしれません。
わたしがnoteを始めた2021年はコロナ禍でした。
2026年の今日までのわずか5年の間にもさまざまな出来事や変化が起こりました。世界にも日本にも。社会にも個人にも。動物や植物、自然界にも。
いろんな出会いや別れを繰り返し、それぞれの場所にそれぞれの涙がありました。
この先も生きている限り、さまざまな涙に触れていくことになると思います。自分の涙にも、だれかの涙にも。
