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あじさいの花の咲くころ

住宅街を抜けて職場へ向かう。
とある一軒家のお宅の前に、アジサイの切り花が青いプラスチックのバケツにざっと入れられて置かれていた。
全部で十本以上はあっただろうか、水色もあればピンクや紫もある。花は生き生きとしていて、切られてからさほど時間が経っていないようで、まだ置かれたばかりなんだろうなと思った。
無意識に歩く速度が緩やかになる。
門扉に 『よろしければご自由にお持ちください』とマジックペンで書かれた手書きの貼り紙があって、いいな、素敵なお裾分けだなと思いながらその前を通り過ぎた。
朝からしずかな優しさに触れて気持ちがよかった。いい一日のはじまり。

外から見えたその庭には、アジサイらしい株は見当たらなかったけれど、きっと裏のほうにまわるとたくさん咲いているのだろうなと勝手に想像した。
いいなあ、アジサイの咲く庭。もしも自分の庭があったなら、わたしもアジサイを育ててみたい。何色がいいかな、青かな、白もいいな……。
ぼんやりとそんなことを考えながら歩いてて、あ、そうだ、一本いただいて職場に…… そう思って振り向いた時には、もうそのバケツからは随分と遠ざかっていた。
諦めてそのまま職場へと向かいながら、ちょっと残念なことをしたなと思った。みんなで楽しめたらよかったな。


仕事を終えると、来た道とは別のルートを辿って買い物をしながら帰る。
街路にもたくさんアジサイが咲いていて、ふと朝のアジサイのことを思い出した。
まだあるかな、いや、きっともうみんなもらわれたよね。
買い物を済ませて外に出ると、またあのアジサイのことを思い出してしまって、もうないはずだと思っているのに、そちらの方向に戻って歩き出してしまった。
もうないってば。 うん、なきゃないでいいの。みんな無事にもらわれてよかったなって思うだけだから。


遠くにあの青いバケツが見えた。
バケツは見えたけれど、花は見えなかった。
みんなもらわれていったんだね、よかった。 そう思いながらバケツの前まで来てみると、後ろ向きで門扉にもたれかかって、一本だけが残っていた。紫がかったピンクのアジサイだった。
ある……。どうしよう。
わたしはバケツの前で立ち尽くしてしまった。
もしそこに数本あれば 躊躇うことはなかったのかもしれないけれど、最後の一本だったことがわたしを迷わせた。
いただいてもよろしいのでしょうか、わたし。
そのお宅にも道にも人影はないし、車の音も鳥の声すらもなくて、だれも答えてはくれなかった。
門の貼り紙を見つめて少しばかり逡巡する。
もしもこのまま置いて帰ったら後悔することになる、そう思ったので、いただきます、と心を決めた。
「ありがとう」のような 「よろしく」のような もしくはその両方のような 頷きみたいな小さなお辞儀をひとつして、バケツからその花をそっとを引き上げた。
水滴が花の無くなったバケツの水へぽつりと落ちて、自分がいけないことをしたのかいいことをしたのかよくわからなくなった。
花とバケツが泣いてるとしたら、その涙は寂しい涙かな、嬉しい涙かな、などと我ながらおかしなことを思った。


わたしはその花を、生まれたての赤ちゃんを横抱きにするみたいな格好でうちへ帰った。
道の途中ですれ違う人たちの視線は 同じような動きをした。アジサイを見て、わたしを見て、もう一度アジサイを見る。あんまりみんなが同じようだからちょっと可笑しくなってしまった。
何を思われていたのかはわからないけれど、心の中で(かわいいでしょう、うちのコです)と言いながら、ちらちらとアジサイを見つつウキウキしながら家に帰った。


急いでお水をあげなくちゃ。
家に着くと鞄と買い物袋をひとまず置いて、アジサイを持ったまま花用のハサミと水揚げのバケツを準備する。下のほうの葉をいくらか取り除き、茎の先を斜めに大胆にカットして、内側の白いワタを取り除いて水に挿す。この処理で切り花のアジサイは随分と長持ちする。
けっこう丈があるし、たった一本だから、花瓶はどうしようかと考える。
捨てそびれてキッチンに置いたままになっているワインの空き瓶が目に入って、そのラベルの猫がこちらをじっと見ていた。
ワインボトルに水を入れて花を挿してみたら、黒っぽいおとなしい瓶がなんだか急にポップになった。
かわいい。わたしはそう思ったけれど、花と瓶は互いにぎこちなかったかもしれない。
花は少しばかりくたびれているように見えた。朝からずっとあそこにいたんだよね。おつかれさま。
あなたのおかげでわたしはいい一日になりました。
花もそう思ってくれると嬉しい。最後まで大事にしたいな、しなくちゃいけないなと思った。


翌朝、ちょっと離れたところからその花を見てハッとした。水をたっぷりと吸い込んでピンと元気になったアジサイがハートに見えた。
気のせいかもしれない。可愛さ余ってただ贔屓目になっているだけなのかもしれない。
いやこれはアジサイの恩返しかもしれないぞ、なんてまたおかしなことを思った。
なんかありがとう。いいこいいこ。


そういえば、とくに使い道はないのに、ラベルがかわいくてどうしても捨てられずにかれこれ一年以上取ってあるワインの空き瓶が一本ある。
透明の瓶に子どもがお絵描きしたようなラベルが貼られていて、実際にそれは、お子さんが描いた絵がラベルに採用されたものらしい。
黄色い洋服の女の子が赤い傘をさして雨の中をお散歩しているその絵は、味わいがあってとても楽しい。
わたしの傘も赤だし、その絵のすみっこには一匹の小さなカタツムリがいて、どうしても捨てることができなかった。
わたしにとって、傘もカタツムリも大好きな大切な存在なのだ。
この絵を描いた子の傘も赤なのかな、雨やカタツムリが好きかな、なんて思いを巡らせた。

その瓶の出番がきた。とうとうきた。やっときた。
これ以上のタイミングはないと確信して、猫のボトルから女の子とカタツムリのボトルにアジサイを移してみる。
かわいい。かわいすぎてどうしよう。かわいいを何度言ったかわからない。


そんなこんなで、このアジサイがうちに来てそろそろ一ヶ月になる。
アジサイは猫の瓶とカタツムリの瓶を行ったり来たりしながら過ごした。
少しずつ色は褪せ、部分的にチリチリと乾いてきた。けれどもわたしにはまだハートに見える。
かわいくて何枚も写真を撮って、LINEでスタンプの代わりに何人かに送ってみたりしたけれど、だれにも形のことには触れられなかった。 やっぱりわたしの贔屓目だったのかもしれない。


数日間家を空ける予定がもともとあって、わたしのいない間に花がどうなるのか心配だった。
そうだ、少しだけ押し花にしておこう。
ここに生きていた証。しるし。思い出。
アジサイの、そしてわたしの。

普段はあまり見られなかった後ろ側の花と葉っぱを少し切って、重ねたティッシュに挟み、さらに紙に挟み、またうっかり忘れてしまわないように、大好きな宮沢賢治の童話集に挟んだ。
そしていつものようにアジサイのあたまを そっとぽんぽんして、 「行ってくるね」と言って家を出た。こんなのを誰かに見られたら、やっぱりあやしい人だと思われるのかもしれない。



あのお宅のお庭には 来年もきっとまたかわいいアジサイがたくさん咲く。
そして翌年の花のためにと剪定される花は、また通りすがりの花が好きな人へと分け与えられる。
それぞれの花は出会った人のことを癒して、花に癒された人はまた誰かを癒す。
そんなふうに、優しさはいつもくるくると循環している。

毎年今ごろの時期には、暑さに強くて涼しげなグリーンの満天星躑躅ドウダンツツジの枝を部屋に飾っているのだけれど、今年はもうこのアジサイ一本だけでいいなと思った。

かわいいアジサイが わたしの帰りを待っている。
なるべく早く帰らなくちゃ。
梅雨はいつまで続くのだろう。






#257.  『 梅雨 』

⭐︎一本の紫陽花を横抱きにして家路を急ぐ梅雨の夕暮れ

⭐︎貴船山の青きもみじに雨粒は満ち満ちており七夕近し

     ー ちる ー

ここにあることを
忘れないように


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