離婚して、バックパックひとつになるまでにやった3つのこと
今、私の持ち物は、バックパックひとつだけです。
きっかけは、離婚でした。といっても、離婚をしたから全部手放した、という単純な話ではありません。今に至るまで、私は3回、大きく「手放す」を経験しています。
離婚したのは、マレーシアで語学留学をしていた最中のことでした。そのまま日本に帰るのではなく、海外に残ることを選んだ私には、まず日本の仕事と置いてきた荷物をどうするか、という問題がありました。
1:日本での仕事を手放した
日本に帰って一人暮らしを始め、待ってくださっているクライアントさんや、所属していた協会に戻って仕事を再開する、という選択肢もありました。だって正直、これまで積み上げたものを手放したくない…
けれど、現実的に東京での生活を立て直すことは選ばず
日本での仕事も手放す決心をしました。
2:日本に残した荷物を手放した
住んでいたマンションは夫がそのまま住み続けることになったので、家や家具を手放す必要はありませんでした。
問題は、仕事道具です。私は商品撮影カメラマンとスタイリストとして働いていて、機材やプロップス(撮影小道具)の量はとにかく多く、気づけば家の収納棚の中はほとんど仕事関係のモノに占領されていました。
実家に荷物を送るという選択肢は選びたくありませんでした。海外は家具付きの物件が多く、大きな引っ越しのような対応をしなくていいことも分かっていました。それに、もし海外で同じ仕事を続けるとしても、日本から大量の道具を運ぶより、現地で必要なものをまた買えばいいと思えたんです。
一時帰国した際に家でフリマを開いて、全てを手放しました。
3:マレーシアで増えた荷物を手放した
ちなみに、留学のために持って行っていた荷物は、実はかなりの量。
洋服類にカメラ機材…
当時の私は、持ってきた荷物が多く、ハウスメイト(シェアスタイルの部屋で暮らしていました)のマレーシア人に笑われるほど。
さらにマレーシアで生活する中で、荷物はまた少しずつ増えていきました。
けれど、ビザの期限が来て、移動しなければならなくなったとき、初めてその荷物と向き合うことになります。
きっかけになったのは、冬のヨーロッパへ旅行に行くと決めたことでした。荷物が多いままでは動けない。だったら、思い切って手放そう。そう思えたんです。
マレーシアの部屋でもフリマを開いたり、マレーシアに留学している学生へ残った荷物もお渡ししてバザーへ出してもらうことに。
こうして3回目の「手放す」を終えたとき、私の持ち物は、本当にバックパックひとつになっていました。
離婚、働き方、仕事道具、そしてビザによる移動。一つひとつは別々の出来事に見えるかもしれません。でも振り返ると、全部同じ方向を向いていました。
身軽になればなるほど、人生の選択肢は増える。
このnoteでは、離婚・ミニマリズム・海外での暮らしという3つの軸で、このあとの日々を記録していきます。
