インターネットが魔法だった日々(27)見知らぬ国の青年と、太陽の下で歌う日まで〜インド×奈良・国境を越えた音楽の物語〜
ある日突然、見知らぬインド人の青年から氷置晋くん宛に一通のメッセージが届いた。
「日本のアニメにインスピレーションを受けて曲を作ったんだ。日本語の歌詞を書いてくれないか」
DMの送り主はTanmay(タンメイ)という名の、インドに住む21歳の青年。まったく面識もなければ、日本語も通じない。普段ならスルーしてしまいそうな内容だったけれど、その日はなぜか気分がよくて、返事をしてみたらしい。

すると、あれよあれよと話が進んで、曲が完成してしまった。
Tanmayがハミングで歌ったメロディは、どこかインドらしい旋律で、節回しに少し苦戦していた。まだ会ったことのない遠い国の青年を想って綴った歌詞は、こんなふうになった。
「Sunrise」 作曲:Tanmay / 作詞:氷置晋
追いかけて 沈んでゆく 太陽を
あの丘へ 登ってみたくなって
赤く赤く 染まる空の下
遠い国の 君がいるから
さあ 太陽の向こう さあ まだ見ぬ君と共に
きっと いつか出会えるさ 夢見て踊ろう
さあ 太陽のそばへ さあ この声届くように
きっと 世界はひとつさ みんなで踊ろう
みんなで歌おう
みんなで笑おう
僕たちは 争わずにいられない
歴史から 学べないんだろうか
紅く紅く 染まる空の下
遠い国の 君がいるのに
さあ 太陽の向こう さあ 君に会いに行こうよ
手を繋いで さあ 一緒に歩き出そう
さあ さあ さあ
さあ 太陽の下で さあ 君と出会えた奇跡
きっと 笑顔絶やさずに 一緒に踊ろう
ああ この広い空
踊ろう 小さな僕ら
このまま 日が沈むまで
そのまま 夜が明けるまで
さあ 太陽の下で さあ 君と出会えた奇跡
ずっと 笑顔忘れずに みんなで踊ろう
完成した音源を送ったら、Tanmayはとても喜んでくれた。 日本語の意味を知りたいと言ってくれたので、カナダに住む氷置くんの妹さんに頼んで英語訳もつけてあげた。インドと日本、国も文化も違うけれど、彼の音楽への情熱と、日本への深い愛情は、言葉の壁を越えてまっすぐに伝わってきた。
そう、実はこの『Sunrise』が生まれた2022年は、「日印国交樹立70周年」にあたる年でもあった。
奈良時代、東大寺の大仏開眼の導師をつとめたのは、南インド出身の僧・菩提僊那(ぼだいせんな)。そんな深いご縁を思えば、Tanmayとの出会いも、偶然ではなかったのかもしれない。

とはいえ、現実は甘くなかった。
当時はコロナ禍の真っ只中。加えて、ロシアとウクライナの戦争も始まっていた。 Tanmayは毎日のように「リリースはまだか」「日本に行きたい」とメッセージをくれたけれど、プロジェクトはなかなか動き出せずにいた。
そして2023年、ようやくコロナも終息したので、プロジェクトを再始動させることにした。
ミュージックビデオの制作、Tanmayの来日、リリースコンサートの開催。
この3つを叶えるために、クラウドファンディングを立ち上げた。目標金額は100万円。MV制作費、会場費、Tanmayの渡航費、そしてこの曲を広めるための広告費など。
結果、集まったのは46万円だった。全部はまかなえない。でもここまで来たらやるしかなかった。
まず、ミュージックビデオが完成した。
そして2023年12月のタンメイ来日のために動き出した。航空券やビザの手配、宿泊先の手配。特にビザの手配がものすごく大変だった。今回は「演奏する」ことが目的のため、「観光ビザ」ではなく「就労ビザ」になるのだ。
就労ビザのハードルはものすごく高い。本人の細かな移動スケジュール、移動手段や宿泊先だけでなく、受け入れ機関の納税証明書まで、いろんな書類が必要だ。しかもそれをすべて、日本語と英語で用意した。
何度も差し戻しをされ、再提出。その繰り返しで、どんどん来日の日が近づいてくる。実際に来日するまで、来れるのかどうか不安で仕方なかった。
そして迎えた当日、彼らはやってきた。2人で。

そう、最初はTanmayだけの予定だったのだが、途中で「歌手も連れていきたい」と言い出し、Prajwal(Jr.JD)も一緒にやってくることになっていたのだ。
とにかく無事着けてよかった。空港で彼らの旅行保険の手続きをして、車で奈良へ向かう。この時の出会いの様子はYouTubeにまとめてあるので、もし興味がある人がいたら見てほしい。
2日目、ホテルへ迎えに行って「観光でも行く?」と聞くと、「いや、そんなことより早く練習がしたい」「音を合わせよう」と言う。
真面目だ。・・・というより、めちゃくちゃ"アーティスト"だ。変なところで関心してしまった。

ひとしきり練習をすると、いい時間になってきた。実はこの日は、サンタウンプラザすずらん館の点灯式ライブに呼ばれていたので、彼らも一緒に連れていくことになった。
到着すると、とにかく寒い。
インドから来た彼らは、大丈夫だろうか?だいぶ薄着である。
心配になって、薬局でホッカイロを買って渡す。
「これは何????」そう聞かれたけど、うまく英語で説明ができない。
「こうやって貼るとあったかいよ!」身振り手振りで説明する。
伝わったのか伝わらなかったのかわからないけど、なんとなく理解してポケットに入れていた。

3日目、朝から東大寺へ行く。
鹿さんにびっくりするだろうな・・・そんなことを期待していたら、想像以上に手懐けていてこちらが驚いた。どうやら、インドでは牛が街中を闊歩しているから、慣れているらしい。

東大寺の大仏を見ると、感動して跪いて祈りをささげていた。どうやらインドの神様と大仏さまは関連する部分が多いらしい。思わず私もいつもより丁寧にお辞儀をした。

この日の夜に本番のため、EVANS CASTLE HALLへ向かった。
リハーサルを終えて、あっという間に本番である。
本番は、ソロあり、3人のコラボもあり、インドの曲もあり・・・。異国情緒あふれる非常に充実した内容となった。途中で挟むインタビューも、二人の人柄がにじんでいてとても良かった。
ライブ当日の様子もYouTubeにまとめてあるので見てほしい。


サインをするTanmay。

驚くことなかれ、この日で彼らと出会ってまだ3日しか経っていない。ちょっと信じられないほどの時間の濃さである。

4日目、彼らがどうしても行きたいと言っていたので、東京へ向かう。新幹線の中から見える富士山に興奮していた。

東京タワーに寄った後、Tanmayのおばさんが経営しているというインド料理屋さんに向かう。

なんと、六本木一丁目にあった。なんていい立地の場所にあるんだ。Tanmayはなぜか、おばさんに会うのをとても緊張している様子だった。その緊張感に、料理の写真を撮る余裕もなかったくらい。
私はマトンカレーが好きなので頼むと、すごく驚いた顔をされた。日本人で頼む人は珍しいらしかった。出て来た料理はどれもとてもおいしくて、Tanmayやおばさんとおしゃべりをしながら、インドの風を感じていた。

5日目、秋葉原へ行った。途中で、大学でウルドゥー語を専攻していた姉と合流した。

Prajwalが、お母さんと兄弟のために時計を買いたいと言って、電気屋さんの時計売り場にも行った。自分のものより先に家族のお土産を選んでいて、とてもやさしいと思った。
フィギュアを見て回ったり、太鼓の達人やシューティングゲームをしたり・・・。とにかくこの日は秋葉原で遊びつくした。気付いたらなんと秋葉原に6時間も滞在していた。
この時の様子もYouTubeにまとめてある。



6日目、最終日。いよいよ帰るだけになった。帰りは羽田空港から、インド・ムンバイへ向かう便だ。たった6日一緒にいただけなのに、なんだかすごく寂しい。
空港で最後の食事をし、またいつかの再会を約束して、さよならをした。
また会える日が来ますように。

