「dancyuじゃないよ」
*サムネ画像は非常勤先大学の学食のだし茶漬け(茶漬けシリーズを作るきっかけ)
今年は久しぶりに大きな空間で展覧会が出来て、賛否の意見を頂けました。
面白くない場合、大概の方は無言になるので何かしら言って頂くのはありがたいことです。そんな中で「(茶漬けシリーズについて)dancyuだ」と仰られた方がいました。
想定内ではありますが、もちろん違います。
違うよ!と言わねばなりませんが、その前に世間一般のdancyuのイメージを、知っていそうで知らないのでAIに聞いてみました。
『「料理をすることが好きな人」に向けて「ふつう」の視点から美味しい食の情報を発信する、というコンセプトと、プレジデント社発行の食雑誌(季刊誌)としての存在、そして元編集長の植野広生氏の「日本一ふつうで美味しい」という哲学が象徴する、親しみやすく、日常に寄り添う食のガイド役としての立ち位置を指します。 』
まず、茶漬けシリーズと比較してみると、「普通」は作品のテーマの一つではあります。
その点は重複しますが、私は「美味しい食の情報を発信」は行っていません。
SNSを使うことで「食」を発信している体裁を取りつつ、「普通の日々」が如何なる美術に変換しうるか問うています。
それが人によっては「食のガイド役」のように見えるのでしょうか?
次にこの作品では、普通の日々を「円(丼)の反復」に託している点。円の中に茶に浸された飯を描いていますが、フリーハンドで描くために歪みひとつひとつ違っています。
添える食材も変わるので全く同じ茶漬け絵はありません。生きていると繰り返しの日々の中にもいろいろなことがあります。
「反復」はミニマルアート から引いてきていますが、20世紀中頃に出現したミニマルアート のように厳密に反復するのではなくて、振れながら繰り返すことで逸脱を目指しています。
また、画像の中には調味料や食材、茶銘を表記しています。古い日本美術には同じ画面に文字と絵が混在するものが多数存在して、
それが明治期に西洋化されることで、文字と絵が分離した。
そのことを疑問に思うところから画面に文字情報を入れています。
さらに、調味料や食材、茶銘を表記することは食品メーカーや生産者(他者)に対するリスペクトを表すためでもあります。
極力シンプルに記録すること。
私は料理家ではないですし細かいレシピはありません。むしろ、あなたのお好みでどうぞ!
これまで殆どの時間を別の仕事もしつつ、制作と労働を行き来してきました。
労働に時間を取られて歯がゆい思いは常にありますが、どうせ時間を取られるならば、労働やそれに付随する営みからモチーフを拾って作品に変換できぬか。と、思考する癖がついています。
食い扶持仕事もまた制作に影響を与えており、労働と制作を紛らかす。
実は私の作品の多くが兼業する環境から生まれていて、それらは労働と制作を紛らかすことの実践だったと振り返っています。。
*「紛らかす」は室町時代の茶人、村田珠光の言葉「和漢の境をまぎらかす」から引用しています。
この茶漬けシリーズに関しては、ここ10年ほど日本茶に関わって、象徴的に「茶で食べる」ことを考えたら茶漬けにたどり着いた。といったところでしょうか。
美術の学校では、作る技術そのものは教わりますが、作ることを維持していく方法は習いません。
そもそも人が生きる環境は生まれたときからそれぞれ違うもので、維持させるやり方は100人いたら100の方法がありうるので、教えようがなく、個々にサバイバル技術を見つけていくしかない。ということに尽きます。
100人のアーティストがいたら100通りの維持の仕方がある。
なにともあれ、人は人、自分は自分という事実を受け入れて、自身の活動を持続可能にする方法もまた、作り出す必要があります。
私はこのように続けていること自体が、ある種の社会実験だと考えて続けてきました。
「何故、茶漬けを作って描いているのか?」についての答えは一つではないですが、今後も考えながら可能な限り続けたいと思います。
書き出してみると、やはりdancyuの要素は皆無でした。
それでは皆さま、本年もお付き合いくださいましてありがとうございました。
来年以降も引き続きよろしくお願いいたします。
良いお年を!
(最近は茶漬けの前進である茶粥・茶飯研究を力を入れています)


