西武黄金期のDNAは、なぜホークスに受け継がれたのか――川越透が見た常勝軍団の舞台裏、工藤公康、秋山幸二、王貞治―受け継いだ勝利の哲学、工藤公康の「魔球」を止めた男
【ノンフィクション・コラム】
黄金期のDNAを、丹波の地へ――。
――川越透が語る、工藤公康の「魔球」と西武レジェンドたちが遺した「勝つための血脈」
文・ちとく魂
「指導者の熱い思い一つで、チームはガラリと変わる。今はまだ発展途上かもしれない。でも、誰かの内側から灯る本気の火が、周囲を変え、奇跡を起こし始めるんだ。それを僕は、プロの最前線で、この目で見てきたから」
時計の針が16時を回り、グラウンドに長い影が伸び始める。すっきりと晴れ渡った晴天の夕方。18時までの2時間にわたり、九州の大きな新聞社から訪れた記者を前に、元プロ捕手・川越透の言葉には、いつも以上の熱がこもっていた。

西日に照らされながら彼が紐解いてくれたのは、かつて福岡ダイエーホークスのマウンドに君臨したサウスポー・工藤公康との息詰まるバッテリーの記憶、そして球史に燦然と輝く西武ライオンズ黄金期のDNAが、いかにしてホークスへと注入され、最強軍団の礎となったかという、あまりにも濃密なプロの現場の真実だった。

■ 1995年8月、若き捕手が「エースの相棒」に指名された軌跡
公式のチーム記録を紐解くと、当時の生々しい戦いの足跡が浮かび上がる。
1995年8月4日の近鉄バファローズ戦。川越は「8番・捕手」としてスタメンに名を連ねた。そこから一気に、彼のプロ野球人生は加速していく。
それまで坊西や安田がマスクを被っていたエース・工藤公康の先発マウンド。しかし、8月6日の近鉄戦、8月12日の近鉄戦、そして8月18日のオリックス・ブルーウェーブ戦……日付を追うごとに、「P工藤―2川越」の文字がスタメン表に完全に定着していく。川越が工藤の信頼を勝ち取り、名実ともに「エースの相棒」へと登りつめていく緊迫のドラマが、そこには確かに記録されていた。
しかし、二人の始まりは、張り詰めた緊張感に満ちていた。
まだ川越が若手だった頃、初めて工藤の球を受ける機会が巡ってきた。マウンドの工藤は不敵に笑い、「おい、ワンバウンドになるから、しっかり後ろにそらさずに止めてみろよ」と、若き捕手を試すように鋭いボールを投げ込んできた。

川越は必死だった。工藤が繰り出す極上のキレを持つボールを、一球、また一球と貪欲にミットに収めていく。全力を尽くしてすべての球を捕球し終えた時、マウンドの工藤の目の色が変わった。
「おっ、なかなかいいな。おい、早く一軍に上がってこいよ!」
その一言が、川越のハングリー精神に火をつけた。
やがて一軍の舞台で、その才能が完全に認められる瞬間が訪れる。近鉄バファローズの強打者・鈴木貴久選手との対戦。緊迫した場面で、川越は工藤のインサイド(内角)へ果敢にストレートを要求した。狙い通りに鈴木選手を三振に打ち取った瞬間、工藤は初めて川越を「一人の相棒」として認めた。
工藤という投手は、ただ単にボールが凄いだけではなかった。試合が終わればいつもスコアラー室へこもり、次の対戦に向けた配球の勉強を徹底的に行う、恐るべき研究家でもあった。
「配球というのはね、たまたまその一球で打ち取れたから合格、というものじゃないんだ」と川越は言う。
「前の打席、あるいはその前の打席からの『布石』があるからこそ、次の打席の勝負球が生きる。何も考えていない配球で結果的に打ち取れることもあるけれど、それはただの偶然。若いキャッチャーは『たまたま打ち取れた』ことで満足しがちだけど、プロの世界はそんなに甘くない。工藤さんの背中からは、配球の奥深さを本当に叩き込まれたよ」
同じチームの仲間だからこその、厳しいプロの洗礼もあった。同じくダイエーの主力投手であった吉田豊彦投手がマウンドに上がった際、川越は工藤の時と全く同じパターンの配球を組み立ててしまったことがあった。結果、試合は激しい乱打戦になり、なんとか勝利は収めたものの、これを見ていた工藤から猛烈に叱責された。

「なんで俺と同じような配球を他のピッチャーでするんや! ピッチャーそれぞれの特長を考えろ!」
その言葉を胸に刻み、川越はさらに思考を深めた。ある時、工藤に対して自身のリードの意図をはっきりとぶつけた。「外の球でファールを打たせます。もしボールになっても、相手が振ってくれたら儲けもんですから」
その明確なロジックを聞いた工藤は、「なるほどな」と深く頷き、ついに川越を一人前と認めた。
「よし、今日の試合は一切首を振らん。すべてお前に任せるから、リードしてみろ」
絶対的なエースから全幅の信頼を勝ち取った瞬間だった。
■ ストレートと同じ軌道から消える、二種類の「カーブ」
工藤公康の代名詞といえば、芸術的な大カーブだ。しかし、川越によれば、そのカーブは常人の想像を遥かに超えるものだった。

「工藤さんのカーブには、明確に2つの種類があった。ストライクを取りにいくためのカーブと、三振を取りにいくための勝負のカーブ。特に三振を取りにいく時の球は、ギリギリまでストレートと全く同じ軌道で、手元に突っ込んでくるんだ。だから打者はストレートだと思って完全に差し込まれる」
しかし、それは受ける捕手にとっても命がけの作業だった。
「実は公式戦の真っ最中、その2種類の軌道の違いに対応しきれず、ミットが届かないことがあってね。あの凄まじいキレだから、まともに捕球できなくて、とっさに胸に当ててボールを前に落として止めたことがあった。それくらい、工藤さんのカーブは普通のカーブとはモノが違った。並大抵のキャッチャーでは、触ることすらできない球だったんだ」
実際、夕方の取材に訪れていたベテラン記者からも、こんな逸話が明かされた。かつて工藤投手が日本代表として関西大学との壮行試合に登板した際、アマチュア界の一流捕手たちですら、その急激に変化する魔球を全く捕球できず、大苦戦したという。それを一軍の舞台で、何事もなかったかのように何なく捕球し続けていた川越の技術は、プロの中でも傑出していた証拠に他ならない。
■ 誰もいない食堂で、秋山・石毛に挟まれた「2時間の衝撃」
そんな川越にとって、今でも忘れられない激しい夜がある。

スタメンデータにも残る1995年の激闘の日々。自身のリードの隙を突かれ、チームがボコボコに打たれて惨敗を喫した日があった。責任を背負い込み、遠征先の宿舎の食堂へ一人でバイキング形式の食事を取りに行った川越。沈んだ気持ちで席に座ると、静まり返った食堂に、あの2人のレジェンドが姿を現した。
センターからすべての配球を見つめていた秋山幸二。そして、チームの精神的支柱であった石毛宏典。
2人は、ぽつんと座る川越を左右から挟むようにして席に座った。誰もいない食堂で、重苦しい空気が流れる。そこから、実に2時間に及ぶ、熱い「西武ライオンズ黄金期の講義」が始まった。
「西武がなぜ、あそこまで圧倒的に強かったか知っているか?」
秋山は川越の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「俺たちはな、最後の1点をもぎ取る野球を徹底してやっていたんだ。何が何でも、泥臭くても次の1点を取りにいく。その姿勢を、レギュラーもベンチも、スコアラーもピッチャーも、チーム一丸、全員で共有して戦っていた。それが西武の黄金期だよ。俺は九州の出身だから、このダイエーホークスをどうしても日本一にしたい。勝てるチームにしたいんだ。だから、あの全員で1点を奪いにいく強い野球を、このチームに持ち込みたいんだよ」
レジェンドたちの勝利への凄じい執念に、若き川越の身体は震えた。彼らは負け犬の根性が染み付いていた当時のホークスを変えるため、本気で戦っていたのだ。
■ 王監督の激昂と、現代へつながるホークスの血脈
そして、チームが完全に生まれ変わる決定的な瞬間を目撃する。ある日のミーティング、普段は穏やかな王貞治監督が、一度だけ、周囲の誰もが見たこともないほど激昂し、ブチ切れたことがあった。
「俺は、このチームでどうしても勝ちたいんだ! プロの世界はな、勝たなければ何の意味もないんだよ! 結果を出して、勝ってこそ初めてプロなんだ。負けてヘラヘラしているような奴は話にならない!」

静まり返る部屋の中で、王監督の怒号が響き渡った。川越は当時のことを「あの時の王監督の迫力には、背筋が凍りついた。全員が直立不動で、部屋の空気がビシッと締まった。あの瞬間は今でも絶対に忘れられない」と振り返る。
王監督の勝負への徹頭徹尾たる姿勢、そして工藤や秋山が持ち込んだ西武黄金期のハングリー精神。これらが奇跡の化学反応を起こしたからこそ、万年Bクラスだったダイエーホークスは常勝軍団へと生まれ変わり、現在の福岡ソフトバンクホークスの強固な礎が築かれたのだ。

■ 熱き思いを、次世代の指導者たちへ
「僕は、あのプロ野球の歴史が変わる瞬間、本物の人間たちが命をかけて戦う現場に、ダイエーホークスの一員として14年間立っていた。空間の熱量を、身をもって体感した。だからこそ、この経験を若い世代や、これからの野球界を背負う若い指導者たちにどうしても伝えたいんだ」
たまたま縁があってやってきた、地方の、まだ実績のない学校かもしれない。今はまだ、周囲から「無理だ」と言われているかもしれない。しかし、川越の胸の奥で燻り続ける「工藤公康の魔球の記憶」や「王監督の執念」は、少しも衰えていない。

18時を迎え、グラウンドを照らす夕日が茜色に深く染まっていく。この日の2時間に及ぶ濃密な取材は、関西の雄である関西大学との知られざる歴史からプロの深淵まで、まさに川越という男の野球人生そのものを映し出す時間となった。新聞社の記者がわざわざこの地に足を運ぶ理由が、そこには確かにあった。
「上の人間が変われば、チームは必ず変わり始める。ここで、誰も見たことがないような熱い野球をやって、子供たちと一緒に新しい景色を見たい。そのために、僕はここで全力で指揮を執り続けるよ」

プロの最高峰で14年間生き抜いてきた男の血脈は、いま、夕暮れのグラウンドで白球を追う少年たち、そしてこれからの指導者たちへと、確実に受け継がれようとしている。川越透の情熱のノックは、まだ始まったばかりだ。

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