見出し画像

門田博光の後ろ30センチで見た世界――川越透が震えた「重低音のスイング」44歳まで打ち続けた理由

【ノンフィクション・コラム】

不惑の大砲・門田博光の「狂気の肉体」と、静寂のドームで見た鉄人の背中

――川越透が脱帽した、投手を竦ませる“重低音”と命がけの「流儀」

文・ちとく魂

思わず目を閉じた、キャッチャーマスク越しに聞こえたのは、風切り音ではなかった。昭和の怪物が空気を引き裂く地鳴りだった…。


「プロの世界で、色んな凄い選手たちを見てきた。だけど、これまで出会った中で、本当に一番凄まじいトレーニングをしていたのは、間違いなく門田(博光)さんだ」
59歳となった川越透の目は、まるで今、目の前でその光景が行われているかのように熱を帯びていた。
昭和から平成の初頭にかけて、40歳を過ぎてなおホームランを量産し、球史に「不惑の大砲」としてその名を刻んだ超一級のスラッガー、門田博光。テレビの画面に映る門田さんは、どこか力みのない、おっとりとした雰囲気すら漂わせているように見えた。しかし、それはカモフラージュに過ぎなかった。


グラウンドの裏側、ファンの目の届かない場所で門田さんが見せていた姿は、文字通りの「球道者」だった。
ある年のキャンプ。全体練習が終わり、周囲の喧騒が静まり返った頃だった。球場のシャッターが下ろされ、薄暗いドームの室内練習場へと場所を移した門田さんの姿を、川越は見つめていた。
「門田さんの練習、一緒にやってみるか?」
声をかけられ、高鳴る胸を抑えて「ぜひ、やらせてください!」と飛び込んだ川越だったが、その直後、プロとして生きてきた自負を根底から覆されるほどの衝撃を味わうことになる。

■ 体操選手さながらの90度キープと、常軌を逸したウエイトトレーニング

「信じられなかった。一見すると、少し小太りで、がっちりした体型に見えるじゃない。だけど、中身は完全にバケモノだったんだ」
門田さんが始めたのは、信じられないような自重トレーニングだった。
鉄棒のような器具にぶら下がると、まるで体操のオリンピック選手のように、両足を地面と水平に、綺麗に「90度」に跳ね上げた。大人が1秒と耐えられない地獄のような姿勢。それを門田さんは微動だにせず何分間もキープし、ゆっくり下ろしてはまた繰り返すのだ。


さらに腕を前に前に習えで重いダンベルを静止させる特訓など、常軌を逸したウエイトトレーニングを40歳を過ぎても楽々とこなしていた。当時、まだ球界で「筋肉を硬くする」とウエイトが敬遠されていた時代から、門田さんは独自の信念で肉体を叩き上げていた。
ついていこうとした川越だったが、あまりの負荷の高さに体が悲鳴を上げ、途もので完全に置いていかれた。それどころか、トレーニングが終わったあと、あまりの過酷さに手を広げてタッチした瞬間に、自分の方が怪我をしてしまうほど、門田さんのトレーニングの強度は「やばすぎた」のだ。

■ 捕手の至近距離で体感した、空気を引き裂く「重低音」と命の危機


そして、その強靭な肉体から繰り出されるスイングの凄みを、川越は「投手の逆位置」、つまりバッターのわずか数十センチ後ろに座る「キャッチャーの視点」から、誰よりもリアルに、恐怖と共に体感していた。


「ピッチャーは18.44メートル離れたマウンドからスイングを見るけれど、僕たちキャッチャーは、バットが弧を描くその軌道のすぐ後ろに座っている。だから、凄さがダイレクトに伝わるんだ。普通、バッターの風切り音っていうのは耳元で『ビュン!』と高く鋭い音がするもの。だけどね、門田さんのフルスイングは全く違った。バットが空を切ると、少し遅れて、切り裂かれた空気が塊になって『ゴオオオオ……』という、地鳴りのような低い重低音がキャッチャーマスク越しに鼓膜を揺らすんだ」
1キロ(1030g)を超える超重量バットを頭の上から振り下ろすそのスイングは、風圧だけでキャッチャーの体を後ろへ押し戻すほどのエネルギーに満ちていたという。


「至近距離でその音を聞き、目の前を通過するバットの軌道を見ているだけで、鳥肌が立ったし、本能的な恐怖を感じたよ。もし、あのフォローロースイングが少しでも狂って、後ろにいる自分に当たったら命はない、と本気で身構えるほどの殺気があった。170センチと小柄なはずなのに、キャッチャーボックスから見上げる門田さんの背中は、まるで巨大な壁のようにホームベースを覆い尽くしていた」

■ 3メートル前から体感150キロ、通路を封鎖する30分の緊迫感

門田さんの練習は、すべてがその「命がけ」の延長線上にあった。
試合前のフリーバッティングが始まると、門田さんは打撃投手を通常の投手マウンドよりも3メートル近くも前に立たせた。いくら打たせ屋のボールとはいえ、至近距離から投げ込まれる球は、打席での体感速度は150キロ、160キロを優に超える。
「落合(博満)さんなんかはね、試合前に緩いスローボールをポーン、ポーンと真芯で捉えて、良いイメージを作って試合に入っていった。落合さんが『静』なら、門田さんは完全に『動』であり『狂気』。前に出て、体感150キロ以上の速球を思い切り投げさせるんだ。一歩間違えれば体に直撃するし、打ち返した打球がピッチャーを強襲する危険だってある。そんな命がけの練習を毎日繰り返して、そのうちの8割をライト、センター、レフトへと寸分狂わずにスタンドへ放り込んでいくんだから、言葉が出なかったよ」
さらに、試合直前になると、ロッカーとベンチを繋ぐ通路にある大鏡の前で、門田さんの「終わらない素振り」が始まった。
一旦、本番のスイッチが入ると、何人(なんぴと)も寄せ付けない殺気立った空気を発しながら、黙々と30分は振り続ける。そのため、通路は事実上の“通行止め”になった。


「もしロッカーに忘れ物をしたらさ、『すいません……』って門田さんの素振りの邪魔をして通らないといけないんだ(笑)。汗だくになった門田さんにジロッと睨まれるあの瞬間といったら、生きた心地がしなかったよ。これは絶対に忘れ物はできんなと、チーム全体にいつも凄まじい緊張感が走っていた。群れず、媚びず、ただひたすらにホームランを追求して一人で黙々とバットを振る。あの修行僧のような、お坊さんのような孤高の背中こそが、プロで生き残り、名を成すということの意味を、僕たちに無言で教えてくれていたんだ」

■ 脳の奥底に火をつけ、自分の「軸」を貫くこと

キャッチャーボックスという「特等席」で門田さんの狂気を見つめ続けたこの記憶は、今、高校で部員19人の侍たちを指導する川越にとっても、ベースにある「感情の野球論」にとっても、最高の教科書となっている。
「人間の心は外側

からできてるんじゃない、内側からできてる。脳みその一番奥のほうに火をつけたら、人間は変わるんです。理屈や体裁じゃなく、本当の楽しさや、執念のレベルで野球をやる。そうすれば奇跡は起きる」
門田博光という男は、まさに自分の脳の奥底にある「ホームランへの執念」に、生涯消えない大きな火を灯し続けた人だった。若い頃に左投手を大の苦手とし、周囲からあれこれ理屈を言われても、2メートル前に立って始動を遅らせる独自の特訓を開発し、ついには左投手からも量産してみせた。アキレス腱断裂という絶望的な大怪我を負っても、下半身に頼らず上半身と体幹の鋭い回転で運ぶ独自の骨組みを一人で組み立て、44歳まで現役を貫いた。


「高校生たちにも、門田さんのような本物のプロフェッショナルの姿を知ってほしい」と川越は願う。
大人が外側から理屈や規則でガチガチに固めたチームは、逆境で脆い。しかし、選手一人ひとりが「自分を成長させるために、この練習をやり切るんだ」と内側から火を灯し、門田さんのように泥臭く自分を追い込むことができれば、部員19人の公立校であっても、私学の強豪をなぎ倒す強靭なチームへと化けるはずだ。
「テレビで見せる姿がすべてじゃない。裏でどれだけ命をかけるような努力をしているか。19人の子供たちにも、その『本物のプライド』を植え付けていきたい」


雨が上がった丹波のグラウンドで、川越のノックバットにさらに熱がこもる。かつてキャッチャーマスク越しに見た門田博光の、あの絶対にブレない90度の肉体と、背後を震わせたあの空気の重低音。その本物の記憶を受け継いだ指導者がいる限り、高校の侍たちの未来には、どこまでも熱く、限界のない可能性が広がっている。


#門田博光 #川越透 #不惑の大砲 #ホームランアーティスト #スポーツノンフィクション #野球の理 #ちとく魂 #捕手の視点 #昭和プロ野球 #プロフェッショナルの流儀 #孤高のスラッガー #感情の野球論 #考える野球 #本物の基準 #常勝のDNA #スポーツジャーナリズム #高校野球指導論 #丹波から全国へ #野球人育成 #川越透が見た本物たち

いいなと思ったら応援しよう!

2045年甲子園実行委員会 よろしければ応援お願いします! いただいたチップは野球活動費としての活動費に使わせていただきます! よろしくお願いします。