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古田敦也「誰も知らなかった捕手 ――川越透が忘れられない0対3の敗戦」 見逃された数々の才能は、違う場所で芽を吹かせる

【ノンフィクション・コラム】
データの罠に落ちた夏。名捕手・古田敦也の「知られざる覚醒前夜」
――川越透が体験した“名前も知らない公立校”の奇襲と、現場から届いた足音

「まさか1回戦で負けるとは、夢にも思っていなかった。あの時は古田(敦也)のことも、川西明峰高校のことも、正直に言って全く相手にしていなかったんだ」
59歳となった川越透は、遠い夏の記憶を振り返りながら、苦笑いを浮かべた。
今でこそ古田敦也は、日本球界を代表する名捕手として広く知られている。しかし川越との最初の出会いは、プロの華やかな舞台ではなく、兵庫県の泥臭い夏の高校野球だった。
当時、川越が在籍していた兵庫商業は県内でも実力校として知られていた。
そして彼らが組み合わせ抽選会の後から見据えていたのは、ただ一校だった。
強豪・三田学園である。



当時の三田学園には、後に関西大学で指導者としても活躍する火置昌宏(ひおき まさひろ)投手がいた。
川越の記憶によれば、火置投手は秋の近畿大会で比叡山高校を相手に延長18回を一人で投げ抜いた伝説的な右腕として知られ、その存在感は兵庫県内の高校球児たちに強烈な印象を与えていたという。
兵庫商業の首脳陣も選手たちも、頭の中はその怪物をどう攻略するかでいっぱいだった。
「監督とも『三田学園戦にはサイドハンドでいくか、左ピッチャーでいくか』という話ばかりしていた。1回戦の川西明峰戦は、どの投手を試すかという感覚だったんだ」
無理もなかった。
当時の川西明峰高校は創立間もない公立校で、高校野球の実績もほとんどなかった。
川越たちにとっては、正直なところ“通過点”という認識だった。
完封負けなど、誰一人想像していなかったのである。

■ 10代の古田が張り巡らせた「見えない網」
ところが試合が始まると、兵庫商業は妙な違和感に包まれた。
会心の当たりが抜けない。
鋭い打球がことごとく野手の正面へ飛ぶ。
外野手はまるで打球方向を知っているかのように守っている。
得点が入らない。
流れが来ない。
そして気がつけば、スコアボードには0対3という数字が刻まれていた。
完敗だった。
「あれは後になって思ったことなんだけど、彼らはかなり相手を研究していたんだと思う。打球の傾向や選手の特徴をよく把握していた。当時はそこに古田がいるなんて思ってもみなかったけれど、後に彼がプロで活躍する姿を見て、『なるほど、あの頃からそういう野球をやっていたのかもしれないな』と思ったよ」
もちろん詳細な実態は今となっては分からない。
しかし川越にとって、あの日の違和感は後の古田敦也という存在と重なって見えている。
公立校の無名捕手だった少年は、すでに球界の歴史を変える捕手としての片鱗をのぞかせていたのかもしれない。


■ 「メガネの捕手は難しい」と言われた時代
その後、古田は立命館大学を経てトヨタ自動車へ進んだ。
大学時代には日本代表にも選出されるなど高い実績を残していたが、プロ入りへの道は決して順風満帆ではなかった。
当時の球界には、今では考えられないような先入観も存在していた。
「当時は『メガネをかけた捕手はプロでは難しい』という見方をする人もいた。今から考えると信じられない話だけど、そういう時代だったんだ」
川越はそう振り返る。
結果的に古田は社会人野球を経由し、ヤクルトスワローズへ入団する。
そして、その後の活躍は説明するまでもない。
日本球界を代表する捕手となり、名球会入りを果たした。


■ 現場だけが知っていた本物の評価
しかし、そんな世間の評価とは別に、現場ではすでに古田の能力を高く評価する声が上がっていたという。
川越がダイエーホークス時代、トヨタ自動車出身の選手に古田について尋ねた時のことだった。
返ってきた答えは驚くほど一致していた。
「古田は本物ですよ」
特に評価されていたのはブロッキング技術だった。
ワンバウンドのボールを後ろへ逸らさない。
身体を柔らかく使い、常に投手を安心させる。
派手なプレーではない。
しかし捕手として最も重要な能力の一つだった。
「技術の話になると、みんな口をそろえて褒めていた。現場の選手たちは本当にすごいと思っていたんだろうね」
川越はそう語る。
スカウトの評価だけでは見えない部分を、実際にプレーした選手たちは見抜いていたのである。


■ 19人の侍たちと追いかける夢
「あの時代の兵庫県は、本当にすごい選手がたくさんいたんです」
川越は懐かしそうに振り返る。
洲本高校の川端。
三田学園の火置昌宏。
そして川西明峰高校の古田敦也。
公立、私立を問わず、後に球界で名を残す選手たちがしのぎを削っていた。
そして今、川越は高校で新たな挑戦を続けている。
部員は19人。
決して多くはない。
しかし紅白戦ができる人数がそろい、チームは少しずつ前へ進み始めている。
「僕自身も公立高校の出身だからね。やっぱり公立校が強豪私学を倒して甲子園に行く。そんな夢を追い続けたいんだ」
川西明峰高校でプレーしていた古田敦也もまた、一人の公立高校球児だった。
その当時、誰が後の名球会入りを想像できただろう。
誰が日本球界を代表する捕手になると予想できただろう。
未来は誰にも分からない。


だからこそ高校野球は面白い。
今、丹波の空の下で白球を追いかける19人の中にも、まだ誰も知らない未来の主人公がいるかもしれない。
かつて兵庫商業が見落としていた川西明峰高校の捕手が、日本球界の歴史を変えたように。
本当に大切な才能は、いつも静かな場所で育っている。
川越透が忘れられないあの夏の敗戦は、終わった物語ではない。
古田敦也という伝説へと続く、壮大な物語の始まりだったのである。


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