オレンジのツバを目指して――川越透が語る、一軍だけに許された帽子とスパイクガッチャマンヘルメットの時代――福岡ダイエーホークスに宿った「本物のプライド」
【ノンフィクション・コラム】
漆黒の戦闘服に宿る火、そしてガッチャマンヘルメットのロマン
――川越透が語る、山本寛斎の意匠と、運命を分ける「帽子とスパイク」の格差
文・ちとく魂

「プロ野球のユニフォームやデザインといえば、やっぱり岡本太郎氏の近鉄バファローズ(猛牛マーク)の『芸術は爆発だ!』が有名だけど、あれは本当に絶妙なバランスだった。だけどね、それに負けないくらい攻めたものとして、我がダイエーホークスには、あの世界的デザイナーが手がけた伝説のユニフォームがあるんだ」
そう語る元プロ捕手・川越透の目は、まるで今も当時のスタジアムの熱気の中にいるかのように輝いていた。今のプロ野球界はなんとなく黒、白、紺色が主流になり、無難なデザインに落ち着きがちだ。しかし、昭和の終わりから平成の黎明期にかけて、福岡に誕生したばかりのホークスには、時代を先取る圧倒的な「攻めの美学」が存在していた。
川越は少年のように悪戯っぽい笑みを浮かべて、私に問いかけてきた。
「あの当時、めちゃくちゃユニークで、みんなから『ガッチャマン、ガッチャマン』って言われたあの鷹のヘルメットや、あの斬新なユニフォーム、誰が作ったか知ってる?」
その問いに私が「あの時代を代表するトップデザイナーですよね」と答えると、川越は「そう、1989年の福岡ダイエーホークス誕生に伴って採用された初代ユニフォーム。これをデザインしたのが、山本寛斎さんなんだよ」と、誇らしげに目を細めた。

■ 山本寛斎氏が仕掛けた「赤と黒」の情熱と、ガッチャマンヘルメット
1989年から1995年にかけて存在した、福岡ダイエーホークスの初代ホームユニフォーム。それは山本寛斎氏の真骨頂とも言える、情熱的な「赤と黒」を基調とした、当時の球界では非常に斬新でエネルギッシュなデザインだった。
「寛斎さんのデザインによって、あの当時では本当に珍しかった色合いのユニフォームがたくさんできたんだ。ホークスはもともと、南海時代からの伝統を引き継いだベージュが基調だった。そこに寛斎さんが鮮烈な赤のラインを入れたんだよ。そうしたら今度は、周囲から『ウルトラマン、ウルトラマン』なんて言われたりもしてね(笑)。1991年にはビジター用がグレー地にオレンジのストライプに変更されたりもした。

だけど、それ以上に強烈なインパクトを放っていたのが、あの装備品たちだった。ユニフォームのカッコよさを吹き飛ばすぐらい大胆だったのが、鷹の頭をデザインした通称『ガッチャマンヘルメット』さ。被る選手としては最初は複雑な気持ちもあったかもしれないけれど(笑)、今思えば実に面白くて斬新なデザインだった。
人選には悩むところだけど、あのヘルメットがよく似合っていた山本和範選手や藤本博史選手、この時代に眩い輝きを放っていた佐々木誠選手、被った姿がどこかお茶目で愛嬌のあった『ドカベン』こと香川伸行選手、現役メジャーリーガーとしてバリバリだったトニー・バナザード選手、そして大ベテランの門田博光選手……。ハンサムな選手も、武骨な選手も、外国人選手も、誰が被っても不思議としっくりきていたあたりは、さすが山本寛斎氏のデザインの良さ、底力だと感じるよね。
それに、背面に羽ばたく鷹と九州地方が描かれたグラウンドコート(ホーム用はオレンジ、ビジター用はグリーン)や、オレンジ地に焦げ茶のラインが入ったスパイク。あれは本当に格好よくて、他球団の選手からも羨ましがられたよ」

のちにオーナーサイドの意向(オーナーの息子さんの発案)もあり、チームは米大リーグのシカゴ・ホワイトソックスをモチーフにした白と黒の「FDH」ユニフォームへと変わっていく。
「あの『黒のユニフォーム』に変わったときの球場の雰囲気といったら、異様というか、とにかく凄まじい迫力だった。全員が真っ黒な戦闘服に身を包んでいるみたいで、相手チームからしたら『なんか怖いな……』と感じるほどの威圧感があったんだ。昔はそんな黒いユニフォームなんてどこもなかったから、あまりにも斬新すぎて本当に驚いたよ。
今の令和の時代は、ユニフォームをたくさん作ってコレクター向けに売り出す多様性の時代。現在でもファンやコレクターの間で寛斎さんの初代デザインは根強い人気があって、復刻グッズなどが販売されているよね。でも昔はホームとビジターの2着だけが当たり前だった。あの時代に、平和台のファンを驚かせ、楽しませたあのユニフォームとガッチャマンヘルメットは、間違いなくホークスの偉大な夜明けの象徴だったんだ」
■ 忘れられない平和台のドラマと、紛失厳禁の「8万円鷹ジャンバー」
川越の記憶の扉が開くと、当時の熱戦の光景が鮮やかによみがえる。Bクラスが定位置だった当時、福岡でのホーム開幕戦はいつも決まって、黄金時代を誇った最強・西武ライオンズが相手だった。
「西武相手に勝ち越すことすら難しかった時代だけど、ホーム開幕戦の2連戦はいつも善戦していたんだ。1989年のホーム開幕戦では山内孝徳さんが完投勝ちを収め、1991年には木村恵二が清原和博から5つの三振を奪い取った。1992年にはあの渡辺久信さんから4本のホームランを浴びせてサヨナラ勝ちしたこともあった。
そして何より忘れられないのが、1992年10月1日、平和台球場での最終戦となった近鉄バファローズ戦だね。若田部健一と野茂英雄の見事な投手戦になってさ。広永益隆の一発が決勝点になって、若田部が野茂に投げ勝った。翌年から舞台を福岡ドームに移すことが決まっていたから、最高の形で有終の美を飾れたんだ」

そんな激闘を共にした、背中に見事な鷹の刺繍が入ったグラウンドコート、通称「鷹ジャンバー」について、川越は笑いながら裏話を教えてくれた。
「あのジャンバー、いくらすると思う? 3万円? いやいや、もっとするよ。じゃあ10万円? いや、それはちょっと高すぎ(笑)。正解は、一着『8万円』。寛斎さんが作ったもので、全部に見事な刺繍が入っていたんだよ。だから、他球団の選手から『くれよ!』ってよく羨ましがられた。でもね、もしこれを無くしたりしたら球団からガチで罰金。実際に無くした選手もいたから、みんな血眼になってめちゃくちゃ大事に扱っていたよ。今でも誰にも譲れない、僕らの最高の宝物さ」
■ 一軍と二軍を分ける「橙色のツバ」と「ミズノの輝き」
話が佳境に入ると、川越はプロ野球の最もシビアで、最も選手たちのハングリー精神を掻き立てる「一軍と二軍の格差」について、実感を込めて教えてくれた。
「一軍に上がる。その瞬間、選手に何が渡されると思う?……実はね、帽子とスパイクがガラリと変わるんだ」

二軍の選手が被る帽子は、全体が真っ黒なもの。しかし、一軍への昇格を告げられ、遠征先や一軍のロッカーに足を踏み入れると、そこにはあらかじめ「一軍の証」が用意されているという。
「一軍に上がると、ツバの部分が鮮やかな橙色(オレンジ)になった帽子が、ロッカーにちょこんと置いてあるんだ。そしてスパイクも、二軍はアシックスだけど、一軍に上がった瞬間に『ミズノ』の特製スパイクが支給される。一軍に行かなければ、あのオレンジのツバの帽子を被ることも、ミズノのスパイクを履くことも絶対に許されないんだよ。

だから、たとえ途中で二軍に落ちてきても、その選手が『一軍を経験したかどうか』は、被っている帽子を見れば一目瞭然なんだ。上がったことがない選手にとって、その帽子は羨望の的であり、残酷なほどの格差の象徴でもある。だけど、だからこそ、みんなあのオレンジのツバの帽子が被りたくて、ミズノのスパイクを履きたくて、二軍の選手たちは泥にまみれて必死にこれを目指して頑張るんだよね。
■ 道具に宿る、本物のプライド
プロが用意する「形」には、それだけの価値と、選手を奮い立たせるだけの「格」がある。一軍のあのオレンジ色の帽子、ミズノのスパイクに懸けた男たちの執念。それこそが、選手を内側から突き動かす最大のエネルギーとなる。
「テレビで見せる姿がすべてじゃない。上の舞台に行くために、選手たちがどれだけの執念を燃やし、道具一つにどれだけのプライドを懸けているか。そして怪我とどう向き合い、肉体をコントロールしていくか。いま僕が指導している子供たちにも、その『本物のプライド』を植え付けていきたい」
川越の言葉には、プロの最高峰の華やかさと、残酷なまでの挫折の底、その両方をくぐり抜けてきた者だけが持つ、絶対的な説得力が満ちていた。
「福岡ドームの時代からファンになった人たちにも、あの平和台球場を彩った山本寛斎さんの赤と黒のユニフォーム、そしてガッチャマンヘルメットの時代をぜひ知ってほしい。そして、いま白球を追う地元の公立校の子供たちにも、いつかあの最高の一軍の舞台へ駆け上がってほしいね」
夕暮れの伊丹の街、接骨院の大きな鏡の前で、川越の指導に熱がこもる。山本寛斎氏が手がけた情熱的な色彩、あの一軍のオレンジ色の帽子に懸けた男たちのハングリー精神、傷を負ってもなお地域に根を張る元プロの執念。その本物の記憶と情熱を受け継ぐ少年たちの中から、いつか甲子園の土を踏み、あのオレンジのツバを誇らしげに掲げる男が生まれるに違いない。

あのガッチャマンヘルメットも、8万円の鷹ジャンバーも、ただの道具ではなかった。
そこには福岡ダイエーホークスという新しい球団が背負った夢と、プロ野球選手たちの飢えが刻まれていた。
一軍だけに許されたオレンジ色のツバ。
ミズノのスパイク。
その小さな違いのために、男たちは二軍のグラウンドで泥だらけになり、傷だらけになりながら白球を追い続けた。
川越透が今、少年たちに伝えようとしているのも同じことだ。

本物の世界は、ほんの少しの差でできている。
だが、その差を越えた者だけが見ることのできる景色が確かに存在する。
オレンジ色のツバは、その入り口だった。


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