小俣 和一郎著:「精神医学とナチズム ―裁かれるユング、ハイデガー」への批判。そしてユングの「ヴォータン」。
本書におけるユングについての記述は認識が浅いと感じます。
いくらフロイトたちユダヤ人を亡命に追い込んだ後のドイツの「精神療法」の業界が、ナチ公認の「ユング派」に独占せれていたという事実があるにしても、ユング自身はそれと慎重に距離をとっていた可能性は、本書の記述を素直に読み解けば、むしろ見えて来る気がします。
「ユングはナチズムを支持している」というのはすべて外部の人間の発言で、本人の著作にはそうした言及はない。
唯一述べているのは、「アーリア的無意識はユダヤ的無意識よりポテンシャルが高い」ということを述べた論考ですが、これが性欲を強調するフロイト派に対する敵愾心から出た、「不用意な」発言というふうにむしろ読み取れます。
また、この著作の中で紹介された、「ヴォータン」という論考は、恐らく私がどの本かに収録されているのを実際読んだことがあります。
私は、「ドイツ民族の中で長い間眠っていた古代ゲルマン神話の神、ヴォータンが、死火山のように蘇って活動をはじめた」という記述を含むこの論考を、むしろナチズムへの警鐘の意味を込めたものという気がしながら読んだはずです。
更に言えば、ユングの言う「全体性」を「全体主義」と結びつけた小俣氏の論理展開は、そもそも小俣氏がユングのいう「全体性」概念を全然理解していないことを露呈している箇所でもあります。
人間の「自我(Ich)」(意識的自我)というのは「自己(Selbst)」のほんの一側面だけが認識されたものであり、いわば「自己」という太陽のまわりをまわる衛星のようなものに過ぎず、その他の側面は実は心のバランスを取る形で無意識下に「布置(constellation=星座)」されて、全体としては統合的に機能しているというのが、ユングの言う「全体性」の心理学ですから。
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私が思うには、ユングという人は、いったん理解してしまえは、非常に実用的な人間理解になる側面と、衒学的な側面の両方を持っています。
ユング個人がどれだけすぐれた臨床家であったかどうかはわかりませんが、現場臨床家にとって刺激的なパラダイムを提供したことは確かですし。個人的にはフロイト自身の著作より影響を受けたと思っています。
それに、フロイト自身も、この点では似たようなところがあり、自分が提唱した治療原則・・・これは今日に至るまで決定的な影響力を持っている・・・を現場ではいろいろと逸脱した人物であり、有名な症例にも脚色が多いことは、元患者の手記やインタービュー(狼男へのもの。オプフォルツアー「W氏との対話」は私も手短にですがレビューを書いています)などから今日では知られていますし。
非常に専門的になりますが、ネット上には以下のような資料もあります。
●フロイトと狼男(村井翔)
この「その2」の方に、
「神経症患者が、私はこれこれこういう経緯で目下の症状に苦しむようになったのだという病歴=患者の歴史・物語を語れるようになることは、直ちに症状を消滅させることはできないかもしれないが、症状を消し去れるようになるための、決定的なステップなのである。そして病歴=患者の歴史・物語とは、しょせん物語なのだから、真実であるにこしたことはないが、必ずしも真実でなくともよいことになる。」
と村井氏によって書かれていることは興味深い問題だと思います。
「物語化」という意味づけがその人を救済する。
これは多くの対話的心理療法に、流派を問わず(認知行動療法を含む)共通するテーマかと思います。
ここにはもちろん光と影の部分がありまして、新興宗教や占いでも、そうした「意味づけ」と「歴史」を与えられることが、少なくともとりあえずの救済になってしまう面があるわけで。
現在の最先端の現場では、一定の条件下での「ダイアローグ」という対話の過程における回復の可能性(精神病者を含む)というのが一番ホットなテーマです。
社会構成主義的な「ナラティブ」心理療法や「オープン・ダイアローグ」がこれにあたります。
・・・このことをいい出したら、これだけで一つの長大なエントリーが書けてしまいますが。
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なお、調べたところ、ユングの「ヴォータン」という論文は、現在では,
●ユング/現在と未来 (松代 洋一他訳 平凡社ライブラリー)
という本に納められているようです。
「ヴォータン」をナチへの警鐘として読解しないのはやはり困難でしょう。ヒトラー名指しでの、ドイツの集合的無意識暴走への警鐘そのものだと思います。
むしろ1936年の時点で、隣国スイスでとは言え、このような評論を書くのは危険といっていいくらいかもしれません。小俣氏はどう曲解したのでしょうかね。
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ユングは、この論考を、
「水はいずれ堰を破るに違いない。その時はヴォータンが『ミーミルの頭と何を語る』かが明らかとなるであろう」
と結ぶのですが、
ユングが言わんとすることを理解するためには、「ミーミルの泉」「ミーミルの首」についての知識が必要です。
●【北欧神話ってどんなもの?】初心者でもよくわかる、北欧神話のあらすじと神々。
================引用はじめ==================
オーディン(北欧神話における、ゲルマン神話のヴォータンにあたる)が目をつけたのは、巨人の国へ伸びた大樹・ユグドラシルの根元にあるミーミルの泉でした。この泉の水を、口にするだけで優れた知恵や知識が授けられるという噂があったのです。
しかし泉を守る賢い巨人ミーミルは、オーディンに、泉の水を飲む対価として片方の目を差し出すように言います。オーディンは一瞬ひるむも、知識を得るためには安いものだと覚悟を決め、片目を差し出して泉の水を飲みます。その瞬間、オーディンの頭は膨大な知識で満たされるのでした。
片目と引き換えに知識を得たオーディンは、やがて「いつの日かアース神族は巨人族と戦い、世界とともに滅ぼされる運命にある」ことを予言します。滅びの日を回避できないと知った神々は、自らの運命を受け入れて戦への備えを始めます。オーディンもばらばらだった神々を組織化して協力体制を築いたり、戦力の増強を目的に勇敢な人間を集めたりと、戦の準備に余念がありませんでした。
また、ファンタジー作品がお好きな方ならば、ルーン文字は一度でも耳にしたことがあるはず。実はこれも、オーディンが会得した知識です。ルーン文字のために、オーディンはユグドラシルの枝に縄を結んで自らの首を括り、9日もの間自分の身を生贄にしたのだとか。それも、自分が最高神であるため、生贄を捧げる相手が自分だったというのだから、驚きです。
==============引用終わり====================
ミーミル(ゲルマン神話におけるミーム)はオーディン(ヴォータン)の相談役なのですが、敵に首を切り落とされてしまいます。オーディンはその首だけを復活させ対話を続けます。
オーディンは、ミーミルのおかげで、知恵を獲得し、世界の未来を見通せるようになるのですが、そこで見いだされたのは、ラグナロック(世界の終末)でした。
ワーグナーの楽劇における、「神々の黄昏」ですね。
結局、ヴォータンは、世界を巻き添えに、自己破壊に至るのです。
ヒトラーは、意識的にはアーリア民族の世界制覇をめざしていたつもりでしょうが、実はアーリア民族、そして、他の民族も巻き添えにして、(自らの救済のために?)「自殺」をはかったようなものですね。
ユングは、「数十年後のことは予想できない」とことわってさっきのことを書いているわけですが、むしろヒトラー支配が「自滅」したあとの、世界の再生のことを見据えていた気がします。
それを、「ヒトラーは世界を制覇する希望の星」と近視眼的に読んでしまった人達がいるということですね。ゲルマン神話についての教養がないままに。
