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身近な人とのお別れ|悲しみの乗り越え方


(人の死について、書いてある内容です。
読むことに戸惑う方はご遠慮くださいね)


身近な人がなくなると、その現実をしばし受け止められない自分がいます。


受け止められない・・もっとわかりやすく言うなら、現実ではなく夢の中で生きているような感覚です。頭がふわふわして、普通に歩いてはいても足元もふわふわするような。


自分の考えがぼんやりとして、悲しい気持ちだけがぐるぐるかけ巡る。


それでも、当たり前のように空腹を感じて目の前に出されたものを少し食べられる。だから夢ではないことに、そこで気づく。


そしてまた、言いようのない悲しみが襲って
ふわふわする頭の状態で涙が止まらなくなる・・

喉のあたりが締めつけられて、声が出にくくなる。

こう繰り返していきます。


この気持ちは何度か繰り返しても、必ず癒されて回復していきます。自分一人ではなく、必ず誰かを頼って、自分の想いや考えまたは経験を表現する場を作ってください。


最初は自分だけの日記に書いてみる、それからsnsでも、このnoteでも。書くことも感情の表出になりますから。書くことが面倒なら家族や友人に話してみる、言葉に記したり声で形にすること。

ここから、私の場合について書いてみますね。


頑固で亭主関白な父と穏やかで子煩悩な母。


もうだめかもしれないと医師に言われ、前日からそばに付き添い看取る形で亡くなった母。

二度の手術から回復せず徐々に意識がなくなり、病院へ駆けつけた時には、息を引き取った後だった父。


父親と母親の性格や生き様に違いがあって、私の両親への想いも微妙に違いますが、亡くなったことへの受け止めは変わらなかったように思います。


どちらが亡くなっても、悲しい事実に変わりはなかった。


夢かもしれない、夢の中なのか、こんな想いが続く中でもやらなければならないこと、例えばお通夜やお葬式の案内状や香典返しや祭壇のレイアウトの決めごとなど(兄姉がいるので協力してできました)


この様な現実的なことをしなければならず、この時は夢の中でいる感覚でもなく現実に動いている感覚に戻ります。



お葬式が済むと遺品整理をして、少しずつ現実味を帯びますが、それでも時々フワッと夢の中にいる感覚に戻り・・


なぜだか突然涙が流れて止まらなくなります。


それは、お風呂あがりに髪をドライヤーで乾かしている時だったり、子供を学校へ送り出した後だったり、ふと一人になった時に突然始まる喪失感でした。


親を亡くしたことで言えば、自分の体の一部が失くなったような感覚です。それまで当たり前にあった両方の翼の片方がもぎ取られたような気持ち。これが伝わるのかわかりませんが、いい大人になっても親が亡くなったことを受け止めるにはかなり身も心もエネルギーが必要な作業でした。


突然流れ出す涙や感傷的な気持ちは、両親を亡くした後3年近く続いたように思います。それでも、現実生活には自分の家族がいて、同じ想いを抱えた兄や姉がいたこと、他愛ない会話のできる友人、思い切り現実に戻れる職場があったこと、このお陰で私の「喪失感」は少しずつ回復の過程を辿ったように思います。


回復の過程で一番大きく感じたことは、同じ状況であった兄姉ととことん悲しみの共有が出来たこと。


では、兄弟がいなくて一人っ子は無理ではないか、と思われるかもしれませんが、そうではなく私の場合は相手がたまたま兄姉だっただけです。


友人でも、職場の同僚でも同じ経験をしている人はいます。そして、snsであっても同じ経験をされている方は大勢います。悲しみの感情を一人で抱えず、必ずどこかで表現すること。これが一番大切です。回復の時間は個人差があると思いますが、「時間という薬」これも大きいですから必ず癒されることを信じて乗り越えてほしい。

今の私に突然の悲しみはおきていません。

両親の笑顔が思い浮かびます。

私に向けられた印象的な微笑みが、ふとした時に私を助けてくれます。


今、どこかで悲しんでいる方に私の経験や想いが伝わることを願っています。


読んでいただき
ありがとうございました(*^_^*)




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