[小説] リサコのために|054|十一、展開 (3)
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木彫りの鷹が床に落ちると、空中に表示されていた数字は自然に消えた。
リサコは心の底から怯えながら良介を振り返った。
良介は眉間にシワを寄せて床にころがる鷹を見ていた。
「見えたの? 良介にも今の見えた?」
消えそうなほどに小さな声でリサコは言った。
良介の視線がリサコを捉える。怪訝そうな表情をしている。
「見えたって、今のホログラムみたいな数字のこと? 見えたけど…どういう仕組みだ?」
良介は木彫りの鷹を拾い上げてまじまじと眺めた。
良介にもあれが見えたということは、幻覚ではなかったということだ。
これでリサコの頭だけがイカレているという線はなくなった。
あとは…ここがまだリサコの心理の中という可能性だ。
それは本当に勘弁してほしい…とリサコは思った。
これでは目覚めても目覚めても決して抜け出すことのできない悪夢のようではないか。
せっかく本当の自分になったと思ったのに。
小さな鷹の木彫りを調べている良介を見守りながら、ものすごい勢いで思考を走らせていると、リサコの腹の中から何かがせり上がってくる気配がした。
それはとても熱い、何か小さなものだった。
胃のあたりから上って来て、食道を通り、のどをズルズルと上がって来ているようだった。
(これを良介に飲ませなければ!!)
リサコは突然理解した。
これは、ヤギと対峙する直前に良介から預かったコアデータだ。
お腹の中から上って来たコアデータは、今、口の中まで到達していた。
ビー玉のような舌ざわりだった。
これは大変デリケートなものであるとリサコは理解した。
光や乾燥に弱い。口から取り出したら破損してしまう可能性が感じられた。
口移しでいくしかないのか。
実際、良介からもそうやって受け取ったのを思い出した。
リサコは意を決すると、良介の頬を両手で挟んで口をつけようと顔を近づけた。
良介は驚いて少し抵抗するような素振りをみせたが、リサコが口をつけるとあっさりと受け入れてくれた。
口の中のコアデータを慎重に舌で転がして良介の口の中へと運んだ。
玉が入って来ると、良介は「ん?」と声を出したが、リサコが容赦なく舌で押し入れたので、玉は無事良介の口の中へと入った。
リサコは唇を離すと、すぐさま良介の口を指で押さえて「飲み込んで」と言った。
ごくりと良介の喉がなって、玉は無事飲み込まれた。
「今の何…?」
と言いかけた良介はがくっと膝から崩れて頭をのけ反らせた。
リサコは慌てて彼の身体を支え、ゆっくりと床に座らせた。
良介の体がビクッビクッと痙攣し、口から泡を吹き始めた。
見開かれた目は激しく左右に動いて視点は全く定まらない状態となった。
通常であればだいぶ焦る場面であるが、リサコは冷静だった。
良介は絶対に大丈夫という確信があった。
身体を横にしてやり、膝枕をしてあげた。
やがて痙攣はおさまり、良介は静かになった。
さっきまで見開いていた目は閉じて、瞼の下で眼球が激しく動いているのが見えた。
リビングの方で何度か良介の電話が鳴っているのが聞こえてきた。
リサコはそれを無視した。
今はただ、良介が目を覚ますのを待つのであった。
膝の上の良介の顔を覗き込みながら、リサコはひたすら待った。
どれくらいの時が経ったころだろうか。
数分だったかもしれないし、数時間だったのかもしれない。
突然良介の目がぱっちりと開き、彼は体を起こした。
リサコがそこにいるのを見ると、良介はすがりつくように彼女に口づけた。
「それで、どの良介になったの?」
良介の唇が離れるのを待ってリサコは言った。
「全部…かな」
言いながら良介は再び口づけてきた。
先ほどの口移しが彼に火をつけてしまったようだった。
リサコは良介が望むなら何でも受け入れてあげようと思った。
そう思った瞬間。後ろから引っ張られる感覚がしてリサコはひっくり返ってしまった。
驚いて体を起こすと、リサコは薄暗い喫茶店のようなところにいた。
まわりに数名の人が立っている。
この喫茶店には奥にステージのような場所があり、そこの壁にプロジェクターで良介の顔が映し出されていた。
ステージ上にはスポットライトが当たっており、おかっぱ頭の男女がこちらに背を向けて壁に映った良介に向かって話しかけているところだった。
二人は一本のマイクスタンドを挟んで漫才師のように立っているのだが、後ろを向いているので可笑しな光景だった。
「おい、こら、良介」
「ダメって言ったじゃないか」
「やる気満々じゃないか」
「性交渉はダメだよ」
プロジェクターで映し出された良介が「はあ?」という顔をした。
「≪体系≫ か?」
良介が言った。
「“≪体系≫ か?…” じゃないぞ」
「何してるんだよ」
「性交渉はダメぜったい」
これでリサコは何となく理解した。今あそこで喋っている二人は ≪体系≫ だ。ということは、ここはリサコの心理の中ってことなのか。
立ち上がってまわりをよく見ると、見覚えのある場所だった。
おじいちゃん、茂雄の喫茶店…によく似た場所。ヤギを斬った直後、深層心理から浮上して一瞬立ち寄った場所だ。
「まだ何もしてないけど」
良介が言っていた。かわいそうに。リサコはすぐにでも彼の前に戻りたいと思った。
「あんなに、その、キ、キスしたらその気になっちゃうだろう?」
「止まらないだろう?」
「…あ、それはたぶん、AI側に意識を振れば止まるから…リサコを返してくれる?」
「何だよAI側って」
「さっき飲み込んだやつと関係あるのか?」
≪体系≫ はコアデータのことを知らない?
リサコが勘ぐっていると、ステージ上の女のおかっぱの方が振り向いてこちらを見ていた。
「ちょっと、オーフォ代わって」
「さっき飲んだやつが何か良介から聞き出して」
そう言いながら ≪体系≫ がステージから降りた。
代わりにリサコの隣に立っていた男性がステージ上に上がった。
深層心理の中で出会ったAIにもオーフォという名の者がいたが別人のようだった。
リサコはこれまで時間が飛んでいる間に誰か別の人が自分を演じていることに薄々感づいてはいたが、それをこうしてはっきり認知するのは初めてだった。
ステージから降りた ≪体系≫ がこちらに向かって来た。
二人同時にリサコの目の前まで来ると、交互に話し始めた。
「で、さっき良介に飲ませたの何?」
「AIって何? 前にも行ってたけど、深層心理にAIがいるの?」
リサコはたじろいで少し後ろに下がった。
≪体系≫ は圧がすごい。
「さっきのは、その深層心理の中の良介から預かってたコアデータだよ」
リサコが言うと、≪体系≫ は顔を見合わせた。
「コアデータって何?」
「中に良介がいるの?」
「初耳なんだけど」
「私もよくわからない…良介の方が詳しいんじゃないかな」
≪体系≫ はステージの方を振り返って、良介と会話しているオーフォの様子を覗った。
「ふむ…深層心理から持ち出したものが現実のリサコの体から出てきた」
「ってことかな?」
「そうだと思う」
「それってつまりどういうこと?」
「どっちも現実ってこと?」
「どっちも夢の中ってこと?」
しばらく沈黙。
やがて ≪体系≫ が口を開いた。彼ららしからず、恐る恐る話しはじめた。
「これは、薄々そうじゃないかと思ってたんだけど」
「いや、信じたくはないんだけど」
「つまり何?」
「我々が思っているこの現実も、現実ではないってことかな?」
リサコはその意見を聞いてゾッとした。
さきほど木彫りの鷹が数字を映し出したのを思い出した。
あの数字の画面が出たってことは…
「現実と思っている世界が、仮想現実の中って可能性は私もあると思う」
リサコはそう言った。
≪体系≫ は黙ってリサコを見返した。
「ちょっと、良介が変なこと言ってる!」
向こう側にいた女の子が叫んだ。
≪体系≫ とリサコは会話を中断して、良介の発言に注目した。
「さっきも言ったように、俺は今、かなりの広範囲のデータにアクセスできる状態になっている。ここから観測できる範囲だと、この世界は18階層ある。俺たちがヤギと戦っていたのもその中の階層のひとつだ。それが縦軸で…えと、横軸にも7つ次元? みたいなものがある。その先にも何かありそうだけど、俺にはアクセスできない。あと、リサコの内部、たぶん今君たちがいる部分にもアクセスできない。こんな感じでわかる?」
「良介、おまえ一体、何者だ?」
「全知全能なのか?」
「神なのか?」
いつのまか ≪体系≫ がステージに立っていた。
「いや、まさか。神なんていないよ。リサコを介してコアデータを再インストールすることで覚醒したんだ。俺が。人間とAIの両方である、この俺が」
この言葉に、リサコたちは全員言葉を失った。
この時、リサコとその交代人格たちは全員感じていた。そこはかとない恐怖を。
(つづく)
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