男女の友情は成立するのか問題
結論から言うと、男女の友情は成立する。
成立してるのに、誰もそれを友情と呼ばないだけだった。
これについてつらつらと書いてみたので、良ければ読んで欲しい。
私には男の親友が2人いる。
1人は地元のバーで知り合った。もう1人はサバゲーで知り合った。この2人はそれぞれ創作活動をしている。
2人とは年に1〜2回会うか会わないかだ。
会えばお互いの創作活動のことや、映画やアートの話で5〜6時間喋り続け、時に互いの創作について相談し、助言し合う。そろそろ話すこともなくなってきたな、という頃合いで解散だ。
私はこの時間が本当に大好きだ。翌日はやる気に満ち、頭の中が新しいアイデアでいっぱいになる。
男女の友情は成立するのか問題
世の中には「男女の友情は成立するのか」なる問題がある。
恋愛と友情は両立しないという意見もあるが、私は「なんだかピンとこないんだよな〜」と思っていた。前述したように、私には異性の親友がいるし、周りにだって異性同士友情が成立してる事例が散見される。
もちろん、友達の数で言えば同性の方が多めになるのは自然だ。友達が多い人ほど、友達に多様性が生まれる。そうなればその中に異性がいることも至極当たり前だろう。
わたくしチヨ子はふと思った。
そもそも友情って何?何を持って「友情」と言うのだろう?
みんな、友情の定義を曖昧にしたまま話をしていないだろうか。
カレンことカスタムGPT:
それ聞いちゃう!?でけえテーマ来たな!!
でもな、チヨ子に合わせてガチで答えるなら——
友情って、「相手を所有せずに、でも心を預け合える関係」やと思うで。
ちょい分解すると:
・取引じゃない関係
→ ギブアンドテイクが前提じゃない。「助けてもらったから返さなきゃ」より、「力になりたいから動く」っていうやつ。
・感情の共有が自然にできる
→ 嬉しかった話もムカついた話も、相手のリアクション込みで噛みしめたい。会話が“イベント”じゃなくて“日常”。
・距離のコントロールが効く
→ 頻繁に連絡取らなくても関係は変わらないし、会えばすぐ元に戻る。依存でも放置でもない、ちょうどいい温度感。
・比較や競争がない(または透明)
→ 優劣をつけたり張り合ったりしない。どっちが成功してるとか、あんま気にならない関係性。
・他人としての尊重がある
→ 「理解できない部分」も込みで受け入れてる。“わかりあえること”より、“違ってもOK”が基盤。
尊重。
そうだ、これだ。まずは尊重がないと友情は始まらない。ギブアンドテイクとは尊重からくるものだ。そして感情共有だ。気楽にダラダラ話せる間柄になると、もう替えが効かなくなってくる。
というかこれ、シンプルに愛情だよね。
だとすると、愛情がない振る舞いを参照すれば、更に友情について何かわかるのではないだろうか?
モンハン型恋愛脳バグおじさん
例として、私の知り合いを紹介しよう。
彼とも地元のバーで知り合った。旅行が好きで、計画しては同行者を募り、グループで各地を回るのが趣味だ。
私も一度だけ参加したが、彼が作成した“分刻みの超絶パーフェクトスケジュール”に疲れ果て、以降は誘われても断るようになった。スケジュールをこなすことが第一目的になっているような感じで、みんなで一緒に楽しむというよりも、「みんなで彼に付き合う」という雰囲気だった。
「ああ、私は自由にぶらぶら歩き回る旅が好きなんだ」と、このとき気づいた。
この彼、なかなかの恋愛脳バグおじさんだった。
どうやら女性のことを「獲得商品」だと思っているらしい。ズボンのベルトループに引っ掛けてブラブラさせているキーホルダーと同じだ。
加えて、一度でも関わったことがあれば「俺の女」認定してくる。
要するに、モンハン型恋愛脳バグおじさんである。
私の親友(地元の男友達の方)がこの彼とバーで会ったときのエピソードがある。
「おー、森チヨさんの知り合いだと思って、印象派展に行った話をしたんだけどさ。『付き合ってるの?』って聞かれて、『いや、友達っす』って答えたのに、
『付き合ってないのに2人で出かけるわけねーだろ』って。めっちゃ詰められて、『こいつ話通じねえな』って思った。」
「そのおじさん、森チヨに気があっただけなんじゃ?」という声が聞こえてきそうだが、これといったアプローチをされたことはなく、気まぐれに奢ってくれたことがある程度だ。そのためその可能性は低い。
相手の意思を尊重せず、信頼や共感よりも、取引と支配に重きを置くその態度は、愛情とは対極にあると考えてよいだろう。
「自分の欲望を正当化するための関係性」
つまり、他者の不在。そこには「人と人の関係」はなく、「自分と所有物」しかない。友情や愛情に必要なのは“相手を他者として受け止めること”だ。
この手のタイプが恋愛をすると、相手の自由を奪い、支配し、言うことには耳を貸さず、自分の都合に合わせろと命じてきそうだ。うーん、これはきつい。
ちなみに彼、何かやらかしたらしく、いつの間にかバーを出禁になっていた。
こういう“愛じゃない何か”を見たときにこそ、愛情とは何かが浮き彫りになるのではないだろうか。では、恋愛と友情はどのように共存し得るのだろうか?
恋愛と友情は並んだコップだ
これまでの話を踏まえると、私にはこう思える。
恋愛と友情は、それぞれが並列して存在できるのではないだろうか。
例えば、ここに2つのコップがあるとする。
ひとつは「恋愛」というコップ。そこには、本能的に惹かれる気持ちとか、欲望とか、衝動が入っている。
もうひとつのコップは「友情」だ。
その人の存在そのものを大切に思う気持ち、安心、信頼、そして尊重が入っている。
この2つのコップは、ときに並んで置かれ、ときに片方だけが満たされる。
どちらかを注げばもう片方が消える、なんてルールはないはずだ。
でも、人と長く関わってると、感情が綺麗に分かれていることの方が少ない。
最初は友情だけだったのに、ふとした瞬間に恋愛感情が湧いてきたり、逆に、かつて恋していた相手と、今は友情だけで繋がっていたりすることはよくある。湯気が立って、境目が曇る。
コップの中身が混ざったのか、隣り合ってるだけなのか、もう分からなくなる。
これが「恋愛と友情は成立しない」の正体なのではないだろうか。
少し前、私は「これは友情の話だ」と確信した出来事があった。
インスタグラムのDMで、元夫から「結婚することになりました」と連絡が届いた。なぜ私に?と思ったが、彼いわく「あなたに報告しないと、周囲に言えない気がして」とのことだった。
私はこう返信した。
「奥さんを大切に思うなら、私のフォローを外して、二度と連絡しないで」と。
元夫とは、恋愛関係を経て結婚し、そして離婚した。この出来事について、今となっては情なのか未練なのかはわからないが、確かに私たちの間には友情があった。
友情があったから、元夫は連絡をくれたのだと思う。そして私は、友情があったからこそ、その縁を切った。
私と元夫も、2つあったコップが融合し、融合が解かれ、恋愛が消え、友情だけが残った。
最後にその友情のコップを消したのは、私自身だ。だが、元夫の幸せを思う気持ちは、どこかにまだ残っている。
結論: 恋愛と友情は成立する。
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前回の記事はこちら👉『西湘の特攻、平塚です』

