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自然はこわい。でも、日本庭園はこわくない

日本庭園が好きだ。でも、最初からそうだったわけではない。

きっかけははっきり覚えている。徳川園の、虎仙橋という橋の前に立った瞬間だ。

二本の石柱の向こうに、木の橋がゆるやかに架かっている。その先は緑に呑まれて、どこまで続いているのか見えない。ただの橋なのに、その時はっきりと思った。——ここから、別の世界だ、と。


橋を渡る数歩のあいだ、背中のうしろで外の世界が静かに閉じていく感覚があった。渡りきって進むと、池が広がっていた。龍仙湖。水のむこうに観仙楼が建っていて、手前の岩には苔が、わざと残されたように緑をたたえている。石も、松も、水面に映る影も、何ひとつ偶然がない。

そこで気づいた。自分は「加工された自然」が好きなのだ、と。

本当は、自分は自然が好きなのだと思っていた。

緑のある場所へよく出かけたし、緑を見ると心がほどける、とずっと思っていた。

でも、それは思い違いだったのかもしれない。

あるとき、親が成り行きで相続することになった畑で、数日間だけ作業をした。たったそれだけで、私は完全にのびてしまった。残ったのは、自然の美しさではなく、自然の手強さ、こわさのほうだった。

私が心地よく感じていたあの緑は、本当は「飼いならされていない自然」では、なかったのかもしれない。

本物の自然は、こわい。圧倒的で、人を拒んで、どこまでも続いていく。けれど日本庭園は、その自然から「こわさ」だけを抜き取って、奥行きと静けさだけを、人が安心して歩ける大きさに作り直してくれている。自然を真似るのではなく、自然よりも自然らしい理想を設計して見せる。その極致が、日本庭園なのだと思う。
だから橋を渡っても、こわくない。むしろ、ほっとする。

ちなみに、同じ名古屋の白鳥庭園にも行った。こちらは30分ほどの、駆け足の訪問だった。

正直に言うと、いちばんの感想は——園内のカフェの抹茶ラテが、めちゃくちゃ美味しかった、ということだ。

ちゃんと味わうには、ぜんぜん時間が足りなかった。白鳥庭園は、次にもっとゆっくり歩きたい。


#わたしの旅行記

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