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2025年10月。

公開するかしないか決めないまま記録。
私的なことだから心にしまっておくつもりだったが、どうにもこの気持ちを忘れたくないという衝動に駆られてしまった。

この回、阿部葉菜さんの帰省の話が。

(「行ってらっしゃい、気をつけてね」の話のあと)
追加で言わせてほしい。
これは、子供の頃からって言うよりかは一人暮らし、離れた場所で住むようになってからの習慣なんだけど、まぁ、帰省するじゃない。でまぁさ、帰省するのにも飛行機使って行くわけじゃん、埼玉と北海道だから。なかなかすぐには会えないし、もし万が一何かあったときってさ、すぐ駆けつけられないじゃん。だから、もう帰省するたびに…
あ、ちょっとなんか泣きそうになっちゃった…
帰省するたびにもしかしたら最後かもって思っていつもバイバイするんだけど、まぁ日本だからあんまハグとかできないじゃん。ほんとはハグしたい気持ちあるんだけどちょっとできないから、いつも、ハイタッチしてる。ハイタッチして、バイバーイってしてる。

HBCラジオ「タイトル未定の金曜の予定は未定」/10月17日

ラジオの声で聴くこの話は私の心の奥に突き刺すように響いた。
私にとっては“ちょっといい話”どころではなかった。


この直前の出来事。
私の父がこの世を去った。

仔細は伏せさせていただくが、昨年より闘病を続けていた。私はもちろんのこと、妻にもこどもたちにもできる限りのサポートを手伝ってもらいながら、少しでも楽しく過ごしていけるようにとともに闘う日々を過ごしていた。
時折、時間をつくりタイトル未定の現場に訪れることは私がそんな毎日に気合いを入れるための心の栄養として貴重なひとときとなっていった。
そして僭越ながら、それとなくこのことは阿部さんにはお伝えさせてもらっていた。極めて大雑把にではあったが。
これほど師匠師匠と騒いでるやつが突然静かになってしまうことになったらいらぬ心配をかけてしまうのではないかと思っていた。

ついに「その日」が来てしまったのはブルスイツアー小樽の直前だった。
まだまだ一緒に過ごしたかったが、不意にそうなってしまった。
さすがに無理かという悲しさと諦めの殻をこじ開けてくれたのは妻。
もし行かなかったらきっとずっと後悔する、と送り迎えの準備までしてくれた。
感謝しかない。

新間さんの卒業直前の5人のfishbowl、また、ついに目の前で観られたCYNHN、そして未定、と、状況が変わっていなかったなら熱く熱く語りたいライブだった。

ライブ後、未定とともに楽曲で私を日頃支えてくれている感謝を伝えるためにグループを代表していただきfishbowl新間さん、CYNHN青柳さん、ラストに阿部さんのところへ。
あちこちで楽しい声が響く中、私はどんな表情で並んでいたのだろう。何を考えていたかも思い出せない。
長い列だったはずなのにあっという間に、私の番。
細かなやりとりについては私の胸の中にしまっておく。
いつもと別のsnsで報告はしていたのだがおそらく普段阿部さんが見かけているであろう私の居場所(X)では極々婉曲的にしか触れずにいた。
だが些細な感情の振れでさえ気づいてくれるのはこの方のすごいところであり。
「聞いてもいい?」
およそ熱気冷めやらぬ場には相応しくない生の私の言葉たち。
それでも、阿部さんは優しく、まっすぐに、聞いてくれていた。
そしてステージを楽しませることとは別の自分たちの役割についてを私に伝えてくれた。(このことは過去の葉月記でも綴っているところがあります)
改まってそう言われて、心が震えた。
『どんな怖さの中もひとりじゃないからね』
をリアルに感じられた時間だった。

このときさっと残してくれた「あえてよかった‼︎」。
私にとって畏れ多くも優しく心の影を照らしてくれるような言葉。

個人的にとっても嬉しかった完璧に被っていた透さんからのお三方がいるポストも添えさせてください。



ちょっと脱線する。
先日、無関係ながらも“父の話”として偶然あったこと。
前記事で触れた3月のおさやさんの涙。
その時の山下さんのこのコメントが同じHBCに於いて実現していた。

HBCテレビ「グッチーな!」/10月16日

粋すぎる展開に私はとても感動した。
以前よりご実家で収穫された米の提供という流れがあったにせよこのロケはおさやさんもご家族も嬉しかったのではないだろうか。
親として、どんな形でも我が子の力になれることは幸せなことなので。


閑話休題。
小樽での感謝の一日のあともまだ悲しさを閉じ込めることができないままの私。
それでも残された手続きなども進めながら生きていくために仕事も再開し日々を暮らしている。
そのような状況で、冒頭のラジオの話を聴いた。

実は最初にお伝えした際、そのきっかけとして以前葉月記で読ませていただいていた「もしかしたら最後」の話を枕詞にしていた。あなたのおかげで向き合う覚悟を決められましたという意味を込めて。
いつ訪れるかわからない「その日」がずっと来ませんようにと願いながら季節が過ぎていく中でもライブやイベント、メディアの活動を少しでも自分自身が楽しくいられるように応援していた。
休養となった夏はせつなくもなぜかいつも以上に馬力を出すくらいの勢いで自分が2人分支えてやるくらいに思って走っていた気がする。
そして前記事、ステージへ戻ってきた秋を迎えた頃はどんどんこちらの雲行きが怪しくなってきていた。
みんなで喜びあった復帰の空気を壊さぬように、最大限にオブラートに包むように状況を伝えた。
この直後からはあっという間。
とにかく精神的に辛かった。
そして13日、小樽…。

私は「ただの阿部葉菜ファンの一人」に過ぎない。
それはわかりきった上で、これらのことは伝えてきた。
所詮他人のことは他人の話でしかない。
ひた隠しにすることも正解だったかもしれない。
だけれども、時折目にする「あなたのはなしを聞かせて」という思いに、私は突き動かされるように語りかけていた。

ラジオは15日収録。
北海道と地元埼玉の話題からの流れで冒頭の言葉があった。
その経過から、それまでのやりとりが無関係とは言い切れない。
だとしたら、と申し訳ない気持ちも芽生えた。
同時に、ご家族への思いを確かめる一助になっていてくれたとしたら、よかったとも思う。

これは、そんな思いから。
この苦しかったであろう夏を経ながらご家族への思いを募らせ、感情を昂らせるほどの気持ちをまっすぐに伝えてくれた阿部さんの言葉は、タイトル未定を応援する優しい優しいリスナーみんなそれぞれの心に届いたであろう。
そんな気持ちのこめられた私への返事にもなっているような気がして、心があたたかくなった。

もちろんかつての私もそうであったが若い頃はあまり意識する機会がないそんなことを考えるきっかけになってくれたら。
縁あって今これを読んでいただいているあなたへも、心から伝えたい。
環境は人それぞれ違うであろうが、家族に限らずとも近しい誰かを大切にして生きてほしい。
ずっと先のことかもしれない“別れ”の未来を、時々でいいから考えてほしい。
一度決めたことでもなにかしら気持ちの変化が起こったら、その都度アップデートしていけばよい。

私たちは、目先を生きることに注力せざるを得ずに思うように準備をすることを疎かにしてしまった。
それを切り出すことが、父の生きようと闘う気持ちを折らせてしまうのではないかと躊躇したままだった。
どうなっていくのかをわかっていたのに。
父の望みを満足に聞くに至ることができないまま終わってしまった。

別れは悲しい。
そしてその現実はさらに輪をかけて心に影を落とす。
どうか、誰にでも必ず訪れるその辛さが少しでも軽くなるように、そうしてほしい。


母が先に旅立って随分と経つ。
当時私は既に実家を離れていた。
亡くなる少し前、母の故郷に二人でドライブに行ったそうだ。
残された写真に映る母の素晴らしい表情。
それを見て、その話を聞いて私は父に同じことをしてあげたいという思いを持っていた。
そして私(と家族)は程なくこちらに戻ってきた。
幼き孫がそばに居たら元気に長生きしてくれるだろうと考えた。持病も心配だった。
仲睦まじかった母を失った代わりにはならないだろうが、日常の生きがいにはなれたと思う。

病に伏せたあと、残念ながら帰郷は事情があり叶えることができなかった。
それならばと私はみんなで旅行に行きたいという目標を伝えた。
術後、体の変化や過酷な入院生活を過ごし奪われた体力を戻させたかった。
父自身は「ラーメンを食べたい」と言った。
その時点では、まともに立って歩くことも大変な状態。
摂れる食事量も驚くほど少なくなっていた。
明確で立派な目標であった。

そこから、こちらが思い返す度に涙が出るくらいの努力。
薬の副作用の苦しさに抗うように闘っていた。
最後に入院するまで、通院時の病院の中では歩いて治療を受けられるくらいまでには日常に近づいてきていた。

悪化していく少し前、いつもより診察に時間がかかった際に近くの回転寿司のお店に誘った。
ラーメンではないが、そちらも好きなものであり食べる量もコントロールしやすいと思った。
とても喜んでくれた。
おとなしいふたりだけで会話らしい会話もなかったが、心に残る父にとって最後の外食となった。
嬉しそうに注文のパッドをタッチする姿が忘れられない。
本当は家族みんなで行きたかった。

入院中、闘う父のぶんも代わりに、と兄弟と孫たちで。

目標にしていたことは叶わなかったが、父は最期まで生き様を私たちに見せてくれた。
同じような状況になったら、私はどこまでやれるのだろう。私が感じたものを、こどもたちに示すことはできるのだろうか。
若くはない私が努力すべきことを父が示してくれたのかもしれない。

重苦しさばかりも辛いのでちょっぴり無駄に悔しかった話を。
入院から、思うように体も動かすことも困難なくらいであったのだが孫(私の子ら)が来ると元気になっていた。
そして父が溺愛してきた初孫は私の弟の子で、遠く離れて暮らしている。
状況を伝え、時間を割いて会いにきてくれた。
私が病室に連れてきたとき、驚いたことにベッドを起こして待っていたのだ。
子より孫、のようだ。
孫の力とはかくも強大なのかと舌を巻いた。
まだ私が実感することができない感情。
嫉妬にも似た、羨望の境地である。
ちなみに、
父のスマートフォンの待受は最後まで可愛がった私の下の子と現在ザスパ群馬に育成型期限付き移籍中の中島大嘉選手のツーショット画像。


私の幼き頃、父は松山千春ファンでいつも車で聴いていた。
叙情的なそれらの楽曲が私の原点となり、音楽の嗜好性を決めたと思う。
様々なジャンル、アーティストを聴き、現在はタイトル未定に出逢うことができた。
頑張りたいときに未定を聴く、という私の経験を、あの頃のように今度は私が父にすることに。
私が運転する通院のための車内、ひたすら未定を流した。
時々、窓の外を見つめながら指でトントンとリズムをとっていた。
私と同じように、父にやる気を出させてくれていたと信じている。
そんな世界を私に届けてくれているタイトル未定との出逢いはやはり運命的にも感じるし、それを気づかせてくれた阿部葉菜さんの姿勢に感服し、感謝している。
だからこそ冒頭のラジオの言葉が心に響いてくるのだと思う。


少し長くなってしまいました。
取り留めない心の内を読んでいただき、ありがとうございます。
昨日(10月26日)、コンサドーレの試合会場に来場した5人に小樽以来で会うことができました。
元々観戦の予定ではなかったのですが来場が発表されたことで急遽行くことを決め、大変な日々を頑張ってくれていた息子を連れていくことにしました。
多感な時期、ちょっとでも楽しい思いを一緒に体験できればと二人で。
5人はいつものように明るく優しく接してくれて、とても緊張しながらも嬉しそうにしていました。
未定のみなさん、本当にありがとうございました。
肝心の試合は残念ながら負けてしまいましたが、今回はゴール裏決起集会、直前入場、旗振りといつもよりさらに気合の入った応援も一緒に経験できたことも含め、いい思い出になってくれていたらいいな。

私自身はというと、まだ正直しんどいです。
一人きりの時間がきつい。
笑顔が笑顔になっているのか、心配。
人が多めのところでふと不安になったり。
よろしくないなと思いつつも、どうしても。
もう少し時間が必要なのかもしれません。
ただ、5人に会えたらやっぱり嬉しかったし、もっと頑張らなければという気持ちが湧いてくるように感じられたことに希望が持てる気がしました。
迷っていましたが、やっぱり誰かに聞いてほしくなったので公開することにしました。
マイペースを探りながら、人生を楽しんでいこうと思います。

ありがとう。


2025.10.31 追記

もうひとつ、感謝していることがある。

その瞬間が来てしまう前から感傷の暇を阻む現実的な決裁を迫られる事柄が次々に出てくることが私にはショックとしてのしかかる。そのひとつひとつが適切な決断なのかどうかを考えるような余裕もなかった。怖くて怖くてたまらなかった。
そんな落ち着くことなく過ぎ去って行く時間の合間、私は縋るようにいつもしまって持ち歩いている阿部さんのチェキを数枚、“おまもり”として胸ポケットに入れた。元々コンサドーレのサポーターとして私は来場成績の良いタイトル未定の力にあやかりたいと度々おまじないをかけてもらうような撮影になることが多かった。先日の復帰の嬉しい一枚とともに、どうか今は私を惑うことなく立っていられるように守ってほしいと願った。

大きく何かを変えるようなものではないが、確かに、深呼吸をするような安心感があった。このときの私には何よりそれが心強く感じられた。
タイトル未定を知ってから一年半という短く思える時間でのいろいろなやりとりの中で培ってきたものはとても大きかった。
もちろん家族や親戚、関わっていただいた方々に助けていただきひと通りを遂げることができたのだが、父から引き継ぐこととなった一家の長としての一挙一動をこの“おまもり”がまわりから見えないところで支えてくれていたということを阿部さんへの感謝の思いとともに忘れないように記しておきたい。

そして

10月30日木曜定期公演、ハーマイオニーになった阿部葉菜さん

私の人生において重要な通過点となったはずの、この10月の終わりに催されたハロウィンの木曜定期。
ハリーポッター、ハーマイオニーの阿部葉菜さんの姿が。
一瞬このひと月のあれこれを顧みて、もしかしたらこの人は本当に魔法使いなのかもしれないと感じた。
だからきっと私がまた走り出せるようにと魔法をかけてくれているに違いない、と、そう信じている。

2025年10月が終わろうとしている。
忘れない、忘れたくない時間だった。

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