帝殺しの陰陽師〜第弐帖 刀骸〜 巻ノ壱 旧き疵
マキビ、参内する
夜・・・
再びマキビの部屋に泰親から早耳が届いた。
今回泰親は自身と同じ背丈で現れている。
「陰陽師 キビノマキビ、上皇の命にてお迎えに参りました」
「ご苦労様」
マキビを迎えに、とは表向きで連行に近い扱いである。泰親だけではなくその後ろに検非違使別当の姿がある。帝殺しの陰陽師の名は時代を超えていまも畏怖の対象になっているらしい。
泰親は一枚の巻紙を広げて淡々と読んでいる。
「マキビ殿未だ都城へ近づくこと許されず、此度は上皇の命にて格別の扱いをもって入城を赦されるものなり。
なお・・・幸神社より入られたし・・・」
最後の一文で泰親の顔が曇った。
都の北東、丑寅の方角にある鬼門除けの社である。
上皇の勅命に応えるのであれば門を開けて堂々と入ることを許されるべきであるにもかかわらず鬼門から忍ぶように入るとは・・・
「別当!これはいかなる門からも入れぬということですか?!」
泰親の問いかけに別当は表情も変えず答えた。
「左様、マキビ・・・マキビ殿におかれては帝殺しの穢れ祓うこと叶わず。
よって鬼門の社より来られたし。神石がお連れ申す」
「それは上皇のお許しがあってのことか?!」
泰親は検非違使の言い振る舞いが不条理と考えたのだろうが
彼の宮中での立場を考えてマキビは泰親を制した。
「ありがとう泰親、私は構わないから無理をしないでおくれ」
「いいのか?・・・」
「幸神社はサルタヒコの社だからね、きっと私を守ってくれるよ」
「相変わらずお人よしだな、お前は・・・」
マキビの一言で泰親は意味を理解し、検非違使たちを睨みつけた。
サルタヒコの名前が出ただけで別当のみならず検非違使たちすら慄いたのである。
幸神社からの案内はおそらくハルアキラだろうし、検非違使たちもマキビ自身を捕らえたり処罰するというつもりはなさそうなのでマキビは安堵していたのだ。
古の咎はそう簡単には晴れることはない・・・
「泰親、私は幸神社に向かうので迎えを頼むよ」
そして早耳は閉じられた。
一方、泰親たちのいる検非違使庁・・・
泰親が退室しようとする検非違使別当を引き留めた。
「上皇の命だっつってんだろーが!」
「かの者のような咎を背負いし者を内裏へ通すだけでも畏れ多い事。やむを得ぬとお思い下され」
「気に喰わねぇ奴だがあの男の能力を侮らねぇ事だ。敵に回すと碌なことになんねぇぞ。それとな・・・」
泰親は別当の肩を寄せて耳元で凄むように囁いた。
「今度俺に恥かかせたら末代まで呪ってやるからな」
別当は冷や汗をかきながら惚けた顔をするだけであった。
内裏にて
深夜、
マキビはひとり宿を発った。
『迦楼羅』で帝都北東、幸神社までは四半刻で到着した。
社にはハルアキラが待機していた。
左右で色の異なる白と黒の髪、白い肌に穏やか(少なくとも表面上は)な顔立ち、背は六尺足らずで見た目は十代後半の少年に見えるが百年以上帝都を見守り続けている陰陽師である。
彼もまた死ぬことを許されぬ咎を穿たれているのだが・・・それはまた別の機会に・・・
「お待ちしておりました。本殿に向かいましょう」
「泰親は来ないのかな」
「お分かりとは思いますが、あれは今虫の居所が悪いようで」
「顎で使われてるのか?」
「私は従四位下の天文博士、あれは正四位下しかも陰陽頭ですよ」
「位階は君の方が上だろうに」
「あれの命令と言うより、僕の一存ですよ。それに、先輩には私から直接お話するべきことがありますので」
「刀骸の事だろう?」
「はい・・・」
本殿・・・
人の気配はない。おそらくハルアキラによって人が近づくことがないよう結界を張っているのだろう。
幸神社本殿の北東の角、祀られている木彫りの猿にハルアキラが手印をかざすと像の目が鈍く光りはじめる。
「さぁ、手を触れてください」
マキビはハルアキラの言う通り猿の像に右の手で触れた。
マキビの体は像に吸い込まれるように消えていった。
ハルアキラも後に続く。
二人の姿が消えた本殿は何事もなかったようにひっそりとたたずんでいた。
帝がおわず御所の北東・・・『猿が辻』と呼ばれる場所から二人は御所の内部に到着した。
マキビとハルアキラのふたりは陰陽院の案内で南へ下る。
彼らが内裏にいることはごく限られたものだけである。
案内もハルアキラ配下の信用できる者を使っている。
「実は猿が辻と幸神社の間は僕も良く使っているんですよ」
「ほお」
「ほかにも延暦寺日吉大社貴船神社鞍馬寺・・・鬼門ばっかりですね」
「丑寅に向かう事が多いということだね」
「確かに、特に延暦寺とは何かと揉めることが多くなりまして・・・」
「強訴かな?」
「ええ、彼らは衆徒や神人たちを伴い大挙して洛中に押し寄せて来ますから・・・武士に守りを固めさせていますが・・・」
「洛中が荒れているのか」
「衆徒たちと武士たちが衝突するたびに・・・双方に命を落とすもの少なからず。」
「きりがないな」
「打ち捨てられた刀と刀骸に何か繋がりがあるのか、と・・・」
マキビは歩みを止め、ハルアキラと目を合わせた。
「あれの最期は私が見届けている。人の世に戻ってくることは思えないんだが・・・」
「この呪詛の紙を・・・僕も泰親も見解は一致しています。」
ハルアキラがマキビに手渡した一枚の紙片には上皇への呪詛の言葉と見覚えのある刀の紋章が描かれていた。
「なん・だと・・・?」
「来たのか?」
穏やかな、というよりか細く弱弱しい男性の声が聞こえた。
話している間に二人は上皇がおわす御涼御所に到着していた。
初夏にはまだ肌寒い夜、やや上げた御簾の向こうから上皇が二人に声をかけた。
ふたりは跪き深く頭を垂れた。
二人を御涼所に招き入れた上皇は上体を起こして二人を見ている。
浅い呼吸が小刻みに続いている。上皇はいつ倒れてもおかしくはない状況であるにもかかわらず、残された時間でマキビに何かを伝えようとここで待っていたのだ。
「息災であったか?」
「はっ」
「ハルアキラや泰親からお前の事は伝え聞いている。影の仕事を押し付けてばかり。いつか礼を言わねばならぬと思いながら会う事すら叶わず・・・」
「勿体なきお言葉・・・」
上皇はマキビを近くに招き入れた。すこし無理をしていたのか、上皇はその後身体を布団に横たえマキビの手を握りながら話を続けた。
「明日、仏門に入るつもりだ」
「・・・」
「驚かぬなマキビよ、分かっておったか」
「もっと早く来ておればと・・・」
「刀骸・・・と申しておったな、あの娘」
上皇はやや穏やかな表情でその名前を口にした。
「まさかあれに呪いをかけられるとはな」
咳き込みながら笑う上皇、マキビは上皇に近づこうとするが手でそれを制した。
「お前はこの呪いを引き受けることはならぬ、頼みとは別の事だ」
「別・・・でございますか?」
「それは私から」
「最期にお前の顔を見ることが出来て良かった」
上皇を休ませるべくハルアキラが事の次第をマキビに伝えることになった。
上皇は体を横たえ弱い呼吸を続けながらマキビ達を見送った。
呪詛札
御所を離れ庭を歩くふたり
「元々お身体の弱いお方であったので、日ごろから薬師と天文博士を控えさせてはいたのですが・・・庚申待の夜に・・・」
「お身体が弱っておられるのに夜を寝ずに過ごすことなどできないであろう?」
「ええ、ですので依代を立てて祈祷をしていたのですが・・・」
ハルアキラによると
六十年に一度と言われる庚申待と朔が重なった夜に閉じられていたはずの門がわずかに開かれ、そのわずかな結界の綻びから怪が御涼御所に忍び込んだらしい。
ある者には道士の姿
ある者には獣の姿
またある者には牛頭の姿を見たという。
間違いなく怪異が御所に侵入したのだ。
務める者をすべて入れ替え素性を調べたものの、誰の仕業であるかもいまだにわからず―
その日以来御所では奇怪な出来事が頻発するようになった。
はじめは門のそば、死んだ烏が落ちていたことを皮切りに庭の石が血で赤く塗られ、晴れた日に回廊の屋根から水が滴り落ち・・・その怪異は徐々に上皇のおわす間へと近づいていった。
ある夜、寝所にいた上皇が高熱に魘されるようになり、泰親たちが御所の各所に上皇への呪詛の言葉と刀の紋章を描いた呪詛札を見つけた。
それはすさまじく強い呪いが掛けられており手練れの陰陽師たちであっても触れただけで呪いが撥ね返り、祓いを終えるまで参内を禁じられるため警護は手薄にならざるを得なかった。
「それがこの札です」
ハルアキラはあらためて呪詛札をマキビに見せた。
「お前は大丈夫なのか?」
「最初は大変でしたよ。でも泰親が祓ってくれたので・・・それ以来これを懐にと」
ハルアキラは小さな香袋を取り出した。中には白い粉のようなものが入っていた。
「御塩殿か」
「ええ、先輩が売っている紛い物とは霊力が段違いですからね」
「失礼だな、僅かだが御塩殿で戴いたものも入ってるんだぞ」
「その僅かな本物を本来の強さにまで昇華できるのは先輩以外にいるわけがないんですから、他の人に真似なんかさせないでくださいよ。命が幾つあっても足りませんから・・・」
マキビはハルアキラが手にしていた呪詛札に触れてみた。
指先にピリッとした感触がわずかに感じたがその他には特に何も起きる気配はなかった。
しばらくするとその札の禍々しい気配は黒い墨で書かれていた呪詛の言葉や紋章と共に消え去り、白い只の紙片に変わっていった。
ハルアキラは指先で触れただけで特級の呪詛を浄化したマキビを感嘆の表情で見ていた。
「さすがですね、先輩」
「いや・・・これを施した者があれでなければ私も呪いに当てられていた」
「・・・」
「ハルアキラ、先帝は全てをご存じだ。」
「どういうことですか?」
「これは刀骸にあらず・・・三屍の仕業だよ」
「三屍って・・・最上級の蠱毒とは知っていますが、実際に見た者は・・・」
「話していなかったかな・・・大昔に私と刀骸が戦った蠱毒が『三屍』だよ・・・」
マキビは古疵に触れながら夜空を見上げていた。
「そうだな、もう何百年も前の話だ・・・
全てのきっかけは、あの女との出会いだった・・・」
第弐帖 巻ノ壱 了
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