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凄味はズレから生まれる

本当に、良い世の中だと思います。

筒井康隆さんの『創作の極意と掟』を読み始めて、首がちぎれんばかりにブンブンうなずきながら読み進めています。

なんだか、誰かに言って欲しかった事がそこに全部書いてあるような感じがして、ものすごいじっくり読み込んでしまい、全然ページが進みません。

一つ一つの言葉に重みがあって、ページが重い。読み進めるのが疲れるのに、次が読みたい。そんな、刺さり方をしています。

普通であって欲しい社会

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この本の第一章は『凄味』です。筒井さんが大事だと思う、思いついた順に書かれているとのことで、強く伝えたいことであるのは間違いありません。

凄味の源泉はズレであるという主張です。自分なりにこの言葉に向かい合ってみると、本当にそうだと感じます。

人間は社会的な生き物です。小学校から、むしろ幼稚園から、いえ、生まれた時から。誰かと一緒に過ごすために、普通であることが求められます。

尖ったことはたしなめられ、誰かと一緒にいられるように教えられる。今後生きていく上で欠かせない、人と人との関係を保つための大切な教えです。

社会は、人に普通であって欲しいのです。普通に、平均的に。それは社会の優しさであり、実際に普通に暮らすためのコツでもあったりします。

ズレが差別化の源泉

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一方で、生き残るための戦略として考えてみると、他の人と違うということは差別化の源泉です。違わないと、違えないのです。

企業の戦略論は、差別化は企業の能力から生まれるとする資源論と、誰とどのように戦うかとするポジショニング論が二大潮流です。

様々な検証の結果、資源論がやはり差別化のカギとして大きい要素であることが分かっています。まぁ結局どっちも大切なんですけどね。

ただこの資源論、分かったからといって実行できないのです。差別化の源泉は企業の能力。で?どうすれば良いのか分からない。

組織とは人なので、集まった人次第です。その集まった人たちに普通とは違うズレがあるから、組織は異なるものになる。結局、人です

根拠の無い自信が新しいものを生む

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そんな差別化の源となるズレですが、普段は隠されてしまっています。上のように、人間は社会的な生き物であり、普通であることが求められる。

そんな社会の中で、ズレの本性を出せるのは、自信のある人だけです。そして自信のある人だけが新しいものを創ることができる。

ですが、新しいものというのは、今までにないもの。それが評価されるかどうかなんて誰も分からないのです。

それでも成功すると思うのは、根拠の無い自信ということになります。だって既存の視点では評価できないのですから、根拠なんてあるわけがない。

ただ、そんな根拠の無い自信がこれまでも世界を変えてきました。そして、これからも世界を変えていきます。自信がズレを世に解き放つ。 

凄味はズレから生まれる

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この自信が放ったズレが、凄まじい熱量と、理解出来るか出来ないかのギリギリのところにある時に『凄味』が生まれるのでしょう。

人生に一番必要なものはパッションだと信じて止みませんが、相手に理解してもらう努力も必要だとも信じています。社会的な生き物ですから。

ですが、ズレは本質的に理解してもらえないものです。それを包み隠さず、でも少しは他の人も分かるように、ギリギリ境界線をかすめるように放つ。 

すると、もの凄い気持ち悪さと同時に、何か新しいものが出たのだなと直感的に受け手は感じ取ることができるのだと思います。

幸い、今はズレに寛容になってきている社会です。こんな風に「ズレが良い」なんて昔は言えなかったはず。

その追い風を受けつつ、ズレから生まれる凄味を追いかけたいなと思う今日この頃なのでした。

ズレた間の悪さも、それも君のタイミング
ブラックビスケッツ

ではでは。


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筒井康隆さんが作家としての「遺書」として創作について語った本です。ここで言う「創作」とは「小説」を意味しているとは何度も念押しされていらっしゃるのですが、やはり創作として受け止めています。そして、そう受け取る方が豊かに読めるのかなと思っています。

<このnoteを書いたしょこらはこんな人です>

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