ネフローゼ⑥第一志望合格のその先へ
必死の思いで、大学の自己推薦入試に挑んだ。
受験した大学は5つ。それぞれに志望理由書と活動記録書を書き、一次試験を通過したあと、二次試験の面接へと進んだ。
そして、第一志望の大学の合格が決まった。
ここからは、その後の生活について書いていこうと思う。
料理男子
まず、息子にさせたのは「料理」だった。
塩分は1日6グラム、1食あたり2グラム。
この制限の中で、毎日の食事を自分で作る練習を始めた。
電気圧力鍋がとても役に立ち、少しずつ得意料理も増えていった。
「食べること=治療の一部」
それを、体で覚えていく時間でもあった。
タンパクチェック
毎朝、尿タンパクのチェックも欠かさず行わせた。
これは、息子の“先輩”から教えてもらった方法だ。
直接の知り合いではなく、クラスメイトを通じて紹介してもらった方だった。
その先輩も、幼い頃からネフローゼ症候群を患っていた。
「同じ病気の人を助けたい」
その思いで医学部に進み、現在は研修医として働いている。
息子の悩みに寄り添い、何度も相談にのってくれた。
わたしたち親子にとって、希望を与えてくれた大切な存在のひとりだ。
息子の病を知り、クラスメイトがその方を紹介してくれたことにも大変感謝している。

病院探し
東京での新生活に向けて、転院先の病院とかかりつけ医を探した。
条件は2つ。
・自宅から通いやすいこと
・ネフローゼの治療は大学病院で受けられること
この条件で探し、担当医にも転院の意思を伝えた。
入院中、研修医の先生が教えてくれたことがある。
「この年齢のネフローゼ患者は珍しく、担当医も経過を見守りたがっている」と。
病室に赤本を持ち込み、ひたすら受験勉強をしていた息子。
その姿を見ていれば、転院はきっと予想されていたのだと思う。
あいさつ回り
転院先の大学病院と、近所のかかりつけ医へご挨拶に伺った。
事前に電話で事情を伝えていたため、とてもスムーズだった。
特に、かかりつけ医の先生には大学4年間、本当にお世話になった。
どんな小さなことにも親身に向き合ってくださった。
のちの公務員試験で健康診断書が必要になったときには、
「タンパクが出ていない日に受けなさい」とアドバイスをくださり、さらに「業務に支障なし」との一筆まで添えてくださった。
この医師も息子に希望を与えてくださった1人だ。
いよいよ一人暮らし
3月、引っ越しを終え、いよいよ息子の一人暮らしが始まった。
病気と向き合いながらの新生活。
親としての不安は尽きないが、それ以上に「自分で生きていく力」を信じたいと思った。
引っ越し後の生活については、次回書いていこうと思う。
