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北茨木の旅④~平潟港「あんこう」の巻

最終日、鹿の湯「松屋」を出て、多くの歌人に詠まれた「勿来なこその関」を訪ねます。そして、メインディッシュは、冬から春に来るなら外すことが出来ない「あんこう料理」をいただきまして、帰路に着きます。

北茨城の湯治場

明け方は、キジの”ケ~ん!”という鳴きから
お湯も、浴場内も温泉好きにたまらない鹿の湯 天窓からの朝日も眩しい
タイルに直接描かれた鹿

宿に「北茨城のパンデミック」という記事が貼られていました。安政6年(1859年)に全国でコレラが流行、江戸は100万人のうち28万人が亡くなるなか、この村でも2か月くらいで200名弱の死者が出て、大津の村の人たちは、この網の湯の湯治場に避難したと記録があります。

シンプルな湯治場の朝食 たまごかけご飯

そして、昨日から気になっていた部屋の柱に掲げられた棟札?木簡?、帰りがけに女将さんに聞いたところ、こちらは野口雨情の叔父さんが投宿した際に書いて行った木簡だそうです。なんとこんなところで野口雨情とつながるとは…。
野口雨情の叔父さんは地元の政治家で、雨情に影響を与えた人物。漢詩、文学、書に卓越しており、絵筆を取れば非凡なものがあったと雨情のお孫さんは記しています。しかし、我々漢文が読めず…、女将さんも分からないとのこと。

「泉石依情煙霞入抱」(明治申年)
AIさんに聞いてみますと、以下の読解。
「泉石依情煙霞入抱」は、自然の美しさや風景に心を寄せることを表す表現です。 この句全体を通じて、自然と心が一体となり、その美しさに感動しながら過ごす情景が描かれています。これは、古典的な詩や漢詩によく見られる風雅な表現ですね。風流を大切にする日本文化ともよく調和する考え方です。素敵な言葉ですね。

松屋さん、今は80代のご夫妻と近くにお住いの女中さん3名で営んでおります。「温泉ファンには有名な宿ですよ」と女将さんにお伝えしたところ、たいそう喜んで頂きました。是非とも、末永く続けて頂きたいです。

北茨城訪問の際は、是非こちらへ!

来るなかれ、勿来なこその関

女将さん、最後まで手を振ってもらいました。次に向かうは勿来の関。常磐線には勿来駅がありますが、まず読めない、難読ですね。

しばらくはこんな田園風景を眺め、浜街道(旧国道6号)を北に向かう
右手に勿来の海岸 昔は海水浴客で夏には臨時「勿来海岸」駅があったとか

常磐線のガードをくぐり一気に山手に登っていくと、勿来の関文学館が現れます。有名な歌人はほぼこの関のことを詠ったことがあるということで、
紀貫之、西行、小野小町、和泉式部など歌人の歌が並びます。

随分と高い山の上にある文学館

ここで最も有名のは源義家。東国の源氏の基盤を作った弓の名人かつ歌もたしなむ文武両道の元祖?義家が戦のあとにこの関で詠んだ一句は、こちら。

「吹く風を 勿来の関と思へども 道もせに散る 山桜かな」
勿来の関の義家と山桜 多くの画家が描く

気に入ったのは、紀貫之の一句。

惜しめども とまりもあへず 行く春を 勿来の山の 関もとめなむ
(惜しんでも止まることもならずに行ってしまう春を、来るなという山の関よ、止めておくれ)

「来るなかれ」を意味する勿来の関がどうしてこんなに詠まれたのか。芭蕉も来たこともなく、直接足を運んだ歌人はほとんどいないと思いますが、当時は東国の果ての関ということで、女性の歌詠みの使い方を見ると、「来るな」いや内心は「来て欲しい」の微妙な心情を伝える時に使ったようです。

実際の勿来の関はいづこに??

文学館の近くに勿来の関の碑があるというので、行ってみます。

義家の一句の通り、山桜が咲き誇るようで、桜祭りの準備中
ほぼ山の頂上 一体は松林
何人かの歌人の碑を巡る散歩道 向こうには北茨城の海
こちらが一番古そうな「勿来関跡」
義家にゆかりのある場所はこのあたり 清水が湧き出で、義家が休んだ松も…
「弓掛けの松」義家が弓を掛けて休んだという松は枯死 切り株だけ残る

源義家の言い伝えの松があるというものの、この場所に「勿来関」があったかは、地形だけ考えるとちょっとないかなぁと。館のスタッフの方に、聞いてみると、やはりはっきりと場所は特定されてないということでした。
どこかに遺跡が出てきたらおもしろそうです。

海岸のあたりには「名古曽(なこそ)の切通し」
海に迫る山が勿来にあるのだから、やはり、海岸付近にあったのでは??

平潟港、旅館「やまに郷作」

そろそろお腹が空いてきて、本日は数寄屋造りの温泉民宿の日帰りお食事プランを予約しました。平潟港に向かいます。

勿来海岸、今はほとんど宿泊施設がない 昔は国道沿いにずらっと民宿があった
切通しのあたりに、二子浦温泉のやぐらアリ
平潟港から少し山側の静かな旅館

出てきた食事を見たら、温泉民宿というより、割烹旅館。3時間の滞在ですが、温泉も入れるので、お得感あり。

お造りを中心に左にカレイの煮つけ、右はあんこうのともあえ
ぶり、まぐろ、ほうぼう、牡丹海老はかなり甘い
太刀魚のお刺身は珍しいか

さて、メインはあんこう料理の「どぶ汁」。こちらはアンコウ鍋と違って、肝をベースにしてアンコウの何から何まで、全て入れてしまうのでした。

3人分には多すぎるくらい

20年ぶりくらいのあんこう料理。どぶ汁は出しが濃厚。コラーゲン豊富なあんこう、全部の部位を食べるのは好き嫌いあるかもしれないですが、健康にも良し、元気も出てきます!

〆はおじやにしてもらい、久しぶりに満腹!

平潟港温泉

少し休んで、温泉へ。源泉の泉温は60℃もあり、五浦観光ホテルも70℃を超える泉温。高温泉のイメージのない茨城でうsが、もう少し北に行けば、福島のいわき湯本があるので、地質的にはそこともつながりがありそう。

男女別で、数名は浸かれる湯舟 ゆったりと独泉 
泉温は60℃ PHは中性 やや塩味がある 塩化物泉

東廻りの江戸の船も寄港した「平潟港」

江戸時代、北海道・日本海側の産物を西廻り航路で運んだ船は北前船ですが、津軽海峡を経て、利根川を上り、江戸に運んだ東廻りのルートの港として栄えた平潟港。茨城では那珂湊もそのような港でした。平潟は、温泉も湧いたので、船乗りさんたちには喜ばれたのではないか。

宿に掲げてあった平潟港 明治25-28年制作 当時はさぞかし美しかったことでしょう
護岸は大きく改造されている(やまに郷作さんのHPより)
平潟港付近 さすが国土地理院、いつの間にかこんなツール!(国土地理院より)

茨城と福島の県境。南側は、昨日訪ねた五浦海岸からの絶壁&砂浜。

目に入って来るのは、港の中心部にアンコウの像
港の目の前の旅館砥上屋 泊まりたかったけどあいにく満室 お風呂から港が見える
小さな神社の社は荒れ果てていて廃社 それなりの港ですが、哀れ…
五浦観光ホテルの露天風呂から見えた漁船はこれでしょう あんこうの漁に使う船
海食崖はコンクリートで覆われている 震災以降でしょう
港は穏やか過ぎるくらい 風もなし 反対側の市場の方へ行ってみます 

釣りをしている方チラホラいますが、一人も釣れておらず。こういう港で最近、魚が釣れているのを見たことがないです、魚居ない…。

釣り人がなまこ掬ってました 立派ななまこ!
対岸も崩落の危険がありそうな崖が続く 崖を作るのは砂岩 明らかに脆い
向こう側が見える穴は、明治時代は以下の絵の大きさ
先ほどの絵より、約130年前はわずかに穴が開いているのみ 穴が崩れるのは、時間の問題

名残惜しい北茨城

最後に港町を一人で歩く
素掘りのトンネル? 向こうには一軒宿
普通の漁村ではない家屋もちらほら 歴史を感じる

帰り、大津港駅から高萩まで、鈍行。そこからは特急ひたちに乗り換え、一路上野へ。土曜の夕方、ひたちは意外にも満席。

常磐線の名車両でしょう
ひたちの工場を眺め、
北茨城の海ともお別れ

2泊3日の北茨城、思った以上に見どころ多く、たっぷりと充電させてもらいました。
次来るときにはもう少し北に足を延ばせば、いわき周辺の炭鉱の歴史に、常磐ハワイアンもあり、映画「フラガール」でも観てから訪ねてみます。 (2025.3)

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