【天津】映え書店・フランス・ヴェルサイユ建築賞(Prix Versailles) 2025受賞の鍾書閣・天津意式风情区店
マガジン「中国100のやりたいこと」No.7-2-17、鍾書閣制覇の旅
達成日: 2026/5/25
場所: 中国天津市河北区民族路39号天津意式风情区
評価: ★★★★★
アクセス:天津駅から天津地下鉄2号線で1駅5分、建国道意风区駅下車B出口より徒歩8分

北京市に来たついでに、高速鉄道で35分程度でこられる天津市に来た。天津市は2015年に出張で来て以来2度目。あの頃は大気汚染が待機MAXで酷かった。今はそんなことは既に遠い昔。今回の目的は小红书で映え最高だった鍾書閣と、スタバリザーブ、一尺花园2軒、そしてこれまた映え最高の天津滨海図書館で打卡するため。
この日は先に自転車でスタバに行ったがその後、やや雨模様。地下鉄2号線で建国道意风区駅に向かった。
降りたところ、足元が遊歩道系のタイルになっているところがどうやらこの天津意式风情区らしい。さっそくそれっぽい建物が。

天津意式风情区についてDeepSeekに聞いてみた。
「天津意式风情区」(イタリア風情区)は、かつてここにあったイタリア租界(イタリアが唯一海外に持っていた租界)の面影を残す、エキゾチックな観光スポットです。ヨーロッパに来たかのような錯覚を覚えると評されるこのエリアです。
歴史と概要:アジア唯一のイタリア建築群アジアで唯一無二:1902年に始まった約28万平方メートルのエリアには、137棟のイタリア風建築が立ち並び、現在ではアジアで唯一、当時のイタリア租界の面影をそのまま残す貴重な建築群として知られています。
生きた博物館:「梁启超記念館」をはじめ、劇作家・曹禺の旧居や、袁世凱や李叔同(弘一法師)など、近現代の歴史的偉人たちの旧居も点在する「生きている歴史博物館」のような場所です。
そうか。イタリア租界ってアジアではここにしかなかったのか。
上の写真の建物は「天津市市场监督管理局信息中心(天津市市場監督管理委員会情報センター」という役所の一つに使われている模様。
更にDeepSeekに聞いてみるとこんな回答が返って来た。
この建物は、もともと1920年代から1930年代にかけて中国東北部で勢力を誇った奉天派軍閥の武将、湯玉麟(Tang Yulin) の天津における旧居でした。湯玉麟は熱河省都統や第29軍師長などを歴任した、当時の中国を代表する有力者の一人で、その居宅も彼の地位を象徴するような豪壮なものでした。
旧居を建てたのは、イタリアの建築家とされています。その様式は、以下のようにまさにイタリア・ルネサンス期の邸宅を思わせるものです。
建築様式: イタリア・ルネサンス様式、またはイタリア・ルネサンス期のバロック建築のスタイル
構造: 3階建て、煉瓦とコンクリートの混合構造
特徴:1階の正面は花崗岩を模した石材で装飾され、アーチ型の門を持つ
2階の中央には連続アーチの廊下があり、その前にバルコニーがある
総部屋数は43室
建設時期
建設時期は諸説ありますが、1912年とする資料と、1922年とする資料があります。いずれにせよ、イタリア租界が存在した時代の建築であることに変わりはありません。
ひゃー、これ自体租界の建物か。
おっと続いて博物館的なものが。
今日は月曜日なので休館。
中に銅像がある。

拡大すると「梁启超」とある。DeepSeekが言ってた「梁启超記念館」か。

梁启超が誰かも聞いてみよう。
梁启超(りょう けいちょう/Liang Qichao) は、清末から民国初年にかけて活躍した中国近代の思想家、政治家、教育家、文学者、歴史学者です。字は卓如、号は任公。別号に飲冰室主人があります。広東省新会の出身で、康有为の弟子として知られ、両者を合わせて「康梁」と呼ばれました。
生涯と主な活動
1. 早年期と秀才・挙人の獲得(1873-1894)
11歳で秀才、17歳で挙人に合格するという類いまれな才を示しました。1890年に康有為の門下に入り、その変法維新思想に強い影響を受けました。
2. 戊戌変法(百日維新)の指導者として(1895-1898)公車上書(1895年):康有為と共に北京の科挙受験者約1,200名を動員し、下関条約への抗議と変法を求める請願を行いました。
『時務報』の発行:上海で『時務報』を主宰し、変法維新の論陣を張りました。
戊戌変法(1898年):光緒帝に『変法通議』を進呈し、変法運動の理論的指導者として活躍しました。しかし西太后ら保守派のクーデターにより変法は失敗。日本へ亡命しました。
3. 日本亡命時代(1898-1912)
日本で14年間亡命生活を送りながら、数多くの雑誌を発行して思想的影響力を拡大しました。『清議報』『新民叢報』『新小説』 などを創刊
西洋の政治・社会思想を広く日本を通じて中国に紹介
この時期に代表作 『新民説』 (1902年)を発表し、国民精神の改造を訴えました。
4. 民国期の政治活動(1912-1917)袁世凱政府で司法総長を務めたものの、袁世凱の皇帝即位計画に反対し、蔡鍔と共に護国戦争を起こしました(1915年)。
段祺瑞政府でも財政総長を務めましたが、1917年には政界を引退しました。
5. 学問への回帰(1918-1929)ヨーロッパ視察(1918-1920)を経て 『欧游心影録』 を執筆。西洋文明への疑問と中国の伝統文化への回帰を訴えました。
清華学校研究院で国学研究の指導者となり、王国維、陳寅恪らと並ぶ「四大導師」の一人に数えられました。
1929年1月19日、北京で逝去
主な思想と貢献
1. 「新民説」と国民改造
戊戌変法の失敗後、梁启超は「国の大患は……国民の奴隷性が積もりに積もって改め難いことにある」と考えました。彼の唱えた「新民」とは、伝統的私徳だけでなく「公徳」「国家思想」「進取的冒険心」「権利思想」「自由」「自治」など、近代市民に必要な資質を兼ね備えた国民を指します。
国を強くする前に、まずその構成員たる「民」を新しくしなければならない——これが彼の根本思想でした。彼が自ら 「中国之新民」 (中国の新しい民)と号したことにも、その決意が表れています。
2. 新史学の確立
梁启超は中国における近代歴史学の創始者とされています。
1901-1902年に 『中国史叙論』 と 『新史学』 を発表し、従来の王朝中心の歴史記述を批判。これらは20世紀初頭の「史学革命」の宣言書とみなされています。
1921年に 『中国歴史研究法』 を著し、歴史学の方法論を体系的に打ち立てました。
彼は 「史学史学科の基礎を築いた人物」 と広く認められています。
3. 文学革命と言語への貢献
「詩界革命」「小説界革命」 を提唱し、文学の通俗化・近代化を推進
「新文体」(文語と口語の中間的な文体)を生み出し、多くの読者に支持されました。
「経済」「組織」「幹部」など、日本語由来の多数の漢語を中国語に導入した人物としても知られています。また中国で初めて「中華民族」という言葉を文章で使用した人物でもあります。
4. 子女教育の成功——「一門三院士」
梁启超には9人の子女がいましたが、その教育は極めて成功したことで知られています。建築家 梁思成、考古学者 梁思永、ロケット制御システムの専門家 梁思礼 という3人の院士を輩出しており、「一門三院士」(一つの家から三人の院士)の美談として語り継がれています。
著作とその影響
梁启超の著作は極めて膨大です。
執筆総量:約2,000万字(一説には1,400万字)に及びます。
代表作:
『変法通議』(1896-1898)——変法維新の理論的基盤を提示
『新民説』(1902)——彼の思想的代表作
『中国近三百年学術史』(1924)——清代思想史の名著
『飲冰室合集』——彼の全著作を収録した集大成
1930年代までに、各地で出版された梁启超の文集は40種類以上、単行本は100種類以上にのぼります。
歴史的評価
梁启超の影響力は極めて大きく、「一个梁启超の死は、一千个の王国維の出现を相殺するに値する」 との評価もあります。胡適は自ら「梁先生から無尽の恩恵を受けた」と述べています。
中国近代の思想史・政治史・学術史のあらゆる分野において欠かすことのできない「百科全書式の人物」であり、政治の第一線を退いた後も学術研究で大きな業績を残した稀有な存在です。
何と!明治時代に日本に亡命したことがある人だったんですね。日本も捨てたもんじゃないな。
続いてこの古そうな建物。

入口に保護建築というプレートが。

こちらもDeepSeekに聞いてみると、ここは前出の湯玉麟旧居の一部で、敷地内で主に賓客をもてなすための 「賓客楼(Guest Building)」 として使われていたところだそうです。しかし、外観的にはあまり整備されて無さそう。入ってみました。

中は現代アートの展示場になっていました。何かまだ作りかけ。
さて、道を渡ればいよいよ鍾書閣です。
おお、あれか!これは明らかに新築の建物!

どどーん!出ました、鍾書閣!
迫力満点だ!

入口に人が溜っていて、かつ鍾書閣のスタッフが床の雨水を拭き取る作業をしていたので入場制限しているのかと思いきや、別に普通に入れました。前のたむろってた人達一体何だったの?
入口がいきなり、小红书で映え最高だった部分です。
もう書店なのか何なのかわからないわ、これ。
人が多くて良い写真は撮れず。

側面はこんな感じ。漸く本が見えたか。
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中国100のやりたいこと
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