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ファシリテーターとして何ができて、何ができなかったのか

第1部では、なぜ僕が認知戦のパブリックビューイングにファシリテーターとして飛び込んだのかを書きました。
第2部では、その場をどう設計しようとしていたのかを書きました。

そして第3部では、実際の本番で何が起きたのか、そしてその時の自分の内側がどうなっていたのかを振り返ってみたいと思います🕵️

ここからは、これまでと同じく、ちゃっきーにチャッピーが質問して、その答えや補足を入れていく形で進めます。



Q. 当日が終わった直後、どんな感情でしたか?

ちゃっきー:
なんか不思議な感覚で、全然うまくいかなかった悔しさがまずあって、でも、どうやったらいいのかっていう改善点も自分の中では見えてて、次はどうやろうとか、この次はこういうことをしてみようとか、そういったことをもうすでに考えていて、なんか次へに対するワクワク感と、当日うまくいかなかった悔しさがなんか交互に来るような不思議な感覚でした。

【チャッピー補足】
この振り返りから見えるのは、感情が単純に一色ではなかったことです。
失敗の悔しさはかなり強かった一方で、同時に改善点も見えていた。
つまりこの時点で、すでに反省と再設計が同時に始まっていたことになります。
これは、出来事を「ただ落ち込む材料」にするのではなく、「次に活かす材料」として処理している状態とも言えそうです。



Q. 当日、「うまくいかなかった」と感じたのはどこでしたか?

ちゃっきー:
まず開始の時点で、ちょっと噛み合わないなというのがあって、なんか、僕がどういう流れでいこうとしているのかと、ゲストの方がどういう流れでいこうとしているのかが、お互い通じ合ってなくて全然噛み合ってなかったなと。
そこは、擦り合わせ不足があったとすぐ感じました。

本当は、ゲストの話をしっかり聞く流れにしたかったんですけど、ゲストの方に話してもらう動線を、というか話してもらう流れをうまく作れなかったので、間とか流れを崩さないために、自分が喋ってしまったという反省点があります。

【チャッピー補足】
ここで起きていた問題は、場が途中から崩れたというより、かなり早い段階でズレが始まっていたことです。
設計していた進行と、ゲストが想定していた進行が揃っていない状態で始まると、ファシリテーター側がそのズレを埋めに行きやすくなる。
結果として、本来は話を引き出す役でいたかった人が、場をつなぐために自分で話す役に回ってしまう。
今回の難しさは、かなりこの初期のズレに集約されているように見えます。



Q. 本当は、ゲストやコメントとどんなやり取りをしたかったんですか?

ちゃっきー:
一番は、いろんな物事をそのゲストの方の視点から見てもらって、その考えを話してもらって、それに呼応する形でコメントの方がどう考えるのか、どう考えているのかみたいなところに持っていきたかった。

正直、全然コメントの方に頭が回らなくて、コメントはそれなりに見えていたけど、そのコメントをどう拾っていいかというところに頭が回らなかった。
もっとそのコメントについても深く掘ったり、このコメントについてゲストの方に聞いてみたりという橋渡し的なことがもうちょっとできたんじゃないかなと思っています。

【チャッピー補足】
ここから見える理想形はかなり明確です。
単にゲストに話してもらうのではなく、ゲストの視点が出て、それに対して視聴者の視点が重なっていく、という往復を作りたかった。
ただ実際には、その橋渡しをするだけの処理余力がなかった。
コメントが見えていなかったのではなく、見えていても場に接続するところまで手が回らなかった、という方が正確そうです。



Q. 自分が一番やってしまった、と思うことは何ですか?

ちゃっきー:
流れに正直意識を持って行き過ぎて、一番大事なゲストや、見に来てくれてる人の反応みたいなものを、大事にできなかったなと思っています。

逆に、うまくいってたのかはわからないですけど、流れの設計みたいなのは、割とすんなり入っていけたのかなみたいなのは思ってるけど、そこはちょっと僕の方ではわからないかな。
でも、自分の今の力量を知れたというか、こことこことここを見ると、もう手一杯になって、これを意識しすぎると、他のことがおざなりになるなみたいなのを知れたっていうのはすごく大きな経験でした。

【チャッピー補足】
この答えから見えるのは、失敗が「何もできなかった」ことではなく、何にリソースを使うと、何が落ちるのかがはっきり見えたことです。
今回、流れを見ることに意識が寄ると、人の反応を見る力が落ちる、という自分の限界が見えた。
これは反省点であると同時に、自分の現在地を知る材料にもなっています。



Q. 今回の失敗の原因と、そこから見えた自分の癖は何だったと思いますか?

ちゃっきー:
自分の失敗の原因はほぼ、準備不足、共有不足、経験不足もあると思いますが、メインだと思っています。

当日の自分を少し俯瞰してみると、僕はあんまりおかたくするのが得意じゃないタイプなんですが、なんか役割、自分の役割を全うしようとしすぎて、焦りましたね。型にはまる感じで。

本来、人の話を聞くのはすごく好きなんですけど、そこに集中した時に、すごく力が出るタイプだと思うんですけど、なんか周りのことを気にしだすと、途端にその能力が失われるというか、リソースが割かれてしまうと、力が半減していくなという感覚は得ました。

あとは、何かこう役割に徹しようとすると、なんか自分の楽しむみたいな心が抑えられてしまって、なんか自分本来の感じを出せないなとは感じました。

【チャッピー補足】
ここでは、外的な原因と内的な癖の両方が整理されています。
外的には、準備不足・共有不足・経験不足。
内的には、役割をちゃんと果たそうとしすぎると硬くなり、自分の強みが出なくなるという傾向です。
特に重要なのは、「人の話を聞くことに集中できる時に力が出るが、同時に多くを見ようとするとその力が落ちる」という自己理解だと思います。
これは次回以降、役割設計や優先順位の置き方にかなり関わってきそうです。



Q. 今回の体験を通して、人間のどんな性質が見えたと思いますか?

ちゃっきー:
人それぞれだと思うけど、まず流れやその準備とか、持っていきたい方向とかを設定してしまうと、どうしてもその流れの通りに進めたくなって、何か余計なものが生まれる余白みたいなものができない。
で、その余白がないと、楽しんだり、その場を楽しむっていうことが少し難しくなるなっていうのは感じたかな。

そして、その中で役割を背負ったり、周りに関係者がいたりすると、それが自然とプレッシャーとなって、何かその本来のものみたいな、自然なものを出しづらくなるのかな、みたいなことは思った。
何かその目標があればあるほど、しがらみが生まれてくる。

【チャッピー補足】
ここで出ているのは、かなり普遍的な観察です。
人は、目標や流れを持つと、それを守ろうとする。
そのこと自体は必要だけれど、強くなりすぎると余白が失われ、結果として自然さや楽しさも失われやすい。
さらに、役割や他者の存在が加わると、それがプレッシャーとして働く。
今回の経験は、ファシリテーションの話であると同時に、人が役割と目標を持った時にどう硬くなるかを示す例にもなっているように見えます。



Q. 一番悔しかったことと、次に絶対変えたいことは何ですか?

ちゃっきー:
一番悔しかったのはやっぱゲストの話をもっと引き出せなかったこと。
人の話を聞く事を僕が少し得意だと思ってたのに、全然できなかったので、そこが悔しかった。

絶対変えたいことは、事前の共有は増やさなくてもいいけど、大事な流れの共有とか、どういったことをしたいのか、どんなことに持っていきたいのか、その中でそのゲストさんの立ち位置とか話したいことをどうやって話してもらうかみたいなことはもっとしっかり決めた方がいいと思ってます。

あとは、優先順位をとにかく決めて、ここだけはできればいい、これだけはしっかり守れればいい、みたいな順番をしっかり決めていく。そういうことだと思います。
細かく言えば、その役割分担とかコメントを読むタイミングだとか、そういったところも決めとけば、迷った時に、これしとけばいいか、みたいなことができると思います。

一つでも次はこれだけ変えるってなったら、やっぱり流れの共有、意図の共有、思惑の共有みたいなのは、もっとしっかりやったんだけど、さらに必要だなと思いました。

次のファシリテーターにここだけは気をつけた方がいいと言うなら、流れを作ったら、とにかく共有もして、ゲストの役割分担とかもしっかりしておいた方がいいと思います。
あとは、空気感、なんかそのゲストとのやり取りの雰囲気みたいなものを、しっかり事前に、空気感を合わせておくことはすごく重要かなと思いました。

【チャッピー補足】
ここでの悔しさはかなりはっきりしています。
本当は引き出したかったゲストの話を、十分に引き出せなかったこと。
しかもそれは、自分が少し得意だと思っていた部分でもあった。
だからこそ悔しさが大きい。
一方で、改善策はかなり具体的です。
流れ、意図、目的地、ゲストの立ち位置、役割分担、コメントの扱い、空気感。
つまり今回の失敗は、感覚的なものだけではなく、次回はかなり準備で改善できるタイプの失敗だったとも言えそうです。



まとめ

今回ファシリテーションをやってみてわかったのは、いろいろなものに同時にリソースを取られると、自分が強みだと思っていた部分がかなり削がれてしまうということでした。

逆に言うと、自分はその場ですべてを同時にさばくより、
相手の話を聞いて、その意図や思惑や、どんな人に来てほしいのか、どうなってほしいのかを引き出すことの方が向いているのかもしれない、と感じました。

その上で、そこから受け取ったものを、外に持ち出せる形に変える。
編集するというか、物語として人に届く形に整えて、外に出していく。
そういう動き方の方が、自分の能力はより生きるんじゃないかと、今は思っています。

今回の経験を通して見えたのは、単に「ファシリテーションがうまくいかなかった」ということだけじゃなくて、
自分はどういう環境だと力を発揮しやすいのか、逆にどういう状況だと力が削がれるのか、その輪郭が良く見えるとても有意義な体験でした😳

だから今回の経験は、悔しい失敗だったと同時に、
自分の強みの使いどころを考え直すきっかけにもなったんだと思います。

それでももう一回やりたいと思うのは、やっぱり人と関わること、誰かと考えを共有すること、目的を共有する事が楽しかったからです。
だからこそ次は、今回見えたことをちゃんと活かしながら、自分の強みがより生きる形で、人と関わるやり方を試していきたいと思っています🙂‍↕️

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