イクメン嫌い
私は、イクメンという言葉が好きではない。この言葉は、「男性なのに」という見えない枕詞がついているからである。
育児をする女性を同じようにイクジョとでも呼んでいるのならわかるが、男性だけをそのような呼び名で呼ぶのは、まだまだ、男性の育児参加が乏しいことの証左なのである。
さて、私の娘が、まだ小学校低学年のある日曜日のこと。娘は友達と約束をして、近所の図書館へ行くことになった。
私の子供の頃なら、一人で出かけていた距離であるが、その時とは時代も地域も違うのである。
私も、図書館まで付き添うこととなったのである。
図書館に着くと、娘の友達が待っていた。隣にはそのパパも一緒である。頭にはサングラスを乗せ、ラフな服装に身を包む彼は、いかにも休日の良きパパという感じである。
私たちは、軽く挨拶をした。
それ以上の言葉は交わさなかったものの、私は、
「初めて会う戦友よ。お前も休みだと言うのに、娘の付き添い大変だな。」
という気持ちを抱いていたのである。
無事、娘を図書館へと護衛した私たち父親は、ひとまずお役御免となる。やや過保護な気もするが、娘たちの帰路を共にするため、彼女らが図書館に飽きるまでは、しばしゆっくりすればよいのである。
娘の友達のパパは、図書館の中で雑誌を読む体勢に入っていった。
私も私で、図書館の外にあるベンチに腰をかけ、のんびりすることにしたのである。
しかし、約15分後、子どもたち二人は早くも図書館に飽きたらしく、外に出てきたのである。
私は、ベンチに座ってニコニコ微笑んでいたのであるが、二人はそのまま真っ直ぐこちらに近づいてきたのだ。
そして、こんなことを言ったのである。
「わたしたち二人と中馬パパで鬼ごっこをやることになった。鬼は中馬パパ。ただし、わたしたちはバリアもつかえる。」
参加表明をした覚えはないのであるが、私も鬼ごっこをやることになったらしい。私の優雅なベンチタイムの終了である。
やむを得ないので、私は大して広くもない図書館の庭内で二人を追いかけ回すことになった。今思えば、不審者と思われなくて本当によかったと思う。
しかし、追いつきそうになったら、すぐさま、例のバリアというやつを使われるのである。いくら手加減(足加減)しているとはいえ、鬼をやりっぱなしというのもフラストレーションが溜まるものである。
私は、数十年ぶりに「バリアはかい!」という技も使ってみたのであるが、私の腕が落ちたのか、それとも最近の子どもには効かない技なのか、全く効果がなかった。
さらに、大人の難しいところなのであるが、片方の子だけを追いかけてしまうと、もう片方の子に悪いということもあり、適度にバランスよく追いかけないといけないというシバリもあったのである。
こうしたなかで、現役を退いて久しい私は、次第に疲労の色が濃くなっていったのである。
そんなとき、図書館のガラス越しに、雑誌を読む戦友と目が合ったのである。
しかし、足を組みながらプレジデントを読んでいた彼は、私と目が合うと軽く会釈をし、すぐさま視線をプレジデントに落としたのである。
こ、こいつ・・・。こちらに加勢する気はサラサラないな!!
と悟った私は、その後、二人の子どもたちが満足するまで、鬼と化して過ごしていたのである。
ここからは、私の歪んだ想像であるが、彼はおそらくその日を「イクメンパパ」として過ごした日ということにしていると思う。
きっと、奥さんからも、
「今日は助かったわ。ありがとうね。」
なんて言われて、コーヒーでも片手に例の足組みをしながら、
「はは、お安い御用さ。」
くらいの返しをしているはずである。
その上、翌日には若い女性社員たちを前にして、
「いやー、昨日は娘を図書館に連れて行ってあげてさー、休みがつぶれちゃったよー。あははー。」
などと言い、若い女性社員たちから、
「本当に代理は娘ちゃん思いのイクメンなんですね!私も、こんな旦那さんがほしいなあ!」
とでも、言われてやがるのである。
なんと、腹立たしいことだろうか。
・・・失礼。話が変な方向に飛んでしまって申し訳ない。私は、何の話をしていたのだろうか。
そうそう、私はイクメンが嫌いという話であった。
