「末席にて」(古賀コン8応募作)
若い男がひとり、運転席のすぐそばを横切った。
男はスマホを見ながら歩いていたが、パンクで路肩に立ち往生をしている私の車を巧みに避け、運転席の窓からちらと私の方を覗いたかと思えば、また視線をスマホに落とした。良く晴れた日で、少し温かさも出てきて、保険屋は「確認します」と言ったきり二時間も連絡を寄越さない。ガソリンがもったいないのでエンジンを切ってから三十分。車内の空気が少しずつ薄くなり、耐えかねた私は水面に顔を出すようにしてドアを開けた。若い男は車の十メートルほど前を、歩道もないのに、まっすぐに歩いていた。
民家ひとつない山の中だった。山の中、と言っても、木々が鬱蒼と生い茂り、落石を避けながら九十九折のカーブを登っていくような険しい道ではなく、むしろ山の中にしてはよく整備された、平らなアスファルトの黒々と光る二車線道路であった。私は車の扉を閉め、車は、犬が水気を払うように少し左右に揺れて見せた。背伸びをして、肩甲骨のあたりをボキボキと言わせ、男は、車の三十メートル前あたりをまっすぐに歩いている。このまま一人待ち惚けていても埒が明かないと思った。それに、また一人になるのを恐れる気持ちも少しはあった。
歩く男の所まで駆け寄って、どこまで行くんですかと尋ねると、要領を得ない返答が帰ってくる。このまままっすぐだと思います。たどり着くところまでです。みんなと同じところです。こんな具合に。私は男に質問することを辞めた。このままでは、傍からみれば一方的に男に絡んでいるわけのわからない人間のように映ってしまうと、そう思ったからだ。代わりに私は私の話をした。タイヤがパンクしてしまったこと、レッカーの手配が待てど暮らせど進まないこと、そもそも、どこへ向かっていたのかという段階になって、いったどこへ向かっていたのだろう。分からないまま男についていく。男は嫌な顔一つせず、スマホの画面に指を滑らせ、後ろでは老人が杖を小脇に抱えてせっせと健脚を披露している。このおじいさんはいつから付いて来ていただろうか。音もしなかったと思う。私はどこからどう聞けばよいかをぐるぐると思案した挙句、こんにちは、今日は晴れてよかったですねと挨拶をした。老人は「そうですよねぇ、こんな日にはせめて晴れてくれないと」と言って少し咳をした。それからしばらく会話は無かった。
三人が山あいの集落に差し掛かり、ぼろぼろのバス停の横を通り過ぎ、小さな道の駅で飲み物を買う頃には、三人は五人になり、十一人になっていた。集落を過ぎる間に同行者は増えたらしかった。集落の人々は、元々が顔なじみだったようで、そこに混じるようにして歩く私たち三人は少し気まずい思いをした。それも、山道を下るにつれて少し和らぎ、先々で出会う別な人たちもまた、参列に加わった。
歩調は人によってまちまちで、人懐っこさもやはりまちまちだった。所々が擦り切れたプーマのジャージのおじさんが「ほんじゃ、わしらは先いっとくから」と言ってジョギング姿勢で追い越していく。エプロンを付けたまま飛び出してきたらしいママさんは、子供の手を引きながら、主人は先に行っちゃって、と愚痴をこぼした。この道が海まで続く長い参道なのだと教えてくれたのは、セーラーの襟に緑の線の二本入った地元の中学生たちだった。両脇の黄緑色の山々もなだらかが目立ち始め、遠くに水平線の見え隠れする頃になると、もはや私は行進の、先頭でも中核でもありはしなかった。前には長い人だかりが続き、所々に粗密を作りながら緩やかに道を進んでゆく。振り返ると、私より後に加わった人や、これまで私が追い抜いた人たちが、ぺちゃくちゃとお喋りをしながら歩いている。
「お腹すかない? おにぎり買っておいたよ」とさおりが言った。さおりも一緒に歩いていたなんて、今の今まで気が付かなかった、と言うと彼女は、こんな葬儀はめったにないからね、と言って、シーチキンの袋を、「1」と印字された三角の頂点からぺろりと開けてゆき、どうやらこの列は葬儀の列らしい。
「はいこれ。おかかでよかった?」
「うん、ありがと。どれくらいで着くの?」
「さぁ。なんせ久しぶりだから。そうそう、あんたの所の親御さん、十分くらい後ろで見たよ」
「あ、ちゃんと加わってたんだ。何か言ってた?」
「見ただけ。先生となんか話してた」
「なんかやだなぁ」
会話の間、呼吸の隙間に、高い笛の音が混じっている。人いきれがはげしくて、なかなか前を向く気になれないけれど、どうやら笛の音は前の方から流れてくるらしい。よく聞けば太鼓の囃子もまじっている。太陽はてっぺんにあって、山は削げ、両翼に青々とした田んぼと、ショッピングモールまであと何キロみたいな看板が目立つ。思えば私も、こんなに陽気な葬列は初めてかもしれなかった。でも、亡くなったのが誰なのかをどうしても思い出せない。失礼を承知でさおりに耳打ちする。さおりは興味なさげに「知らない」と言う。
「知らない。生前の人間に興味ないし。でもどっかの組長だと思う」
真偽は分からない、けれども私たちの間では組長が死んだことになった。どこの何の組なのかは知れないけれど、彼は誇ればいいと思う。だってこんなにたくさんの人が、あなたのために歩いてくれているんだから、きっと何か、凄いことをした、立派な、稀有な人だったのだろう。そして彼は幸せだったに違いない。そう心から信じている。本当、誰なのか、全く知らないままだけれど。
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テーマ「孤高の天才未満」
古賀コン8への応募作です。
