惹かれる理由
Nauticamは高い。
それはもう、どう言い換えても高い。
少し興味を持って調べた人でも、値段を見ればたぶん一度は引く。
ハウジングなのに、なぜそこまで、と思う。
カメラを入れる箱にしてはあまりに高額で、ポートやエクステンション、周辺機材まで含めれば、明らかにどうかしちゃっていて、金額の感覚がおかしくなってくる。
それでも、なぜか惹かれてしまう。
たぶん、これは単なる撮影機材ではない。
もちろん道具ではある。
海に持ち込み、カメラを守り、厳しい条件の中で撮影を成立させるための、きわめて実用的な機材だ。
でも、それだけでは説明しきれない何かがある。
Nauticamには、工芸品のような美しさがある。
工業製品なのに、どこか工芸品を見るときに近い感覚になる。
削り出された金属の質感なのか、無駄のない線のまとまりなのか、あるいは全体に漂う密度のせいなのかはわからない。
ただ、見ているとうっとりする。
そして、ただディスプレイしてあるだけでも絵になる。
新しいものはもちろん美しい。
けれど、古いモデルにもまた別の美しさがある。
年代ごとに形状やパーツ素材、刻印などに特徴があり、そのまま表情として残っている。
だから古いからといって色褪せない。
むしろ、古い個体にしかない佇まいがある。
そこがおもしろい。
普通なら、機材は新しいものほど正義で、古いものは性能で見劣りしていく。
けれどNauticamは、ただの新旧比較だけでは片づかない。
古いものにもちゃんと見どころがあって、眺めていたくなる。
道具なのに、鑑賞に耐える。
もちろん、見た目だけで欲しくなるわけではない。
実際には、あの価格には理由がある。
触れたときの剛性感。
操作するときの信頼感。
大きな機材や重い構成でも、ひとつのシステムとして成立させようとする設計。
水中という、少しの不安がそのまま集中力を奪う環境で、「ちゃんとしている」と感じさせるあの感覚。
高いのは事実だけれど、ただブランド名に値段がついているわけではないのだろうと思う。
水中では、小さな違和感が大きい。
操作の重さ、取り回しの悪さ、微妙な不安。
そういうものがじわじわ効いてくる。
陸上なら我慢できることも、水中ではそのまま撮影の質に響く。
だから、信頼できる道具にはちゃんと意味がある。
Nauticamは、その意味をかなり高い次元で形にしているのだと思う。
でも、やはりそれでもなお、理屈だけでは足りない。
必要か不要かで言えば、なくても撮れる。
もっと軽い選択肢もある。
もっと現実的な選択肢もある。
金額だけ見れば、冷静になったほうがいいに決まっている。
それなのに惹かれる。
それはきっと、性能や利便性だけではなく、
「これで撮りたい」
と思わせる何かがあるからだ。
道具として信頼できる。
しかも美しい。
塗装が剥げてきたり、ボタンが押しづらくなったり、
気をつけていても傷がつき、どうしても劣化してくる。
それでも、古くなってもなお、魅力が残る。
味わい深くなる。
そういうものは、案外少ない。
だからNauticamの値段を見て、高すぎると思いながら、同時に納得してしまう瞬間がある。
高いのに、ただ高いとは思えない。
そこにあるのは、スペックの足し算ではなく、もっと立体的な説得力だ。
実用品でありながら、所有していたくなる。
使うためのものなのに、置いてあるだけでも満たされる。
海のための道具なのに、陸で眺めていても美しい。
たぶん、そういう矛盾した魅力ごと、Nauticamなのだと思う。
高い。
重い。
簡単にはすすめにくい。
それでも惹かれる。
その理由を無理にひとつに絞るなら、Nauticamは単なる機材ではなく、信頼感と美意識もがハウジングとして収められているからなのかもしれない。
