#278【虎に翼語り】紅白SPドラマ…虎に翼ロスを生きるすべての人々へのエール
今日もお読みくださってありがとうございます!
紅白についてはこちらの件も語っておきたい。
米津玄師さん『さよーならまたいつか!』と紅白スペシャルドラマ。
…の前に
日本人男性の女性蔑視が海外からフルボッコにされている、なう
新年早々嫌な話ですが、#日本の恥 というハッシュタグがトレンド入りしていると思ったら、日本人男性の女性蔑視が海外にバレて批判されまくっています。
ちょっと見ただけでこれだけ言われてる
— なし (@kamiyanuuu) January 3, 2025
日本の恥 https://t.co/D27foa2Bqt pic.twitter.com/AncA5ph7YH
OH。
「日本人男性はみんな幼稚な ”hentai” だ」と十把一絡げに思われてしまっているので、常識的な日本人男性は、この日本の恥のヤバイ日本人男性たちに対して、真剣に怒ったほうがいいと思う。
そしてこっちも転載しておきたい。
ネトウヨやチー牛でなくても、女性の権利を主張する女性に対して「フェミニスト」と非難しがちな人は肝に銘じてほしい。
日本の女性はこれらのことに批判をするとフェミニストと言われ叩かれます。
— ☁ (@yuisan_idol) January 2, 2025
日本の女性はずっと我慢してきました。 https://t.co/UwasbfKA30
パワハラ&ヌード強制の問題監督の新作映画が公開決定?
また、度重なる苛烈なパワハラと、『渇き。』での契約違反のヌード強要が問題になった中島哲也監督の新作映画が公開決定とか。
中島哲也監督作
— Japanese Film Project (@JpFilm_Project) January 3, 2025
「ヌード」という人間の尊厳にも関わる重要な事柄が、事務所と制作サイドの間で契約書が交わされることもなく、明確な取り決めもないまま口約束で進められる、業界の慣習に問題の根がある...皆さんが社会を成熟させるため声を上げてくださることを願っていますhttps://t.co/BnbSuh3TLw
おおお。
年末のクソみたいなニュース連打に引き続き、よくもまあ次から次へと新しい話題用意してこれるもんだ。
寅子たちから「100年先」も、こんな状況である、ヘルジャパン。
虎に翼スペシャルドラマ
閑話休題。
寅子の学生時代が舞台のスピンオフが紅白で放映されると聞いてから心待ちにしていたこのスペシャルドラマ。
このクソみたいな年末年始に、ほんとうに心の救いとなりました……!
み……みんな生きてるぅ……!
お兄ちゃんが、はるさんが、み、みんなが生きてる……!
花江ちゃんと直道さんが元気でラブラブである!
はあああ!「俺にはわかあああるぅぅぅ!」久しぶりに聞けた!
それだけで感動……!

優三さんも。
結婚前の優三さんらしい、ちょっと情けない役回り。

若かりし頃の元気いっぱいの轟とジェントルマン花岡が無邪気に一緒にいるのを見て、「年齢を重ねて成熟することはいいことだと思うけれど、残酷さと抱き合わせだよね」としみじみ思う。

海の向こうでは戦争をしているし、苦しい思いをするご婦人方は山ほどいる
……さすが吉田恵里香さん!
スピンオフでもしっかり世の中に「はて?」と問いかけます。

ほんとはこの年の瀬を、家族や友達と、穏やかに幸せに過ごしたいのに、でも心からそれを楽しむには、……この世はあまりにも……穏やかとも、平和とも、ほど遠くて……。
海の向こうでは戦争をしているし、苦しい思いをするご婦人方は、山ほどいる。
いや、ほんっっとにそれな!!
年末年始、クソみたいな話題が多すぎる。
脚本が書かれたのって結構前だと思うんですけど、どうしてこんなに今の状況がわかってたの?ぴったりすぎん?預言者?
このセリフの契機をつくるのがよねさんであることにも、じーん……。
きっと世の中はどんどん良くなる。ここにあたしたちがいる。
寅子の疑問を直接受けたわけではない優三にカットが移って下記のように述べたのち、場が戻って寅子に直接答えるよねの言葉に続いていく場面展開も素敵でした。
来年はきっと、いい年になりますよね。
来年、再来年、その次、その次の次って、きっと世の中はどんどん良くなりますよね。
この年の瀬、「来年はきっと、いい年になりますよね」とは思えないことがたくさん続きましたし今も続いています。
さすがに「世の中はどんどん良くなりますよね」って頑張り切れねえよ、と放り投げたくなることがたくさんあった。
でも、優三さんがとつとつとした語りでそう言ってくれると、ほっとする。
そして、満を持してのよねさんの台詞。
ここにあたしたちがいる。
それだけでも、大きな一歩だ。
よねさん……(涙)!
人一倍苦労して人一倍悔しい思いして人一倍怒ってて人一倍厳しいのに、こうやって寅子を、わたしたちを励ます。
優しいなあ……。
もどかしくても、声を上げていくしかない(にっこり)
そこからは、今現在「はて?」と感じているすべての人たちへのエールの台詞が続きます。
↓ これははるさんらしいエール。
どんな物事も、塵も積もれば山となる、ですよ
続いて、寅子の台詞。
もどかしくても、大きな一歩前進がなくても、声を上げていくしかない、ってこと?
いいなと思ったのは、上の寅子の台詞に対して、ヒャンちゃんが、
はい。そうです(にっこり)
と、にっこり返したところです。
どういうことかというと。
寅子の台詞は、すでにのどがかれるほど声をあげている人たちにとっては、結構絶望の状況にもなると思うのです。
これだけ声をあげてきたのに、まだ足りないって言うのか?
もう無理、もう頑張れない、希望なんて持てない!
……みたいな。
でも、これだけ、世の中の「はて?」なことに対して、
ラーメン◯山の噂の「全マシ」かってくらいにてんこ盛りに、
書くべきことを書いてきた吉田恵里香さんから、
「はい。そうです」と、
悲壮感なくにっこりと言い切られたら。
はあ、しょうがない。
希望を捨てている場合じゃない。
疲れて少し休んでも、
また立ち上がって列に加わるっきゃない。
そんな、前向きな気分になります。
トラつばロスを生きるすべての人々への、愛にあふれたエールだった
『虎に翼』が現在進行形で放映されていたときは、多くの人がそのことについて語り、アンチもいたけど、仲間もいることが可視化され、とても勇気づけられた半年間でした。
しかし、放映が終わると同時にそうした話題もドラマとともに消えてゆき、何とも言えない心もとなさが残りました。
でも、紅白に米津さんが出演してくれて、このスピンオフドラマが放映されたおかげで、過去の話になったトラつばとそれを取り巻く言説が、この、バックラッシュ渦巻く年末に再び、「今の話」としてよみがえってきた。
そのことが心強く、ありがたいと思いました。
『虎に翼』の物語が語り終えられてその世界がいったん閉じてしまった後だからこそ、
各人がその後どうなっていくか、この物語が社会にどう享受されるか、演者の皆さんが知っているからこそ、
今立ち戻ってこの時点を演じることに愛おしさを感じているように見えたスピンオフでした。
『さよーならまたいつか!』パフォーマンス
ドラマと米津さんが交差!
ドラマパートで「100年先」のことが語られ、主題歌の歌詞の世界とドラマの世界がリンクしたのも感動的でしたが、加えて、「よねさん」「米津さん」リンクからの『さよーならまたいつか!』パフォーマンスも、ファン感涙のとても良いシーンでしたね!

この深いコミットメントには、米津さんが、「フェミニズムを描いた作品に、墨汁の一滴でも落とすようなことはできない」(大意。林修の初耳学より)「なまはんかな気持ちで向き合えない」(大意。NHKでの伊藤沙莉さんとの対談より)と語っていたのも思い出されます。
赤・緑・黒・白、でパレスチナを暗喩……?

ネット上では、このパフォーマンスで印象的に使われたカラーリングから、パレスチナの国旗を連想し、「反戦の思いを込めたのでは」との推論がありました。
確かにくらたも初見で、「階段や壁を緑にしたのはなぜ?このバックダンサーが緑・黒のカラーリングなのはなぜかな?」というひっかかりを感じていました。
だからこの推論を見たときに「おお米津さんスゴイ!」と飛びついてしまいました。
しかし、この推論に対し、「におわせるのではなくはっきりと言葉で示せない日本の芸能界の在り方への疑問」を呈する人もいて、それもそうだなと。
さらに、「もとから『この曲のイメージは緑だ』と米津さんが語っていた」という話も目にしました。
星野源さんの『ばらばら』については「星野源の言葉をそのまま受け取らずに邪推するファンはなんなの?」とか考えているわたくしとしては、まあ、米津さんが明言していないことは必要以上に真に受けないのが節度ある態度だったなと、今は思っています。
反省。
(吉田恵里香さんの脚本が先にあったのなら、「海の向こうの戦争」という台詞と、トラつばの時制と、紅白という舞台、のバランスで、米津さんなら暗喩をしこみそうな気もするが)
それはそれとして、理由はどうあれ、現在、パレスチナに真摯に思いを馳せることが大事なのはいうまでもありません。
生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ
さて、先ほど、米津さんがドラマとこの曲の歌詞について語った言葉を書きました。
「フェミニズムを描いた作品に、墨汁の一滴でも落とすようなことはできない」(大意。林修の初耳学より)
「なまはんかな気持ちで向き合えない」(大意。NHKでの伊藤沙莉さんとの対談より)
この姿勢が表れているなあと思うのが歌詞の下記の部分です。
したり顔で触らないで 背中を殴りつける的外れ
わかったような「したり顔」で”理解”を示されたことがあるがそれは的外れであった。それは自分にとっては「背中を殴りつけ」られるような経験であった。
誰かを愛したくて でも痛くて いつしか雨霰
わたしだって「誰かを愛し」たくないわけじゃない、あなたがたにとって面白くないだろうことばかり言っているからそうは見えないかもしれないが。
誰かを愛したい……それはわたしの在り方と少しも矛盾しない。
でも理解されなくて「痛い」
生まれた日からわたしでいたんだ 知らなかっただろ
あなたがたはこれまで従順だったわたしが急に”おかしなことを言いだした”、”意見を変えた”ように見えているかもしれないが、今まで表明しなかっただけでこれまでもわたしはわたしであった
米津さんは男性でありながら、フェミニストの心情をなんでこんなにわかるんだろう……!
これはわたしの歌である、と思わせられる。
わたしは、性産業で働くことを女性解放とする見方には懐疑的で、王道の「フェミニスト」とは意見が異なる点も多々あるのだけど(というかたぶんフェミニスト自体が一枚岩ではない)、
でも、現代日本における女性の置かれている現状をよく思っていないという意味では、世間的にはフェミニストと呼ばれても仕方がないのでしょう。
上記の歌詞に「これはわたしの歌である」と感じるのときの「わたし」は、まさしくわたしのなかの「世の中的にはフェミニストと呼ばれても仕方がないのでしょう」と思う部分である。
でも「世の中的にはフェミニストと呼ばれても仕方なない」わたしにバチっと刺さるこの歌詞を、男性である米津玄師さんが書いたということに、深い感慨と希望を覚えます。
↓ だって「フェミニスト」って日本においては蔑称に近くて、こういう扱い受けてるから……
日本の女性はこれらのことに批判をするとフェミニストと言われ叩かれます。
— ☁ (@yuisan_idol) January 2, 2025
日本の女性はずっと我慢してきました。 https://t.co/UwasbfKA30
だから、米津さんの歌詞には、
「女だから特別に感じることじゃないんだよ、男性だって想像力を働かせれば共感できるはずの、人間共通のふつうのことなんだ」
って思わせてもらえるのがありがたい。
総じて、いい紅白でした!
「チマチョゴリは着てません!」にモヤりはした
伊藤沙莉さんが最後に来ていたドルガバの衣装が、一部ネトウヨに「チマチョゴリ」と騒がれる騒動がありました。
それに対して伊藤沙莉さんがSNSで「チマチョゴリは着てません!」というのは悪手だったと思います。
差別する人が100%悪いんだけど、差別に乗っかるのもよくない。
寅子だったら「はて?まずこれはドルガバですが、でも仮にチマチョゴリだったとして何か問題が?」と答えていたに違いない。
ヒャンちゃんだっているんだし。
知らなかったけど、伊藤沙莉さんは日韓ダブルルーツなんだそうですね。
そうであってもそうでなくても、チマチョゴリを着てもなんの問題もない。
とはいえ
とはいえ、まあ、この歌がスペシャルドラマとともに放映されて、星野源さんは曲目変更して『ばらばら』を歌う、それだけでも今年の紅白は、
来年はきっと、いい年になりますよね。来年、再来年、その次、その次の次って、きっと世の中はどんどん良くなりますよね。
という優三さんの言葉を信じる気持ちになれる、いい放送だったと思います。
「もどかしくても、大きな一歩前進がなくても、声を上げていくしかない、ってこと?」
「はい。そうです(にっこり)」
