七(セブン) 国家に喧嘩を売った都市伝説②

帽子を深く被せられ、マスクを渡された。
そのまま男に背中を押されるように電車へ乗り込む。
「これで逃げられるんですか」
「無理だ」
思わず顔を上げた。
「監視カメラに撮られてる」
「じゃあ……!」
「時間稼ぎにはなる」
まるで天気の話でもするような口調だった。
この人は、私が見ている景色とはまるで違う世界を見ている。
恐ろしくなるほど落ち着いていた。
「あの……」
私は恐る恐る口を開く。
「七さん……なんですよね」
男は答えない。
「さっきは助けていただいて、ありがとうございました」
それでも返事はない。
「どうして私の居場所が分かったんですか」
沈黙。
返ってきたのは、襟元を指差す仕草だけだった。
襟?
ああ、自分のを見ろってことか。
胸元へ目を落とす。
制服のボタンほどの小さな黒い機械が貼り付いていた。
驚いて剥がそうと手を伸ばす。
「触るな」
低い声だった。
手が止まる。
「盗聴器だ」
「え……」
「しばらく付けとけ」
盗聴器?
付けたまま?
頭が追いつかない。
……酒場だ。
あの時、胸ぐらを掴まれた。
あれは私を脅すためじゃない。
最初から、この盗聴器を付けるためだったのか。
つまり、この人は最初から私を助けるつもりで──。
「あ、あの」
男はようやくこちらへ視線を向けた。
「なんなんですか。七って」
男は少しだけ口元を歪めた。
「前科七犯の七」
耳を疑った。
「詐欺で六回」
冗談……だよね。
思わず聞き返してしまう。
「残りは?」
男は私を見たまま答えた。
「殺人」
背筋が凍る。
私は、とんでもない相手に助けを求めてしまったんじゃないか。
そう思った瞬間、もっと恐ろしいことに気付いた。
私は、この人に何も話していない。
名前も。
事情も。
父のことも。
それなのに、この人は私を見つけ出した。
「悪いが」
「は、はいっ!」
「しばらくは元の生活には戻れないと思ってくれ」
車窓に映る自分の顔が青ざめていた。
この男は何者なんだ。
そして──。
七とは、一体何なんだ。
「降りるぞ」
七さんは短く言って立ち上がった。
「え、あ……はいっ」
慌ててあとを追う。
「あの、私たちどこへ行くんですか」
「どこでもいい」
振り返りもせず答えた。
「今は警察の動きが活発だ。留まれば囲まれる」
この人は一体何者なんだろう。
どうして私を助けてくれるんだろう。
電車を降りたのは浅草だった。
夕方になっても駅前は観光客であふれている。
外国人観光客、修学旅行生、家族連れ。
人混みに紛れれば見つかりにくい、ということなのだろうか。
七さんは人波を縫うように歩いていく。
その足が、不意に止まった。
視線だけが地下鉄の階段へ向く。
次の瞬間だった。
「いました! あそこです!」
階段の下から怒声が響く。
数人の警察官が一斉に駆け上がってきた。
腰の警棒に手を添え、真っ直ぐこちらへ向かってくる。
「思ったより動きが早いな」
七さんは小さく息をついた。
「監視カメラ……ですか」
「ああ」
わずかに口元を歪める。
「今どき、あれは馬鹿にできない」
そう言うと、私の方を見た。
「時間を稼ぐ」
電車の中で言っていた言葉だ。
「その間に逃げろ」
「え……?」
七さんはもう私を見ていなかった。
革ジャンの背中が、人混みを切り裂くように警察官たちへ向かっていく。
「止まれ!」
怒号が響く。
警察官たちが一斉に七さんへ殺到した。
私、一人で逃げるの?
せっかく七さんに会えたというのに。
その背中は、一度も振り返らなかった。
突然、人混みの中から手が伸びた。
腕を掴まれる。
「きゃっ……!」
反射的に振り払おうとする。
けれど、その手はびくともしない。
そのまま強引に人混みの中へ引きずり込まれた。
「落ち着いて。逃げるっすよ」
若い男の声だった。
そのまま私の手を引いて駆け出す。
「ちょっと待って! あなた誰?」
男は走りながら振り返った。
いたずらを思いついた子どものような笑みを浮かべている。
「七っす」
頭の中が真っ白になる。
……どういうこと?
「続きは落ち着いてから話すっす。今は走る」
連れて来られたのはネットカフェだった。
個室に入ると、ようやく息をつく。
……男性と二人きり。
狭い部屋。
私は無意識に壁際まで身を寄せた。
もし何かされたら、大声を出そう。
男はそんな私を横目で見て笑った。
「警戒モード全開っすね」
そのまま椅子へ座り、パソコンを立ち上げる。
「やっぱ遅せぇな、市販品は」
画面を見つめたまま指が走る。
「あの……何をしてるんですか」
「警察のデータベースに忍び込んで、オタクの情報を消すっす」
思わず聞き返した。
「……ハッキング?」
「そ」
「ここから?」
「そ」
そんなの映画や漫画の話じゃないの?
画面には意味の分からない文字列が高速で流れていく。
「ここ入るだけで普通は一日がかりなんすよねぇ」
「い、一日もここにいるんですか?」
不安そうに尋ねると、男は口元だけで笑った。
「俺なら五分っす」
その言葉に、不思議と嘘は感じなかった。
私は恐る恐る尋ねる。
「さっきの人……前科七犯って言ってましたよね」
「あぁ」
男は肩をすくめた。
「そういう設定っす」
「設定?」
「七なんて、ただの都市伝説なんで」
「でも、あなたが現に──」
そこで男は吹き出した。
「自分が都市伝説って、サイッコーっすね」
思わず言葉を失う。
この人は何を言っているんだ。
指は止まらない。
画面の文字だけが流れ続ける。
「警察なんてチョロいんすよ」
軽い口調だった。
けれど次の瞬間、その笑みが消えた。
「けど、俺らの標的は……そんなに甘くなくて」
部屋の空気が一瞬で変わる。
さっきまでのおちゃらけた青年はいなかった。
数秒後。
「はい、終わり」
男はキーボードから手を離した。
「これ」
新品のスマートフォンを私へ放る。
慌てて両手で受け止めた。
「かけ放題、つなぎ放題の特別プランっす」
「買い物できる口座も入れといたんで、ご心配なく」
「しばらくはそれで生きていけるっしょ」
「そ、それって……泥棒なんじゃ」
男は笑った。
「安心してください」
「表に出せない金なんで」
「困るのは悪い人だけっす」
……どういう理屈、それ。
あまりにも堂々と言うものだから、
私は思わず吹き出してしまった。
