お願い、ひとりでディナーを食べさせて
「あちらのお客様からです」
だなんて言葉と共にワイングラスを目の前に置かれる……という経験が一度だけあった。アイルランドへの語学留学中、ダブリンのレストランで一人夕食を食べていたときのこと。
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私は誰にも介入されない一人での食事が好きなのだけど、その嗜好を全うできる場所は限られている。
その点で言えば、20代後半を過ごした三軒茶屋は良い街だった。一人で夕食を済ませられるファミレスはもちろん、一人ラーメン、一人寿司、一人焼き肉……あの街はそれに勤しんでいるのが20代の女であれ、干渉せず放っておいてくれるだけの寛容さがあった。誰からも構われることなく、筋肉の抜けきった顔でタイムラインをスクロールしたり、本を眺めたり、ただ椅子に座って疲労を感じたりしつつ、目の前の飯を食らう。私はそういう時間が好きなのだ。
地元大阪の梅田では、店員さんや隣の客との何かしらの会話が発生してしまうことが多く、孤食難易度はやや高かった。知らない人と会話をしたくない訳ではないが、「お姉さん一人なん?」から始まる会話に相手への配慮が含まれていることは稀である。
しかし大阪よりもさらに孤食難易度が高かったのが、留学で1ヶ月滞在したアイルランドのダブリン。昼食はまだしも、夕食となると誰も彼もが家族や友人と酒を煽りながら楽しんでいて、一人客は滅多と見られない。じゃあ家で何か作るか……と思っても、宿には充分な調味料もないし、そもそもスーパーで手に入る食材が限られすぎている。Uber eatsで何かを頼めば解決するんだけど、環境意識の高いホストマザーを前にプラゴミの山を差し出すのも気が引ける。週に1,2回は友人を捕まえて食事に行きつつ、残りの日は「ダブリン孤食チャレンジ」と称してえいや!と店に飛び込んだ。
そんな中でも、アジア料理店はそれなりに孤食を受け入れてくれている感があったけれど、西洋に来てまで東洋の飯ばかり食らうのもつまらない。(というかダブリンで食べられる東洋の味はかなり限られていて、東洋人としては物足りなさが勝ってしまう!)
ということである夜、一人でいかにも西洋的なレストランに入ってみたところ、たちまち周囲は家族連れか複数人のグループで賑わい、私の孤独はえらく目立った。アジア人というだけでも目立つのに、さらに女一人。あまりにも寂しそうに見えたのか、しばらくして左隣のテーブルの中年男性たちから赤ワインが贈られてきたのである。
「お一人様のアジア人女性」に差し出された一杯の赤ワインが好意的なものなのか、もしくは誂いであるのかはちっとも判断がつかなかった。が、その前に、私は赤ワインが苦手だ。味は好きなものもあるけれど、その後決まって胃腸が壊れる。けれども贈り主たちは「どうぞどうぞ!」という笑顔でこちらを見ている。
どないしたらええんや……? と思いつつ、こちとらNoと言えない日本人なので飲む以外の解決方法がわからない。ということで料理をバクバク、ワインをちびちび、水をガブガブ……と出来る限り胃の中で薄めながら飲み進め、残りわずか、ようやくこの空間から脱出できるぞ……というときにふらりと右隣のテーブルにいたお爺さんがよろめき、私の席にあるワイングラスが倒れた。
それを見たウエイターがすぐさま、新しいのを持ってきてくれた。あぁ、またもやNoと言えない日本人。結果としてその夜は2杯のタダ酒に恵まれることになり、私のダブリン孤食チャレンジは「ダブリン赤ワインチャレンジ」に名称変更を余儀なくされたのだった。
──
……と、なんで急にこんな話を思い出したかって、
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