ロナルド・スティーヴン・ローダーに見る米国財界人エリートの姿
1.はじめに
今回は、ロナルド・スティーヴン・ローダー氏を取り上げる。米国の財界の真のエリートたるものが、どういう人生を過ごしているのか、そのいったんを垣間見ることができるだろう。トランプ大統領とも長年の親交があり、米国のユダヤ社会で大きな影響力を持ち、美術品の世界的な収集家であり、娘婿にFRBで活躍したケビン・ウオーシュ氏を持つ。かなりスケールが大きく、世界的な成功者とは、どういうものかを感じることになるだろう。
2.ロナルド・スティーヴン・ローダー
ロナルド・スティーヴン・ローダー氏(以下、ローダー)は、1944年2月26日、米国ニューヨーク市にてユダヤ系の家庭に生まれた。母エスティ・ローダー(旧姓ジョセフィン・エスター・メンツァー)と父ジョセフ・ローダーは、ともに東欧出身のユダヤ系移民の子孫であり、1946年にエスティローダー社を創業した人物である。もちろん、あの化粧品のエスティ・ローダーだ。今風で言えば、親ガチャは完璧な生まれということだ。
一家はニューヨークで化粧品ビジネスに打ち込み、ローダーも幼少の頃から家庭の食卓で事業の話題に触れて育ったと伝えられている。こうした家庭環境とユダヤ系のルーツは、彼のアイデンティティ形成に大きな影響を与えたとのことだ。
教育歴と青年期のキャリア形成
ローダーはニューヨークの名門公立校ブロンクス科学高校を経て、ペンシルベニア大学ウォートン校(トランプ大統領と同じ)に進学し、国際経営学の学士号を取得した。トランプ氏より2歳年上だ。さらに在学中から欧州への関心を深め、フランスのパリ大学やベルギーのブリュッセル自由大学にも留学して、国際ビジネスの課程を修了した。1964年、20歳で大学在学中に家業のエスティローダー社に入社し、国際部門の責任者に就任した。若くして海外展開を任された背景には、彼自身の国際感覚と語学力(欧州諸言語に精通)に加え、創業家の一員としての期待があったようだ。入社当初よりローダーは欧州市場への進出に尽力し、母エスティの下で17年間にわたり事業のノウハウを学んだ。
なお、私生活では1967年にジョー・キャロル・ナフ(Jo Carole Knopf)と結婚し、後に2人の娘(エイリンとジェーン)を授かっている。青年期のこうした教育と初期キャリアの経験が、彼の国際的視野とビジネス感覚を培う基盤となった。
ビジネスキャリア
エスティローダー社での役割
ローダーは1964年の入社以降、エスティローダー社の国際展開を牽引し、1968年から1986年までおよび1988年から2009年まで同社の取締役を務めた。1990年代には同社傘下ブランドのクリニークに注力し、1994年にClinique Laboratoriesの会長に就任している。2025年、ローダーはエスティローダー社の取締役会から退任し、50年以上にわたる経営参画に一区切りをつけたが、引き続きクリニーク部門の会長職には留まっている。
その他のビジネス展開
ローダーは本業以外にも投資家・経営者として活動し、不動産やメディア事業への関与してきた。例えば欧州のメディア企業CME(Central European Media Enterprises)への投資や、イスラエルのテレビ局買収などを手掛けたほか、2010年には水処理事業会社「RWL Water」を設立している。これらの事業は彼の新規事業開拓への関心と、多角的な投資戦略を物語っている。また慈善事業の観点では、兄レナードと共同で1998年に「アルツハイマー病新薬発見基金(ADDF)」を設立し、医療分野での社会貢献にも乗り出した。ビジネスマンとしてのローダーは、単に母から受け継いだ化粧品帝国を維持するだけでなく、自らの手で新たな価値を創造しようとする企業家精神に富んでいた。
政治的活動と外交歴
レーガン政権への参画
1980年代に入ると、ローダーはビジネスの第一線から一時離れ、公職に身を投じ始める。1983年、ロナルド・レーガン大統領により国防総省の欧州・NATO政策担当の国防次官補代理に任命され、国防政策の一端を担った。当時、まだ39歳である。なぜ、彼がこのポジションに就くことが可能だったのかは、よく分かっていない。いずれにしても欧州各国との防衛協力強化に努めたこのポストでの経験は、ローダーにとって初の本格的な政治・外交の舞台であった。さらに1986年、レーガン大統領はローダーを駐オーストリア米国大使に指名した。42歳で赴任したウィーンでは、当時オーストリア大統領だったクルト・ヴァルトハイムのナチ過去問題に直面し、ローダー自ら彼の戦時経歴を厳しく批判するなど、ユダヤ系米国人としての立場から毅然とした態度を示した。
大使在任中、在オーストリア米国大使館で反ユダヤ主義に基づく事件も経験し、それが後述するローダー自身の宗教的覚醒につながっていく。約1年半の大使任期(1986年4月〜1987年10月)の間、米墺関係の強化に努める一方、外交官として現地社会の反ユダヤ主義に真っ向から向き合ったことは彼の人生の転機となったようだ。
ニューヨーク市長選への出馬
帰国後、ローダーは米国内政にも関与を深め、1989年にはニューヨーク市長選挙に共和党候補として立候補した。予備選では同党の有力候補ルドルフ・ジュリアーニと争ったが、結果は約33%の得票にとどまり敗北している。
選挙戦でローダーは高額な私財(約1,400万ドル)を投入し、知名度の向上に努めた。彼の選挙戦略は当時のユダヤ系有権者の主流とは一線を画す保守色の強いもので、対立候補ジュリアーニよりも右寄りの立場を取ったと評される。イスラエル政策においてはリクード党(イスラエル右派)への強い支持を公言し、若き日のイスラエル政治家ベンヤミン・ネタニヤフとも親交を結んだ。一方、国内政策ではニューヨーク市政に任期制限を導入する公約を掲げ、市長の多選禁止運動を主導した。選挙には敗れたものの、この任期限制限の提案は市民の支持を集め、1993年の住民投票で市長および市議会議員の任期制限が実現している。ローダー自身も1994年に市長の任期を2期8年に制限する条例制定運動に成功し、政治改革派として一定の成果を残した。
国際交渉と共和党での活動
1980年代後半以降、ローダーは政界での人脈を広げ、共和党の資金調達にも積極的に関与した。ニューヨーク州共和党財務委員長を務めた経歴もあり、全米レベルでも有数の共和党支援者として知られるようになる。外交面では、イスラエルのネタニヤフ首相からの信頼も厚く、1998年にはネタニヤフ(当時第一次政権)に請われてシリアのハフェズ・アル=アサド大統領との秘密和平交渉に臨んだこともある。
ローダーはシリア側の姿勢に柔軟性が出てきたことをイスラエルに伝え、独自に和平条約草案を作成するなど奔走したようだ。
加えて、1999年にはユダヤ人団体の連合組織「主要米国ユダヤ人団体会議」の議長に就任し(〜2001年)、米国ユダヤ社会とイスラエル政府を繋ぐ調整役も担った。1997年から約10年間はイスラエルの植林事業などを行うユダヤ民族基金(JNF)の総裁を務め、同基金の運営改革にも寄与している。こうした国際・政治活動の経験により、ローダーは政財界に広い人脈を築き、後述するトランプ大統領との関係や娘婿のウォーシュ氏との繋がりにも影響を及ぼすことになるのだ。
このようにうユダヤ社会でも大きな影響力を持つのだが、あのジョージ・ソロスとは共通点が多いものの、あまり交流はない様子だ。また、米国ユダヤ社会で大きな影響力のあるラム・エマニュエル(元日本大使)との交流も限定的な様子だ。両者がリベラルなのに対し、ローダー氏は保守であり、スタンスが異なっているためだろう。
トランプ大統領との私的・公的関係
ローダーとトランプ大統領の関係は、数十年に及ぶ長い歴史を持つ。2人はいずれもペンシルベニア大学ウォートン校出身で、1980年代にはニューヨークの実業家同士として交友を深めた間柄だ。1989年にローダーがニューヨーク市長選に出馬した際、トランプ氏は地元の有力デベロッパーとして各候補に接近しており、この頃から私的な親交が芽生えたとされる。以来、ローダーはトランプ氏を「長年の友人」と呼ぶ間柄であり、トランプ氏が政界に進出する前からビジネスや社交の場で付き合いを重ねてきた。2004年にはエスティローダー社(クリニーク部門)が「ドナルド・トランプ」ブランドの男性香水を発売するビジネス提携まで行ったこともある。ちなみに、トランプ氏は、その後「Success(2012年)」や「Empire(2015年)」という香水をエスティローダ社とは別に売り出している。ネーミングが凄いね。
資金援助と政治支援
トランプ氏が2016年大統領選に立候補した当初、ニューヨーク財界の多くが懐疑的だった中で、ローダーは比較的早い段階から支持に回った。彼の政治献金は数百万ドル規模とアデルソン氏(カジノ王)ほどの巨額ではなかったが、2016年の選挙戦および就任式関連行事に対し累計100万ドル近い資金提供を行った。とりわけ注目を集めたのは、2017年1月ホロコースト記念日の大統領声明でトランプがユダヤ人言及を欠落させた際、主要ユダヤ人団体が批判する中でローダーだけは「問題ない」と擁護した。このローダーの対応は「誰も味方がいない時に支えてくれた忠義」としてトランプから感謝され、以降政権内で一層重視される存在となった。
しかし、2020年の大統領選挙後、トランプが敗北を認めない姿勢や議会襲撃事件(2021年1月6日)を経て政界で影響力を失うにつれ、ローダーは距離を置くようになる。2022年には「長年の友人でありトランプ氏に献金もしてきたローダー氏だが、2024年の選挙では彼を支援する計画はない」とのスポークスマン声明が報じられ、政界で話題となった。この変化は、ローダーがビジネス上の関係と政治的信念を切り分け、状況に応じて現実的判断を下す人物であることを示唆している。
政策助言と人脈
ローダーはトランプ政権において非公式の外交・政策アドバイザー的な役割も果たした。最も知られるエピソードが「グリーンランド購入構想」である。2018年前後、トランプはデンマーク領グリーンランドの米国による取得を真剣に検討して周囲を驚かせたが、そのアイデアを最初に吹き込んだのが他ならぬローダーであったようだ。ローダー本人もホワイトハウスを訪れ、トランプとグリーンランドについて議論した上で「デンマーク政府と交渉するための密使役」を自ら提案したとのことだ。この構想自体はボルトンや他の高官により実現しなかったものの、トランプが公にグリーンランド買収に言及する事態へ発展し、国際的な波紋を呼んだ。このケースは、ローダーが単なる財政支援者に留まらず、政策アイデアを直接大統領に提案できる「ビリオネア外交官」的な存在だったことを如実に示している。
また中東政策に関しても、前述のようにローダーはトランプにパレスチナ自治政府との対話を働きかけたり、イスラエルの立場を擁護する国連外交の強化を助言したりしたとされる。トランプ政権下でイスラエルと湾岸諸国の国交正常化(アブラハム合意)が実現した際には、ローダーは「中東諸国をまとめたトランプ氏の功績」と称賛するコメントを出し、同盟国イスラエルへの支持を重ねて強調した。
プライベートでは、トランプとローダーはマー・ア・ラゴ(フロリダのトランプ邸)での会合やニューヨーク社交界のイベントで度々同席してきた仲でもある。もっとも、ローダーはあくまで自立した立場の実業家・慈善家であり、特定政治家のイデオロギーに全面的に与するタイプではない。彼がトランプとの距離を縮めたり離したりする様子は、一族の名声と影響力を守りつつ、ユダヤ人社会の利益と米国の安定を考慮した柔軟な対応と見ることができる。総じて、トランプとの関係はローダーの「長年の友人としての信頼関係」と「現実的な政治判断」の両面が交錯する、複雑かつ興味深いものである。
宗教観・思想
ユダヤ教との関係
ローダーは生まれながらにユダヤ系であったものの、若い頃は信仰心が薄く「高齢者の祝祭日に改宗派の礼拝に行く程度の、ごく世俗的なユダヤ人」だったと自認している。転機は1986年のウィーン大使在任時に訪れた。東欧から亡命してくるユダヤ人家族や、ホロコースト後に細々と存続していた現地ユダヤ人社会の困難に直面し、さらにオーストリア社会に根強く残る反ユダヤ主義を目の当たりにしたことで、彼の中にユダヤ人としての使命感が芽生えた。ローダーは「在任中に体験した反ユダヤ主義と子供たちへの影響が、自分自身をより強いユダヤ人に変えた」と述懐しているのだ。
1987年に大使職を離れ帰国すると、直ちに「ロナルド・S・ローダー財団」を設立し、ホロコーストと共産主義支配で壊滅状態にあった中東欧のユダヤ人社会再建に乗り出した。同財団は東欧各国に及ぶ広範なネットワークを築き、ユダヤ学校・幼稚園やサマーキャンプ、コミュニティセンターの開設支援を行っている。ローダーは「他に誰もやらないのなら自分がやるまで」との信念で東欧ユダヤ人教育に数千万ドル規模の私財を投じ、同地域の若い世代がユダヤ人としてのアイデンティティを失わずに済むよう尽力した。
思想的立場
政治思想面では、ローダーは一貫して保守的・タカ派的なスタンスを取ってきた。1980年代に国防総省で軍備強化に努めた経歴や、1989年の市長選で示したように、犯罪対策・行政改革に厳格な姿勢を示す一方、外交・安全保障ではイスラエルの安全を最優先に考える強硬な発言も目立った。彼は自ら「イスラエルとユダヤ人の擁護者」であることを公言し、米国のユダヤ人リーダーとして各国首脳とも対話している。2007年6月、世界ユダヤ人会議(WJC)の会長に選出されると、国際舞台で反ユダヤ主義への断固たる対決姿勢を鮮明にした。例えば2009年にはF1のバーニー・エクレストンがヒトラーを称賛する発言をした際、「そのような人物が人気スポーツを率いるべきでない」と退任を要求した。
一方で、イスラエル政策に関しては必ずしも強硬一辺倒ではなく、トランプ政権初期にはパレスチナ自治政府との対話を促すよう進言したと報じられる。実際、トランプ大統領が2017年にパレスチナのアッバス議長と会談した裏には、旧友ローダーの働きかけがあったとされ、右派のユダヤ人から戸惑いの声が上がった。このようにローダーの思想は基本的に親イスラエル・反共産主義の保守路線だが、実利的な和平の模索やユダヤ人の団結を重視する柔軟さも併せ持っていると言える。
文化・芸術活動
ローダーは著名な美術品収集家としても知られている。若い頃から印象派絵画などに関心を寄せ、後にオーストリア表現主義の巨匠エゴン・シーレの作品に魅了された。コレクションは中世美術から現代美術まで4000点以上に及び、その範囲は13〜14世紀イタリア絵画やルネサンス期の甲冑から、グスタフ・クリムトやシーレ、オットー・ディックスらのウィーンやドイツ近代美術、さらには現代アートにまで多岐にわたるとのことだ。
ローダー自身、「アート作品には『Oh』『Oh My』『Oh My God (OMG)』の3段階があり、自分は“OMG”級の作品のみ収集する」と語っており、至高の作品を得るためには時間も費用も惜しまない主義であると主張している。その言葉通り、2006年にはクリムトの傑作「黄金のアデーレ」を当時史上最高額の1億3,500万ドルで購入し、自ら「我々のモナリザ」と称した。この作品は元々ナチスに略奪された後、長年の訴訟を経て元所有者の遺族に返還されたものだったが、ローダーが買い取ってニューヨークに移し、自身が創設した*「ノイエ・ギャラリー(Neue Galerie New York)」の目玉展示となった。
ノイエ・ギャラリーは2001年、マンハッタンのアッパーイーストサイドにある邸宅を改装して開館した美術館で、20世紀初頭のドイツ・オーストリア美術に特化している。ここにはローダーの蒐集したシーレやクリムト、ココシュカなどの名品が多数収蔵されており、同館は世界有数のオーストリア表現主義コレクションを誇る。ローダーはまた、ニューヨーク近代美術館(MoMA)の理事・会長も務め(1995年~2005年頃)た。さらに世界各地の文化遺産保存にも関心を寄せ、ワールド・モニュメント財団など文化保護団体の役職にも就いている。元気だな~。
寄贈と文化支援
ローダーの文化活動は収集だけでなく、寄贈や支援の形でも顕著である。1987年には東欧のシナゴーグ修復などを支援する「ユダヤ遺産プログラム」を立ち上げ、歴史的建造物の保存に取り組んだ。2019年には第二次世界大戦博物館(米マサチューセッツ州)から膨大な戦争資料コレクションを買い取り、その保存に関与した。また甲冑蒐集家としても世界的な存在であり、2020年には自身の中世・ルネサンス期の武具コレクションから厳選した91点をニューヨークのメトロポリタン美術館に寄贈している。これは同館の武具甲冑部門にとって1942年以来最大の寄贈となり、感謝の意を込めて館内の甲冑ギャラリーは「ロナルド・S・ローダー・コレクション」と命名された。このようにローダーは、「真に価値ある芸術を未来に伝える」ことを信条として、文化財への惜しみない投資を行っている。
人生哲学・価値観
ローダーの人生哲学は、ビジネス・信仰・芸術といった多方面の経験を通じて形作られている。その根底には「自分に与えられた使命を見極め、情熱と責任を持って遂行する」という信念があるようだ。彼は「自分の親の遺産に頼るのではなく、自らの行動で尊敬を勝ち取らねばならない」との教えを胸に刻み、親から引き継いだ事業を更に発展させるべく努力してきた。
ビジネスでは直感と信念を重んじ、周囲の助言に流されず自ら正しいと思う道を進む姿勢を示した。実際、彼がナチスに忌避されたオーストリア表現主義の芸術品を大量に収集し、美術館を設立するというビジョンを実現したのも、そうした「自分の直感に従え」という哲学の表れと指摘される。
また、人材育成にも情熱を注ぎ、「人に投資せよ」とのモットーを掲げて若者に機会を与えてきた。東欧のユダヤ人社会を復興する際も、各国に熱意ある若い指導者を配置し、裁量と支援を与えることでコミュニティの長期的自立を促した。この結果、ローダーが見出した多くの若者が各地で指導者となり、地域社会に貢献している。ローダー自身、「自分が現場に行かずとも、志ある人々に投資すれば歴史を動かせる」と語っており、その視座は一代で終わる慈善ではなく世代を超えた遺産づくりに向けられている。
さらに、ローダーは家族と伝統を重んじる価値観も持つ。母エスティから学んだ「心から良いと信じるものだけを情熱をもって売りなさい」という信条や、祖先から受け継いだユダヤ人の誇りは、彼の人生の指針となっている。世界ユダヤ人会議のモットーである「全てのユダヤ人は互いに責任を負う(All Jews are responsible one to another)」という言葉にも象徴されるように、彼はユダヤ民族の連帯と相互扶助を強く信じ、その実現に尽力してきた。公の場での発言や寄稿でも、反ユダヤ主義や独裁への警戒、教育の重要性、文化遺産の保護など、人類普遍の価値と歴史から学ぶ姿勢を繰り返し訴えている。
ローダーの人生哲学は要するに、「自らのルーツと信念に忠実であれ」という一言に集約できる。ビジネスマン・外交官・慈善家・収集家と多彩な顔を持ちながらも、一貫して自身の価値観に基づき行動する姿は、多くの人々にとって信頼に足る指導者像として映っている。
家族関係
ローダーは妻ジョー・キャロルとの間に2人の娘をもうけている。長女のエイリン・ローダー(Aerin Lauder, 1970年生)はエスティローダー社のクリエイティブ・ディレクター等を務め、自身の名を冠したライフスタイルブランド「AERIN」を立ち上げるなど、実業家・デザイナーとして活躍している。次女のジェーン・ローダー・ウォーシュ(Jane Lauder Warsh, 1973年生)もスタンフォード大学卒業後に家業に加わり、エスティローダー社の取締役・製品開発担当幹部を務めるなど、一家の事業を支えている。ジェーンは2002年に経済学者で金融官僚のケビン・ウォーシュ(Kevin Warsh)と結婚しており、この縁組を通じてローダー家は米国政財界と新たな絆を築くことになった。もちろん、次期FRB議長候補のウオーシュ氏のことである。
ケビン・ウォーシュはスタンフォード大学でジェーンと同窓となり出会った人物で、2006年にジョージ・W・ブッシュ大統領によって連邦準備制度理事会(FRB)の最年少理事に抜擢された経歴を持つ金融エリートである。2011年にFRB理事を退任した後も、シンクタンクのフーバー研究所フェローを歴任し、保守派経済学者として影響力を保持している。ドナルド・トランプ政権下では経済政策顧問の一人に名を連ね、次期FRB議長候補や財務長官候補にも取り沙汰されている。このようにウォーシュは金融界・政界で台頭したが、その背景には義父ローダーの存在も指摘される。事実、2006年のFRB理事起用時に「著名な共和党寄付者ローダーの娘婿」というコネクションが有利に働いたとの観測もあった。ローダー自身、娘婿ウォーシュを公私にわたり支援している。こうした娘と娘婿の関係は、ローダー家が政界・金融界へ及ぼす人的ネットワークを物語るものでもある。
なお、ローダーは兄レナード・ローダーの家族とも緊密である。兄レナードの息子ウィリアム・ローダー(William P. Lauder)はエスティローダー社の現経営トップ(取締役会長)を務めており、ローダー家の次世代が着実に事業と資産を継承している。また妻ジョー・キャロルとは結婚から半世紀以上にわたりニューヨークや欧州で社交活動を共にしており、夫妻は文化・慈善事業におけるパートナーでもある。ジョー・キャロル自身も美術品収集に熱心で、夫と共にドイツ表現主義や現代美術のコレクション形成に貢献している。このようにローダーの家族関係は、ビジネス・政治・文化の各方面に広がる人的ネットワークの中核を成しており、一族の影響力はアメリカ屈指のものとなっている。
趣味やプライベートな交友関係
ローダーの趣味として特筆すべきは、前述の美術品収集や甲冑コレクションである。世界最大級といわれる彼の武具甲冑コレクションは、単なる趣味の域を超えて専門的な蒐集となっており、中世・ルネサンス期の歴史や武具の美術的価値に対する深い造詣がうかがえる。また古美術やオールドマスター絵画の収集も行っており、なかにはマティスの《黄色いカーテン》のように一時彼の所有となった名画もある。これら芸術品への惜しみない投資は、ローダーにとっては自己表現であると同時に文化保存への使命感とも結びついている。
プライベートな交友関係に目を向けると、ローダーはその財力と社会的地位から各界の名士との親交を持つ。政界では歴代アメリカ大統領(レーガン、ブッシュ家、トランプなど)やイスラエルの指導者たち、ドイツのメルケル元首相ら各国首脳とも面識が深い。特にイスラエルのネタニヤフ首相とは1980年代から家族ぐるみの付き合いがあり、ネタニヤフの在野時代にもローダーが人的・財政的支援を行ったことで知られる。
財界では盟友ともいえる兄レナードや、同じくユダヤ系の大富豪シェルドン・アデルソン(カジノ王)らと交流があった。とりわけアデルソンとはともにトランプ大統領の有力支援者として知られ、イスラエル政策を巡って影響力を競い合った間柄である。趣味の領域では、クラシック音楽の愛好家としてニューヨーク・フィルハーモニックのイベントに姿を見せることもあり、美食家としても著名なレストランでの目撃談が報じられることがある。またスポーツでは若い頃テニスに親しんだといい、現在も健康維持のためにプレーすることがあるという。
このようにローダーの人脈は、ビジネスエリート、各国首脳、文化人、宗教指導者にまで広がっている。その交流範囲はニューヨーク、ワシントンD.C.から欧州、イスラエル、中東に至るグローバルなものだ。
プライベートでも各地に邸宅を構え(ニューヨーク、ロングアイランドのワインスコット、ワシントンD.C.、フロリダ州パームビーチ、パリ、ウィーンなど)、そこで家族や友人と過ごす時間を大切にしている。豪奢なライフスタイルを送りつつも、交友関係においては相手の立場を問わず敬意を払い、「人と人との対話」を重視する姿勢が窺える。例えばローダーは「誰からでも学べる何かがある」として自分より年長の知恵者を師と仰ぎ、目下の若者にも助言と機会を与えることを厭わない。その人格的魅力が広範な交友ネットワークを支える要因となっている。
まとめとして、ローダーの人生は、家業の化粧品帝国を基盤に、外交・政治・慈善・文化と多方面に展開された稀有なものと言える。幼少期から受け継いだユダヤ系移民の勤勉さと家族の教え、そして自身の体験から得た信念に従い、彼はビジネスの成功のみならず社会への貢献にも尽力してきた。その足跡はニューヨークの企業経営からウィーンでの外交、日本から東欧に及ぶユダヤ人社会の再生、美術館設立による文化遺産の保存、そして米国大統領への影響力行使にまで及ぶ。ローダーは現在も世界ユダヤ人会議会長として反ユダヤ主義と闘い、エスティローダー財閥の重鎮として企業と家族を見守っている。彼の歩みは、「誇り高きユダヤ人ビジネスマンによる社会的責務の遂行」そのものであり、21世紀における財界人の一つの模範像を示していると言えよう。
どうですか?米国の財界の大物は半端ないですよね・・・
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