【小説】僕らの音を(4)
誓歌高校軽音楽同好会の部室に、サラーと伊角の姿があった。それぞれがギターを構え、音量は落として試行錯誤を繰り返しては黙々と悩んでいる。
彼らのそばには、音楽がある。
「昨日のあれはひどかったんじゃないか」
音楽実験中の2人は、その手を止めないで伊角がサラーへ投げかけた。何がだ?とサラーが何も答えないので、伊角は手を止めて言葉を続けた。
「一発目のセッションだよ。最初は簡単な曲を練習としてなぞることだってできたはずだ」
あくまで実験を続けながら、サラーは答えた。
「でもあいつは俺たちに、ある答えをくれたぜ?」
伊角は語気を強めて、
「修司を、おまえの音楽のためだけに、その糧として食いつぶすつもりなら、俺はおまえを許さない」
サラーはようやくその手を止めた。
「あいつも、特別の側だってことか?」
「そうじゃない。特別だとか関係なく、ひとりひとりの存在がそもそも尊いものだと、俺は思っている。糧としていい人間など、元からいないんだ」
サラーは一度伊角を見て、自らの足元へ視線を落とした。いつもとは逆に、近くのものを見落としたくないというように。
そんなサラーを見守りながら、伊角は言った。
「修司は逃げない。俺はそう信じる。だとしたら修司は語り部となる男なんだ」
語り部――伊角がその言葉に込めた意味をサラーは考えている。やがてサラーは、負けたよと認め示すように首を横に振ってみせた。
「わかったよ。気をつけるさ」
「修司を仮として加入させたのはそういうことでもあるんだ。修司は俺たちの一部じゃない。一部にしてはいけないんだ」
修司が部室に入ると、すでにそこにはサラー、伊角、松田の3人がいて、楽器を奏でていた。やっぱり、これがフレアーの本来の姿で、あの雑談期間は僕に合わせてくれていたんだ、と修司は思った。松田さんの音はずっと乱れることなく正確なリズムを刻んでいて心地いい。サラーさんの音は挑戦的、挑発的といえて特別なことをやっているんだとわかる。伊角さんの音はどんな時もその音色からは優しさを感じられる。
修司に気づいた3人に一礼し、修司はいつもの場所で持ってきたベースをアンプにつないだ。
修司も加わり、4人の音は時折重なったり離れたりしながら、それぞれの練習を続けた。疑問が浮かべば議論を交わすこともあった。
やがて伊角がひとつ伸びをしてギターを置いた。修司は休憩かなと思ったが、伊角はすぐに荷物から新たな資料を取り出し、部室の一角――ホワイトボードの前へと行き資料を机の上に置いた。
「修司、ベースを持ったままそこの椅子へ座ってくれ」
修司が指示通りに席へ座る。伊角と向かい合う形。
「今日からおまえに、音楽理論というものを教えていく」
修司に驚きはあったが、すぐに受け入れた。
「はい、よろしくお願いします。伊角先生」
「俺たちが教えられる全てを、おまえに叩き込んでいくぜ」
授業が始まった。
今日のお題は「スケール」だ。間違ったことを記すわけにはいかないので、音楽理論の詳細には立ち入らない。
特筆すべきは、修司の表情だろう。伊角の授業が始まりその内容が少しずつ頭に入ってくると、すぐさま修司の目に輝きが満ちた。授業が進むにつれその輝きはますます強くなっていく。
時には実際にベースを鳴らしてみて確かめる。
今まで修司にとって音符は楽譜通りになぞるだけの記号のようなものだった。そんなひとつひとつの音が初めて、かたまりになり、つながりをもって解釈することができた。
修司は思う。
この音はもう孤独じゃない。この音も、この音もひとりきりじゃなくて、他の音とつながることができるんだ。
伊角の授業が終わっても、修司は飽きることなく音をつなげた。
放課後に部室へ行き、意見交換込みの練習と伊角の授業をして、家に帰って復習の自主練習をする。それが修司のルーティンとなっていた。
「今の説明は必要だったか?わかりにくくしただけじゃないの?」
「いやいやこれは省けないことなんだよ」
今日も伊角の授業を修司は受けている。サラーの野次に伊角が受け流したところだ。
賑やかに、会話も音も交えながら、フレアーの日常が形作られている。
個別の練習。気づけば修司はサラーと二人きりになっていた。「修司」とサラーから名前を呼びかけられて、そのことに気づいた。
「憧れるまではいいとして、俺を崇めるのはやめておけ。俺を神にすることはやめろ」
修司はサラーに向き合っている。
「背後の世界を、俺は信じない」
サラーは言葉を選んで、修司に何かを伝えようとしている。
「不朽の名曲を作ろうと、俺たちは死んだらそこまでだ」
サラーは真っすぐに修司を見つめて、修司もそれを受け止めている。
「だから生きるんだよ。かっこいい時も、無様でも、懸命にさ」
そう言い終えて、サラーは照れを隠すように言葉をつなぐ。
「俺は単純だからさ、全ての音楽家と戦っている気でいる」
照れはなくなり、いつもの芯の強いサラーがいた。
「俺にとって音楽は自己表現だ。それは間違いない。だがそれを鏡に映して作られた音楽を聞く側のことを考えたとき、俺たち音楽家はその人生の時間をもらってるんだ。大切なそれを奪っているといってもいい。聞く側の人生にどれだけの影響を与えるか……いわば音楽家のなわばり争いさ」
サラーは一拍を置いた。修司がここまで来るのを待っているというように。
「だから修司。俺を殺してみせろ。おまえが俺を過去のものにするんだ」
修司はしかとメッセージを受け取ったが、これを咀嚼して飲み込むには時間がかかるだろうと理解した。それだけ重い言葉で、サラーの最後の願い、頼みを果たすことは、今の修司には本当に神さまを殺してしまうことのように恐ろしく、遠いことのように思えた。
修司がいつものように部室に入ろうとしたとき、伊角の声が聞こえてきた。修司はしばし扉を開くのをためらった。
「いいんだ。恨んでない。本心だよ。でも今さら取り繕おうとしなくていい」
伊角は電話をしているようだった。ならばこれは盗み聞きをしていることになる、修司にはそれがわかっていたが、入ることも去ることもできず立ち尽くすことしかできなかった。
「知ってるだろ?俺には無駄にできる時間がない」
伊角の発言に、修司の脳裏に様々な可能性が駆け巡り事実を探った。しかし答えが得られることはない。
電話は終わったようだった。伊角はひとり呟く。
「うん。大丈夫だ。わかってる。そのときはいつか来るだろう。でも今じゃない」
伊角は自らに言い聞かせるようにしてから、部室を出るようだ。修司が動揺しているうちに扉が開いた。
「おう修司。今日はセッションの日だったな」
いつもの表情で、伊角は言った。正直に告げるべきか隠し通すべきなのか、修司が正解を迷っていると伊角の柔らかな態度が全てを吸収した。
セッションが始まる。
週に2回か3回程度セッションは行われ、その都度全力をもって解散までひたすら音楽を磨いている。
サラーも松田も集まってきていた。修司の都合など関係ないかのように、あるいは皆の都合を全て飲み込んで、音楽という集まりを成す。修司はこの音楽というものを恐ろしいとも敬うべきとも思い、畏れを抱くようになっていた。
まず、ライブで演奏することが決まっている曲から皆で合わせる練習をする。これは完全な反復練習の要素と、少しでもクオリティを上げていくための意見交換と実践で出来上がっていた。
選曲は初心者である修司への配慮もあったがその全てを修司に合わせるわけにもいかない。修司は必死で他の3人に着いていく。自分が未熟であることは間違いないが、それぞれの歌の音楽としての魅力はこの未熟さとは関係ないところに存在している。その魅力を少しでも伝えるんだ。
あとは新曲『神話のころ』を作り上げることだった。
まだ正体のわからぬこの歌を、新しいものを採用しては削ぎ、繰り返し繰り返し、少しずつ形にしていく。サラーと伊角にはその先にある最後の形がはっきりと見えているようだ。
今は、楽器で織り成すハーモニーに一定の手応えを感じたのか、サラーが主役となるメロディを乗せていく。慎重に探していく。それに伊角がはっきりと意見し、サラーと共有するイメージは音楽としての実体を得ていく。
「修司、今のはよかった。何でもやってみろ」
数え切れぬほど繰り返したセッションのひとつが終わり、伊角が修司に声をかけた。伊角は自分の役割を果たしながら修司をフォローすることも忘れていない。修司は素直に感心した。
サラー、伊角、松田、修司の4人ともが汗だくになっていた。修司は息を整えているが、限界は目に見えている。
「もう一回いこう」とそれでもサラーは言った。
サラーの頬を汗が伝って、落ちる。
「十代の少年が夢中になるものなんて、何だっていいんだよ」
ぞくっとした。それがサラーの色気によるものか、その言葉の力によるものか、修司にはわからない。
「俺たちには音楽がある」
サラーが松田に再開をうながす。
「せいぜい楽しんでいこうぜ」
セッションは続く。
B-side 無敵
伊角九郎とサラー・ヘッジホッグ。
2人が運命的な出会いを果たしてから1年が過ぎた。
中学3年生の夏。
ギターを始めた伊角はサラーと音楽を紡ぎ続けてきた。
ギター2つで無限のミュージック。
「そのコード進行は安易だろ」
「おまえの歌詞とメロディのほうがつまらねえよ」
「ここは一旦落とす感じで」
「こっちはもっとボリュームがいるだろ!」
「天才かよ」
「無敵のサウンド!」
「音がうるせえ!」
「黙れ!」
今日も屋外で2人は飽きることなくギターを弾き、歌い続けた。
喧嘩をしては褒め合い、ぶつかっては融合する。音楽そのもののような営み。
いつしか、背景は星空。
休符のような空白で、サラーは言った。
「なあ、俺は誓歌高校に行くぜ。自分のバンドを作るんだ」
サラーの決意を、隣りの伊角はサラーが新曲のアイデアを持って来たのを聞くように、普段のように迎え入れた。
「九郎、一緒に行かないか?」
伊角がサラーを見た。サラーは伊角のほうを向き返すことをせず、視線を合わせようとしない。
伊角が再び正面を向く。「おまえの提案を理解し、考えたよ」と示すような間を置いて、伊角はうなずいた。
伊角のほうを見ていないサラーだったが、すぐさま反応して伊角の側にある腕を上げその手のひらを伊角に向けた。
察した伊角が対応する手のひらをサラーの手のひらに軽く合わせた。
『この気持ちも、いつか歌に変わる』
2人は笑っていた。
