桃尾の瀧
【過去の記録◆2022年6月17日】
「桃尾(もものお)の瀧」は、古今和歌集(平安時代)では「布留(ふる)の瀧」と詠まれています。
街から最も近いけれど、ひとの手で置かれた物が滝前にたくさんある、と知ったため、行きたいとはおもっていませんでした。
ところが前夜、【桃尾の瀧にあらわれた白龍に陽が射すと虹になり、白龍は虹色の龍になる】という話を読み、どうしても行きたいと感じたのです。
『せいれいの瀧』でも、晴れた日に行ったが虹は見えなかった、と書かれていた方がいらっしゃいました。
太陽の動きに伴って虹のできる所はどんどん移っていくので、「立つ場所(視点)」を変えられないのなら、見えない時間のほうが多いはず。

滝壺が無いので、水の落下点は穿たれない岩なのでしょう。
光が当たって、広げた翼のようにみえます。

透き通った白い光球はおもわぬ時に(瀧の無い所でも)写るから、水滴と考えず、「自然霊が歓迎してくれていた」と感じます。
自分のなかに愛が増えるので。

流れる水に光が射すと、大鳥(おおとり)や小鳥が飛び交っているようにみえます。


瀧にずっと陽が差していたので、着いたときから虹を探していました。
立つ場所を変えても見えないから、岩の上に立って高さを変えてみると、足元の暖かい色が目に留まったため(写真の中央下寄り)、
「岩の色だとしても、念のために撮っておこう」とおもったのでした。
水が流れていない所は、濡れた岩が鏡のようになって周りの景色を映しています。

ズーム機能を使って撮っておきました。写真だと虹色であると判ります。

岩肌から抜け出ると、白い水しぶきの中で、虹だとはっきり判りました。
気づいていなかったけれど『瀧の正面から(全長23メートル)[21秒]の動画】にも、12秒あたりから水しぶきの中で揺れる虹が映っています。

陽が翳ったのです。

それまで写っていなかった光球が、一瞬だけ現れました。
(撮ろうとしても撮れない写真だから、水滴であってもいいのです。)

「さようなら」というように1回だけ虹が現れて消えました。

木々の間を縫って虹ができる所まで光が届いたときにだけ逢えるのです。
虹に逢えたので岩の上に留まる必要がなくなり、左側に移動して間近から落ち口を撮りました。
古くから修験道の行場として知られている瀧で、いまでも滝行をされる方がいらっしゃるそうです。




撮っているとき不意に、「龍が鳴いている」と感じました。
耳で聞こえる声なのか確かめるため周囲を見回すと、神域の外側に立って法螺貝を吹いていらっしゃる方が見えました。
動画にも法螺貝の音が入っています。
(そういえば、「桃尾の瀧」から車で1時間以上も離れた「せいれいの瀧」でも法螺貝の音を聞きました。)




坂を下れば、すぐ人里に出ます。そこから市街地まで数分。

瀧のすぐ前に車を止められたので、「車椅子&杖ユーザーのわたし」でも楽に行ける場所でした。
[2022年9月24日に追記]
0歳のときと30歳のときの手術痕に少しずつ負担がかかっていたらしく、『桃尾の瀧』へ行った日を境に、背負うのが簡単ではない身体障害が増え、
「この身体で生きているのはしんどいなあ」と何十日も考えていたけれど、
2ヶ月かけて新しい補装具を考え出せたとき、再び希望がみえました。
日常の様々な動作に合わせて、頭のてっぺんから踵まで、様々な補装具を着けて生活するのは面倒ですが、先天性で進行性の身体障害があると周りも自分も知らなかった頃より、ずっと楽です。
車椅子を「COGY(足こぎ車いす)」に替えてからは、首や背中にかかる負担が減り、耳が聞こえやすくなり、指が動きやすくなり、呼吸がしやすくなりました。
それまでは、息をするたび喉で笛のような音が鳴ったのです。横になると息が止まるため、座ったまま睡眠をとることもありました。
障害認定を受けたとき、「あなたの身体は座ることでは休めないのです。疲れる前に寝てください」と教えられましたが、そのときにはもう横になる姿勢もできなくなっていたため、どうやって存在していればいいのだろうとおもいました。
それでも、1日ずつ生きていれば何年も生きられるものです。
