「環のクニ」の表土で
【記録◆2025年4月4日】
「雨上がりに大和盆地を取り巻く白い龍のよう」と、心で呟きました。
桜が、「山の麓に現れて、平野部との境を隠す雲」のようだったので。

『唐古・鍵遺跡 史跡公園』が無かった頃、「唐古池」の桜といえば、北側の道路にかぶさるような大きな樹を思い出すのでした。急な階段を上がれば、小径の両側から差し出た枝が屋根のようになっていました。
東も南も西も、復元楼閣までの細い土の道が草の間に続いていて(根には土器の破片が粉々になって絡んでいたかも)、木陰はありませんでした。
その時より少し後の写真は、以下の記事内。
植樹された桜は、まだ若木です。
ひとの居ない所を好むため、「唐古池が桜に取り囲まれている風景」は、
目にする機会がありませんでした。
けれども、花も葉もない枝の向こうに透けていた「復元楼閣」が、春にはどのように見えるのか、確かめたくなったのです。
冬の光景は、以下の記事内。
今回は、出先からの寄り道だったため、
「COGY(足こぎ車いす)」を車に載せていません。
二本杖で、桜の立ち並ぶ丘を目指しました。
前回は、「COGY(足こぎ車いす)」が進まないほど強い風が吹いていて目指す所は遠く、誰も居なかったから、なりふり構わずに漕ぎ続けました。
辿り着いた唐古池では鴨の群れが、艶やかな頭部の羽を風に逆立てられて泳いでいたのでした。
冬の終わりに飛び立った鴨たちは、どこで過ごしているのでしょう。
駈けるように速く芝生を横切り、「車椅子でなかったら、道は短いのか」と驚きました。
平日でしたが、「こんなに たくさんの にんげんを みたのは ひさびさ」
という混みよう。
それなのになぜか、「ひとが居る」という感じはしないのです。
樹下では、桜の幹や枝と一体化しているよう。
芝生では、草と一体化しているよう。

ひとは、朗らかに過ごすと、木や草のようになるのかもしれません。
温かい日差しのうちで、女性や子どもたちや高齢者は特に。
どこにも、塵ひとつ落ちていません。
お菓子の包み紙が風で飛ばされている、ということもありません。
こんなにたくさんのひとがいるのに。
もちろん、池の水面には、何も浮いていません。
そこに何かを投げ込もうとしないのです、誰ひとり。

古い神さま方は、このクニの民を誇らしくおもわれるでしょう。
(帰るとき、広い駐車場にも塵ひとつないと確かめました。)
いま居る所の「50センチ下」には環のクニがある、と思い出したら、
「争いの跡を残さなかった方たちと、わたしたちは響き合っている」
という気がしました。
九州から攻め上がってきた勢力は、山間では背後に「血原」を残しても、ここまで来なかったのでしょうか。
その時も、ここは水の下だったのでしょうか?

振り返ると、「みむろ山(三輪山)」が見えます。
ここに祀られた『大物主』は、「創る民」にとっては祖神でした。
いまでも、盆地という室(むろ)を、慈愛で満たしていらっしゃいます。
「史上最大の祟り神」と呼んだのは、「奪う民」でしょう。

幾たびも水没するムラに、水が引いてから戻ったように、わたしたちは、「奪う民」が去った後、「創る民」として戻ってきたのだと信じたい………
