岩戸の瀧と御船の瀧
【過去の記録◆2022年8月9日】
いまのような身体になったのが、「できるはずがない。してはいけない」と言われ続けたことをしたためであるなら、紡いできた豊かさに浸りながら静かに生命を閉じていこうとおもっていました。
もとより生きづらい身体に後天的な障害を加えられたことは、魂にとって必要だったのかもしれないと、なぜか、その都度赦せました。
裂かれた痕から、生命が少しずつ漏れているように感じる現在でも。
ただ、抗う術もなく何回も死に至らしめられた怖さと向き合えるまでには長い時間がかかりました。人間は、心に闇が入り込むと、居合わせた相手に暴力を振るう存在にもなるのです。
知らない相手だとその背景も知らないのに。
でも、ひとは心に光が満ちているとき見知らぬ相手にも愛を向けることができます。
そして、自然はひとに足りないものを補ってくれます。
新しい装具を巻きつけ、瀧へ向かう道の入り口に立ったとき、歩み入っていけるだけの力が満ちてくるのを感じました。

井光(いかり)川の本流に流れ落ちています。

この先で吉野川に流れ込みます。

秋に葉が落ちれば、ここにも陽が当たるのでしょう。

行き方を調べたとき、丸太に枕木を並べたような橋をふたつ渡ると知ったのですが、木製ではなさそうな橋が見えました。
川に架かっていないから、道すじが変わったのかもしれません。
坂道を作る足場板の角度が急なので、滑り止めとして金属の棒が等間隔に括り付けられていました。

以前、『済浄坊の瀧』で、頑丈な人工物が流れ去った跡を見ました。
豪雨による流れを作るのは水だけではないためでしょう。
それで、古い橋は流されたのかと考えたけれど、新しい橋が架かったとき解体されて、そのまま川床に放置されたのかもしれません。

境となる川に架けられた橋に風情はありませんが、手すりが無かった古い橋よりも、ひとの身で渡るには安全でしょう。







岩の下が洞のようになっていて奥は見えません。

案内板には、
【真言を唱へる時、皆に聴える滝音が、文殊の声と重なりて不思議な思いが降り来り、虹に腰をかける佛の姿有り】と書かれています。
古い案内板には、
【春夏秋季と霊薬草水のしぶきに十三尊佛の姿と十六善神様が岩に現れ観られる人の心を清め励ましの心と勇気を与え授ける滝となり 冬季は見事に凍結して文殊菩薩を現し 多くの人々に知恵を授け賜う御滝と伝う】
と書かれていたそうです。
冬には氷瀑となるそうですが、わたしには、凍りついて静止した滝の水を見ることはできないでしょう。


瀧の前に居ても虹が現れないから、場所を変えてみました。
陽が射す一瞬にしか現れないかもしれないので、移動をする間に見逃してしまわないよう、急な山道を最速で駆け上がると、天空から引き上げられているかのように翔け上がれて驚きました。
新しい装具で胴体を固めていたため、身体を引き上げる力が要らなくて、その分、脚の動きに力を回せたのかもしれません。
背に薄い羽が生えたようでした。
瀧周辺の階段は段差が小さく、杖1本でも楽に上がれました。
他の瀧だと、よく整備された階段でも段差がその何倍もあって、下りでは足先が次の段になかなか届かないのです。
土に枕木を埋めて階段を作っていくとき、段数が多かったら資材や労力は何倍にもなるのに、歩きやすい階段を広範囲に巡らせてくださったことを、とてもありがたくおもいました。
滝見小屋からも虹は見えなかったけれど、少し後から登ってきた方が前に撮影なさった写真を見せてくださって、
「時間があるなら、しばらく待っているといいですよ」と言い残して去っていかれました。
座って待ち続けていると、虹が現れたので立ち上がりました。
このときに撮った動画には、わたしの「ありがとう、ありがとう」と言い続ける声が入っています。

かなり離れていますが、そこそこしか見えない視力でもよく見えました。


虹が現れた直後、お子さんたちといっしょに登っていらした方たちに、「虹が出ていますよ」と知らせて、
「虹が出ると同時にいらっしゃるなんて、すごいです」と伝え、その場所を譲りました。
滝見小屋の左から撮ると、瀧の落ち口の表情が変わり、巨大な山神が首をもたげたようにも視えます。


地上に戻って、もういちど撮りました。


山奥から流れてくる川に、右側から瀧の水が合流します。

倒木の下を流れていきます。
