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龍王の瀧(月ヶ瀬)

【過去の記録◆2022年9月15日】

 さらに加わった不具合を補う装具も考え出せたので、新しい装具を胴体にいっぱい巻きつけて、先月には再び瀧へ行きました。

 どんな状態でも、したいことはします。
 良くなるのを待っているうちに人生が終わった、ということのないよう。

 また、瀧へ行きました。二本杖で歩く間も瀧の前に立つ間も、脚はひどく痛みますが、後天的に規格外となった所は少し回復するのです。
 身体の各部分の使い方が、家で過ごす間とは異なるためでしょう。
 
 先天性の障害も含めて規格外の部分が多いと、この世に存在しているのは簡単ではありません。
 でも、12個の補装具を着けて舞う時のように、この身が神域へ歩み入っていけるのをありがたくおもいます。

 閉じていた瞼を静かに押し上げてくれたのは、堀辰雄という作家でした。
 京都に住んでいた10代の頃には、『花あしび』という作品で大和の方へ。

 先月、作家が名づけた「花あしび」ではなく『大和路』という題名で300部限定の愛蔵版が出ているのに気づいて購入しました。
 表紙は「COGY(足こぎ車いす)」と同じ配色で、鹿の小さなシルエットが箔押しされています。

「戦争のさなかに、関東から何時間もかけて大和路を訪れた作家は、宿痾をかかえながらも憧憬を満たしていったのだ」と気づき、
「いまの不具合が命の終わりにつながる細い流れだったとしても、わたしは並行して流れる川のように生きていける」とおもえたのでした。

 今回に行ったのは、「梅林で有名な月ヶ瀬」の『龍王の瀧』です。
 行きやすい場所なのに後回しになったのは、「龍はいなくなっているかもしれない」とおもったため。

 いま調べてみると誤った情報だったようですが、上流にゴルフ場があると知ったとき、「神聖な瀧に、除草剤が流れ込むような開発をしたのか」と、深い悲しみが根にある静かな怒りを覚えたのでした。

 地図を見ると、ゴルフ場は瀧のある支流が流れ込む名張川の対岸ですし、下流から水が逆流してくるほど瀧は低い位置にありません。

 でも、行ったときにはまだ誤った情報を信じていたため、瀧の前で深々と頭を下げたら、しばらく顔をあげられませんでした。
 1357年前、龍王の瀧に現れた白龍が、「日照りの時は雨を降らして百姓を守っている」と伝えたそうですから申しわけなくて。

 瀧へ続く道は美しく整えられていて、守られた者の子孫が神域の美しさを保とうと努めている、と感じました。

「りゅうおう橋」より下流

 上流の瀧から月ヶ瀬湖(名張川)に流れ込むあたりは、龍の尾のよう。

「りゅうおう橋」より上流

 遠くに最下段の瀧が見えます。

.瀧へ向かう道

 いままで歩いたうちでは最も良く整備されていました。

瀧へ向かう橋

 趣はありますが古い板を踏み抜きそうなので、隙間から見える丸木の上を静かに歩きました。
 ここになぜ戸があるのか、と、不思議におもったけれど、帰宅後に写真を見て、落石をくい止めていたのだ、と判ったのでした。

瀧へ向かう階段

 ここも、山奥へ向かう階段とはおもえないほど歩きやすい段差でした。
 足元ばかり見ているため写真を見るまで気づかなかったのですが、右側は全て苔に覆われています。

「りゅうおう橋」から見えていた瀧です。
 動画には入っていませんが、ずっと上のほうから最下段まで、小さな段がたくさん連なっていました。

.最奥の本瀧がみえてきた

「龍王の滝」は約1300年前に、役の行者・小角が見つけ、修行の場所として使っていたという言い伝えがあります。渓谷から奥に入ると48の滝があり、大滝には白龍が現れたというものです[月ヶ瀬観光協会HPより]

 ごく小さな段差も数えて「48の瀧」なのでしょう。

上のほう
中ほど
下のほう
神域
近づいていく

 右側の道は、本瀧のすぐ傍まで続いています。

道の果てから流れの中へ

 足先が届かない所は杖先で状態を確かめるのですが、滑らないと確認した後も、地面から足を離す一瞬は緊張しました。

本瀧の正面で振り返って
足元の流れ(右側)

 ぎりぎり靴が濡れない所に立っています。

足元の流れ(左側)
神域の外側は明るい
瀧の上方に倒れかかっている木々
帰り道で振り返って
名張川(月ヶ瀬湖)

 少し上流の「湖上展望台」から撮りました。
 奈良には、ダム湖がたくさんあります。

月ヶ瀬湖

 川に沿って下流へ進み、「高山ダム」から上流を撮りました。

 奈良県、三重県、京都府の県境を流れる名張川は、ダムのすぐ先で木津川と合流します。
 そして木津川は、わたしが育った山城へ流れていくのです。