祥治の乗り鉄回想記④ 『むさしの号の物語』

第一章 『むさしの号』との出会い(2004年6月16日水曜日)

 祥治老人がまだ40代半ばのころの話である。当時、僕はシフトの関係で毎週水曜日が午後からの出勤となった。その初日、自宅から武蔵野線の新秋津駅に着いたのが11時12分ごろ。勤務先の最寄り駅はJR中央本線の国立か立川である。今度の府中本町行きまで待ち時間が長いようだったらコーヒーを飲もうと思い、自動改札横の時刻表を見る。次は25分発。中途半端な待ち時間だ。その次は「31む」分。・・?
 この‘む’っていったい何? 
 こうして僕は新秋津11時31分発「むさしの快速八王子行き」の存在を知ったのだった。この「むさしの2号」は、JR東北本線の大宮駅を11:03に発車して北浦和付近で地下の貨物線に入り込み、西浦和付近で武蔵野線に合流すると北朝霞、新秋津に停車。新秋津を出ると西国分寺の手前でまたもや貨物線に入り、中央本線に直通する列車である。中央線の列車に乗って国立のあたりまで来ると上下線が少し離れてその間から別の線路が地下から出てくる箇所があるが、そここそがこの「むさしの快速」の通り道だ。このルート、僕はまだ乗ったことがない。ゆっくり出勤して、その途中で「初乗り」ができる次第となった。乗り鉄冥利に尽きるというものである。
 こんな時間のカフェは人もまばらだ。窓に面したカウンター席に座って、アツアツのコーヒーをすすりながら乗り換えに行き交う人々を眺めているうちに「むさしの快速」の発車時刻が迫ってきた。ホームに降りると「この電車は西国分寺には、まいりません」という放送が繰り返し流れている。鉄道に思い入れなどさらさらなく移動の手段として仕方なく乗っている人々は、自分の乗る電車の行先には注意を払うだろうが、少し異色の「むさしの2号」のルートには無関心であろう。つい乗り間違えて、西国分寺に行くはずが立川まで連れていかれる・・・そんな人も少なからずいるらしい。
 ほどなく東所沢方面から「むさしの快速」の先頭車両が見えてきた。旧型車両のベタなオレンジでもなく、205系のステンレスでもない。目を凝らしていると、115系スカ色である。これはうれしい。小躍りしたくなるというと大げさだが。しかも6両編成なのに空いていて、4人掛けのボックスシートに座れそうだ。
 窓枠にもたれてぐっすり眠り込んでいる青年の斜め前の席に座る。
 次の停車駅は立川である。西国分寺駅はそもそも通らないし、国立駅は通過である。だから僕は立川まで乗るしかないのだ。トンネルばかりを走って明るくなると新小平の駅で、ここも通過。またトンネルに入って、どこかで分岐をして(一所懸命窓の外を見ていたがよくわからなかった)、まもなく徐行。ゆっくりと地上に出ると両側に中央線の線路があった。
 あっけなく初乗りが終わってしまい、しばし呆然とする。斜め前の窓側の席では、青年がぐっすりと眠りこけ続けてて、目覚める気配がない。若い人が寝顔になると、若さが際立つ。時には、幼な子のようなあどけない表情をしていて、見ているこちらの表情も緩む。若づくりの人が寝顔になると、実年齢が容赦なく露呈する。見ているこちらは、苦笑いをするしかない。
 このまま終点の八王子まで乗っていきたいけれど、そうもいかない。僕は、昼前なのに大勢の人でごった返す立川駅の改札を抜けたのであった。

第二章 トンネルの中で(2005年2月16日水曜日)

 今日も午後出勤の日。ところが未明に地震で目が覚めた。ひと眠りして朝起きてみるとみぞれ交じりの冷たそうな雨が降っている。遅れてるかもしれないな武蔵野線・・・とにかく、よくダイヤが乱れる線なのだ。
 ガラ空きのはずのカフェが混んでいた。これはあやしい。自動改札を抜けると、人の流れをよけるように壁際に身を寄せて中年の品のいい女性が携帯電話で話している。
「電車がだいぶ遅れちゃってね・・いまやっと新秋津の駅なのよ・・・」
これで、決まりである。遅延証明書をもらっておいた方がいいだろうか。おそるおそるホームに降りていく。電車の発車時刻や到着間近なことを告げる電光掲示板も表示が消されたまま。ホームの客もまばらである。
 しかし、快速「むさしの2号」八王子行きは定刻にやってきた。いつものように最後尾の車両に乗る。今日は進行左側のボックスが占領できた。ぼんやり外を眺めるうちにあっという間にトンネルの壁となる。115系だから、205系の武蔵野線の電車に比べると揺れが大きいし、トンネルの中ではかなりうるさい。古典的乗り心地が懐かしいなどと鉄っちゃん的感想を述べてみたところで、所詮は老朽車両である。そういえば、もうすぐ東海道線からも湘南色の113系が消えるはずだ。
 ぼんやりしていると急に明るくなって新小平駅のホームが目の前を流れていく。トンネルとトンネルの間にある、武蔵野線版の新神戸駅である。「新小平駅通過」は、205系武蔵野線電車に乗っていたのでは永久に体験できない。「むさしの号」ならでは、である。
 またトンネルに入る。よかったよかった、この電車は遅れていなかったと喜んだとたん、「むさしの2号」は徐行し始めた。西国分寺駅に向かう本線と中央本線への渡り線の分岐点はもうまもなくのはずである。スピードは上がらない。やがて車掌のアナウンス。
「中央線から直通する上り貨物列車が少々遅れております。すれ違い待ち合わせのためしばらく停車いたします」
 どうも、直通ルートは単線らしい。トンネルの中で止まっている電車に乗っているのは、気持ちのいいものではない。わずかな待ち時間がとても長く感じる。早く発車して欲しいけれど、信号を無視して進入すると貨物列車と正面衝突してしまう。向こうの方が強そうだ。大人しく待っているしかない。やがて、ごーっ!という音が響いてくる。ああ、来たなと思って右側を見ていたら、すれ違ったのは旧型べた塗りの武蔵野線の電車であった。まだ、貨物列車は来ない。待ち遠しい思いで座っていると、車掌のアナウンスが繰り返される。
 一編成の貨物列車がまもなく通り過ぎた。しかし、発車の気配がない。アナウンスもなく、車内は静まりかえったまま。乗客もおとなしい。大半が目を瞑ったままで、まるで急いている様子がない。さすが武蔵野線の乗客はちがう・・・感心していると、また一編成、貨物列車が通り過ぎた。轟音と静寂が相次いでやってくる。まだかよ・・・と思いかけたとたんにガッタンと発車した。立川に10分ほどの遅れで到着。
 複線の中央本線と複線の武蔵野線が単線のレールで繋がっている。西国分寺駅で乗り換える必要のない列車が増えるのをありがたく思う乗客も多いだろうから、もっと直通列車を増やせばいいのに。かんたんなことではないか、と今まで思っていた。しかし単線の渡り部分を通過する列車にわずかな遅れが出ても、中央本線と武蔵野線、それぞれの上下線にかなりの影響が出てしまうことがよくわかった。そしてどうやら、その単線ルートをけっこうな頻度で貨物列車が行き来しているらしい。
 朝の通勤時間帯に「むさしの号」みたいな列車を設定して欲しいと僕は願っているけれど、なるほど、JR東日本は首をたてにはふらないだろうな。そんなことを考えながら、僕は立川駅のホームから、終点八王子に向かう115系6両編成を見送ったのだった。

 逆方向の「快速むさしの3号」は、平日毎日運転で、八王子16:51・立川17:06・大宮17:54というダイヤである。これに乗ると、大宮側の変則ルートも制覇できる。いつ八王子~大宮全区間に乗車しようかと、今色々考えて楽しんでいた。

第三章 ライバル登場(2005年8月4日木曜日)

 JR荻窪の駅ビルにお気に入りの洋食屋があった。僕はクラシック音楽が好きだ。特に聴くことの多い大好きなドイツの作曲家の名前が店名に使われているのに誘われて、ある日ふと立ち寄ってみた店である。そして、そこのポークソティのファンになった。付け合わせのパスタ(店員さんはきしめんと言っている)には、すりおろしのリンゴがかけてあるという変わり種で、ソースは、とても美味しい。午後2時過ぎの店内は、ゆったりできる程度の客の入りで、最後の豚肉の一切れを頬張って幸せな気分に浸っているうちに、どこかへ乗りに行きたくなった。乗り鉄男子とはそういうものである。
 しかし、すでに夕方に近い。ふらりと泊まりがけで出かけるほどの現金は持ち合わせていないので、近場で済ませたい。
 一つの数字、というより時刻が最近頭にこびりついている。快速「むさしの3号」の八王子駅発車時刻である。16時55分。
 去年の6月以来、通勤で毎水曜日に快速「むさしの2号」の新秋津~立川間に乗車している。最近では希少価値となった113系スカ色の6両編成で、武蔵野線と中央線の「つなぎルート」を通る異色列車だ。「つなぎルート」とは本来、貨物列車専用の線路で、武蔵野線の普通の電車に乗っていては乗車できない区間なのである。
 「むさしの2号」は八王子行きで、その折り返し列車が「むさしの3号」なのだ。これに大宮まで乗っていくともう一つ貨物線を通る。武蔵野線と東北本線を結ぶ線である。この区間には乗ったことがない。乗ったことのない貨物区間で鉄道会社が旅客列車を運行しているのだから、乗りたい。だから「むさしの3号」はこのところ心にかかって仕方がない存在であった。仕事をちょっと早退すれば簡単に乗れるはずなのだが、なんとなく乗りそびれていた。
 そのときが来た、と思った。

 というわけで、「むさしの3号」体験乗車を実行すべく中央本線八王子駅にやって来た。学校は夏休みの真っ最中で、ひなたを歩くと焦げ付きそうなくらい暑い。「体験乗車」というのは奇妙な言い方だけれど、この列車の途中停車駅・終着駅のどこにも用事がないのだから、そういう風に言うことにする。発車時刻の16時55分まで30分近くもある。八王子という駅は、もちろん名前だけは知っているけれど、なじみがない。待ち時間を利用して少々観察してみようと思う。
 ホームは3本あって、番線は6までである。最も北に位置する1番線からは八高線が発車する。

 僕が国鉄全線完乗をめざして乗りまくっていたころの八高線は、東京都を走る線なのに非電化で、オレンジ色のおんぼろディーゼルカーが両数だけはたくさんつないで走っていた。おんぼろだろうが非電化だろうが、座席がボックス席ならいっこうにかまわないのだけれど、あいにくオールロングシートの車両にしかお目にかかったことはなかった。八王子~高崎(正式な区間は倉賀野まで)という比較的地味な走行区間ともあいまって、八高線は、当時の僕には全く魅力の無い線であった。それが八王子~高麗川間が電化され、川越線への直通電車が走るようになると、電化されなかった高麗川以北にも新型のディーゼルカーが投入された。キハ110という型式番号を持つこの車両はボックスシートをちゃんと備え、窓も大きく、走行音も静かでとても快適な乗り心地である。車体の色も濃淡の緑を基調としており、古びてくすんで汚れの目立つオレンジ色から面目を一新していた。
 それまで見向きもしなかった八高線に頻繁に乗るようになったはこのころからで、自宅から上信越方面に出かける折りに、西武線の東飯能を中継点として高崎まで、行きまたは帰りに頻繁に利用するようになった。乗ってみると高麗川~高崎間がだんだん面白くなってきた。寄居までは東武鉄道の電車が頻繁に姿をあらわす。JRと東武が絡み合う小川町の次には竹沢という駅が両方の線にある。八高線の竹沢から東武の竹沢まで試しに歩いて乗り換えてみたこともある。のどかな里の佇まいに、心落ち着く思いがした。
 そういうわけで八高線の隠れファンみたいになった。(なお、ずっと後日のことだが、僕は退職後3年間、事情があって寄居に住むことになる。この期間は、日本全国どこに乗り鉄に出かけても、寄居発・寄居着だったから、八高線はますます身近な存在となった)

 それでも、東飯能から南の区間にはめったに乗らなかった。だから、もの珍しい思いで八王子駅1番ホームに降りたってみれば、205系という、わりと新世代の車両が4両編成で止まっている。ステンレスの車体にオレンジ色の帯をまとった、なかなかきれいないでたちである。隣の2番線から頻繁に東京駅に向けて発車する中央線快速電車よりずっと洒落ていて現代的だ。今日は真夏の暑さがホームを包み込んでいるけれど、冷房の効いた車内は涼しそうで、車内の客は静かに発車を待っている。おんぼろで暑くてうるさくてきたないディーゼルカー時代の発車風景とはまるで違う世界がそこにあった。
 回想に耽りながら1・2番線ホームを探訪するうちに、5・6番線の横浜線発着ホームに廻る時間的余裕がなくなった。横浜線も205系のステンレス車が黄緑の帯をまとっている。だから、最重要幹線であるはずの中央線の電車が一番古ぼけたべた塗りオレンジの旧型車両となってしまっている。その中央線の下り高尾行き電車が4番ホームから発車する。「かいじ」や「あずさ」といった特急列車もすべてが八王子に停車して甲斐や信濃に向かう。

 さて、われらが「むさしの3号」の発車ホームである3番線は、乗り降りの途絶えることのない向かいの4番線ホームとは対照的に、「このホームから発車する列車はめったにありませんよ」といった雰囲気である。八王子始発の中央線上り電車の発着にのみ使われているのかもしれない。それでも「むさしの3号」の入線を待っているとおぼしき人たちがちらほらとは、いる。
 目にも鮮やかな青色のタンクトップ姿の、いかにも「今が真夏」といった風情の少年がいた。高校生ぐらいだろうか。4番線に入ってくる電車には見向きもせず、3番ホームに対面するように、今時の若者スタイルで座り込んでいる。その子のそばで一緒にしばらく待っていると、女声の録音案内放送がホームに響き渡って、豊田方から113系の6両編成が入線してきた。
 勇躍、待ちかねたように車内に入ってはみたものの、乗る人はあまりなく、いったいどこに座ろうかとかえって迷ってしまう。結局、3号車車端、進行右側のボックスシートに落ち着いた。座席番号は1D、窓側である。西浦和から先の分岐・合流をしかと確かめるには、まぁ適当な席であろう。車内は冷房が効いていて、ひんやりと肌寒いくらいである。 
 ふと隣のボックスを見るとあの少年がいた。タンクトップでは寒かろうなどと余計な心配をしながら様子を窺うに、彼は超小型音楽再生装置から延びたコードの先を耳にあてがい、組んだ長い足を揺らしてリズムをとっている。当方に音は全く漏れてこないのだが、おそらくその音楽に合わせてであろう、少年がときどき奇声を発する。本人は歌っているつもりなのかもしれないが、だから彼には申し訳ない言い方になるが、僕にはそれが動物園の猿の鳴き声に聞こえる。その猿声はなかなか大きく、発声のたびにこちらはビクンとして、思わず彼の方を振り向いてしまうのであるが、先方は全く気にしている様子はない。

 下り電車への乗客で賑わっているホームからひっそりと次の停車駅立川に向けて定刻に発車。まもなく浅川を渡る。この川は日野市を東へと流れて分倍河原付近で多摩川に合流する。こちら中央本線は立川に向かって北に進路をとり、やや上流で多摩川を渡る。都内ではあるけれど、晴れていれば多摩の山並みが姿を見せ、新宿あたりから乗ってきた乗客にようやく旅心を催させてくれる鉄橋である。川のある風景は車窓の楽しみの一つだ。川は沿うもよし、渡るもよし。晴れ、雨、雪、靄、霞、どれも佳である。
 立川を発車。高架複々線の工事が進んでいるようで付け替え用の仮設線路がだいぶ敷かれている。まもなく国立駅を通過。ポイントを渡る衝撃があって、武蔵野線への直通ルートに入る。中央線の上下線路の間を進んでいくと、両側に高い塀がそそり立ってくる。そう見えるのは地下トンネルに潜り込んでいこうとする車中から眺めているからで、別に地上に巨大な壁が立っているわけではない。このトンネルの中で西国分寺駅からの武蔵野線の線路に合流するのだが、これは左側のボックス席に座っていないとよく見えないようだ。その席には今、青いタンクトップが陣取っているのだが、歌うのをやめて窓の外を熱心に見入っている。トンネル内で車窓に興味を示す客は珍しい。さきほどまでは、鉄道になんかてんで関心が無いかのごとき振る舞いであったが、どうもそうでもないらしい。
 一瞬トンネルが途切れて新小平駅を通過する。この通過は「むさしの号」に乗らないと体験できない。高校生の少年は、窓にしがみつくようにして新小平駅のホームが流れ去るのを見ている。
 新秋津駅は西武池袋線との接続駅なので、乗客が多いかなと思っていたが、それほどでもない。退社時刻には少々早いし、北朝霞と大宮に行く人しか乗れないからだろうか、この列車をホームで見送る人も多かった。
 国立~新秋津間の長いトンネルから解放されて、「むさしの3号」は久しぶりに地上を走る。そして東所沢を過ぎると俄然視界が開けて来た。線路がやや高めの位置に敷かれているのだろう。このあたりの車窓、いつもだとロングシートでしか眺めることができない。武蔵野線の主力である205系電車は、乗り心地は快適だし窓が無いわけではないから、景色はもちろん見える。見えるけれどもロングシート車からの車窓はどこかよそよそしい。この目でしかと見た、という実感に乏しい。だが、今日はちがう。113系ボックス席進行右側である。座席が違うと車窓も違って見える。新座駅手前のJR貨物の広々とした操車場、マンション・ビル・倉庫群、目が覚めるほどの緑滴る田圃の稲葉、線路と立体交差する関越自動車道や新大宮バイパスのクルマの行列、ファミレス・コンビニ・ファストフードの看板の数々、細い流れの新河岸川。なんだか雑多でとりとめがない。何でもあるので変化に富んでいるとも言えるが。205系はなかなかの俊足でぶっ飛ばすけれど、わが「むさしの3号」は、快速を名乗っているわりには、上品なスピードを保っている。
 北朝霞を出ると荒川を渡る。彩湖という別名を持った荒川調整池がすぐそばに見え、河川敷にはゴルフ場や公園もある。長い鉄橋が尽きて、ビルの密集した景観に変わる。一つのマンションの屋上で親子連れがこの電車に向かって手を振っている。お母さんと小さな女の子二人の三人連れである。が、よく見ると嬉しそうに手を振っているのはお母さんだけで、子供達はそっぽを向いていた。
 西浦和駅の手前でポイントを渡る軽い衝撃があり、東北本線への渡り線に進入する。西浦和駅のホームをかすめて通るのかと思っていたので少々意外であった。左に大きくカーブを描きながら高々と武蔵野線を跨ぎ終わると、右側には武蔵浦和からの渡り線が近づき、さらにすぐさま埼京線・東北新幹線の巨大な高架橋が寄り添ってくる。ここでわが「むさしの3号」は地上に降りて、埼京線中浦和駅の真下あたりをくぐり、まもなく地下に入った。今回の体験乗車の最大の見所区間であるが、さすがに電車は速い乗り物で、この間わずか2分程度であっけなく終わってしまった。
 タンクトップ高校生も食い入るように窓外を眺め続けている。八王子から大宮まで乗り通したことといい、これぞという見所をはずさずしっかり車窓を確かめていたことといい、タダのロック狂いの兄ちゃんではなさそうだ。侮れない奴である。
 中央線側と違って、この渡り線は堂々複線区間である。トンネルはさいたま市の浦和地区の地下を通っているとはあとで地図で知ったことだが、地上に出て見れば大宮は近く、何本も線路が並んで走っている中にひょこっと顔を出した感じであった。与野駅をやや遠くに臨みつつ終点が近いことを知る。もっと乗っていたいが、しかたがない。
 ところで、先ほどこの電車が地上に這い出てきたあたりに跨線橋があって、その上にまたもや親子連れがいた。父親と小さい男の子の二人連れである。ここでも嬉しそうに手を振っているのはお父さんの方で、息子に一所懸命注意を喚起するのであるが、子供は、やはり、てんで無関心であった。
 わざわざカミングアウトはしないけれど実は電車が大好き、という大人はとても多い。そして、それをカモフラージュするためにダシに使われる子供も同じくらい多いではないかと思われる。進行方向最前部の車両のそのまた最前部、すなわち運転席のすぐ後ろの空間に立てば、快走する電車の前方の景観が得られる。分岐・合流・停車・通過などを確認しながら揺れに身を任せているのは、乗り鉄にとって至上のひと時である。最近の車両は、この部分の窓が大きくて広いので、その魅力はなおさらである。この場所を、「かぶりつき」などと称する向きもあるくらいである。もちろん子供たちは、このかぶりつきが大好きで、親におんぶなどしてもらって無邪気にはしゃいでいる姿はまことにほほえましい。しかし、いい歳の中年男が、一人でこのかぶりつきに陣取って夢中で前方を眺めるのは、かなり勇気がいる。別に悪いことをしているわけではないが、恥ずかしい。そんなとき、子供を連れていれば、何ら後ろめたいことなく、我が子と一緒に線路の行方を見つめていられる。子供は飽きっぽい生き物だから、すぐに、もう席に戻って座ろうよなどと言い出すのだが、父親の方が、「もう少し」なんて言って粘っていたりするのである。
 大宮駅には、いったい何本の線路が進入しているのだろうか。どこのどの線路を通っているのかさっぱりわからないまま、埼京線と東北新幹線が左から再び近づいてい来て、「むさしの3号」は終着大宮駅の11番線ホームに到着した。ホームには勤め帰りのスーツ姿の老若男女が大勢いる。彼らが待っているのは下り湘南新宿ラインの高崎・宇都宮方面行きの電車である。

 「むさしの3号」は平日に毎日運転されている。だから、古くさい、たった6両の妙な電車から、どこから乗って来たんだかよくわからない客がばらばら降りて来ても格別の関心を示す人はいなさそうに見えた。しかし、帰宅を急ぐ彼らのうちの何人かは、ちょっぴり羨ましい思いでジーンズ&Tシャツ姿の中年男やネイヴィーブルーのタンクトップ高校生を盗み見たかもしれない。あの二人、絶対に八王子から乗り通してきたに違いないという確信を抱いて。
 「鉄ちゃん」はどこにでも潜んでいる。油断は禁物なのである。

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