【ショートショート】スキマオペ
スマホのスキマバイトアプリで面白そうなバイトを見付けた。
『医療施設での簡単なサポート業務。即日現金支給!』
実はオレ、10代の頃は医者になりたかったんだ。
まあ、色々あってダメだったけどさ。
「簡単」って書いてあるし、どうせ書類の整理とかだろ。
コンビニのカレーまん片手に応募した。
※※※※※
診療所………。
こんな山奥にあるのか……それにしても、あっさりとバイトの日程が決まったようで……ちょっとあっさり過ぎやしないかとも思うんだけど。
看板が……どれどれ……。
『診療所 何とかかんとか』
……あっ、いや、「何とかかんとか」っていうのは、ちょっと煤けて診療所の名前が読めないんだ。
随分とくたびれた感じの小さな木造建ての診療所だが、看板を直す余裕もないって、あまり繁盛していないのかな。
ギィーッ……
オレは、建付けの悪い引き戸を開けて診療所に入った。
中央の受付には、年齢にして40代半ばくらいの白衣の看護士が1人座っていたが、オレを見付けるなり笑顔で立ち上がった。
「あっ、来ましたね! 今日の執刀医さん、よろしくお願いします!」
しっ……執刀医?!
「あ、いえ、ボク、バイトなんですけど……簡単なサポートということで、こちらこそ、よろしくお願いし……」
「ええ、いいんです、この際そういう細かいことは。ちょうど足りなくて。これ、どうぞ」
看護士がオレに手渡したものを見て、オレはギョッとした。
「ちょ、ちょっとすいません、これ……」
「はい、メスです。見たことありますよね、ドラマとかで」
「いや、ホントに、え? 冗談とかじゃなく、え? メス? そんなことあります? スキマバイトでメス?」
「フレキシビリティーですよ! そして、サステナビリティ―ですよ!」
「いや、サステナは関係なさ過ぎる気が……」
「どうぞ、部屋まで案内します。私も付いてますから、安心してください」
看護士は銀色に光る1本のメスをオレに渡すと、付いてくるようにとのジェスチャーをしながら、廊下をどんどん歩いていく。
今は、午前9時ちょっと前……今さらになって気付いたが、診療所の中には患者も他の看護士、スタッフも1人も見当たらず、随分と静まり返っている。
看護士は廊下の角を曲がり、1つの部屋の前で立ち止まった。
部屋のドアの脇には、これまた半分消えかかったような黒い字で「手術室」と書かれている。
おいおい、マジかよ!

戸惑うオレを気遣うでもなく、看護士は両開きのドアを開けて、オレを手術室の中へと案内した。
何と、部屋の真ん中にベッドが置かれ、その上には年老いた男性が麻酔用のマスクを顔に被せられ、仰向けに横たわっていた。
麻酔が効いているようで、意識はなく、眠っているようだ。
看護士がオレの顔を覗き込んで言った。
「先生、準備はよろしいですか?」
オレは逃げ出したい気分で、泣きそうな声で叫んだ。
「いや、先生って! いい訳ないでしょ! ボク、カレーまん食べながら応募したんですよ、このバイト!」
「大丈夫です! カレーまんの温度調節みたいなもんです!」
「いや、ふざけないでください! こんなカレーまん温めるくらいしかできないような男の手が手術なんてしたら、助かる命も……」
「助からないんです! そう思って気楽に!」
「いや、気楽にって! んな、めちゃくちゃな……」
看護士は急にオレの耳に口を近付け、小声で囁いた。
「この患者さん、身寄りもなくて……ボソボソのボソ……」
……看護士がボソボソのボソとつぶやくことには、要するに、この老人には身寄りもなく、ある大病の末期患者であるため、手術をしないと数日後には死亡、手術をしても助かる見込みは薄い、万一手術が上手くいかなくても、誰もオレを責める人間はいないだろう……とのことらしい。
それにしても……。
頭の中が大パニックに陥っているオレの目を冷静に見つめ、看護士は励ますように言った。
「ここで大切なのは、技術でもなければ知識でもない、ましては経験でもありません! 大切なものはただ1つ、『空き時間』なのです! さあさあ!」
看護士は想像以上に強い力で、老人が横たわるベッドの前へとオレの背中をぐいぐいと押す。
逃げるタイミングを逸したオレ……手にはメス、目の前には患者、後ろには(強引な)看護士。
オレはメスを握る自分の右手を見下ろした。
……震えている。
オレは、半べそをかきながら、後ろに立つ看護士を振り返った。
「ホントに……ボクがやるんですか?」
次の瞬間、看護士は見る者の警戒心を完全に拭い去り、この世の楽園へと誘うかのようなパーフェクトな笑顔を顔いっぱいに浮かべ、オレの手にそっとガーゼを忍ばせた。
ニコニコ~……ニコニコ二コ~……
満面の笑顔を浮かべる彼女は……正に白衣の天使……?!
彼女はオレを勇気付けるように語り掛ける。
その声量とトーンが実に心地良く、オレは催眠術に掛けられたように彼女の声に聞き入る。
「あなたなら、きっと大丈夫! あなたの手の震え、それは恐怖なんかじゃない。あなたは最後の迷いの扉の前に立っているの。でもね、そういう風に真剣に迷う人ほど、『命』というものに真剣に向き合うことができる人です!」
オレは今一度、看護士の顔をまじまじと見た。
彼女の瞳は、朝の光を受けて、春風にたゆたう湖面の如くもの静かだった。
「私も、初めての現場、とても怖かったんですよ。前の晩なんて、それこそ深く眠ることもできないくらいの緊張、そして高揚感。私……落ちこぼれ看護士だったんです。器具の名前もろくに覚えられなくて、先輩に叱られてばっかりで。でも……でもね! 手術室のベッドに横たわる患者さんの手を握った瞬間、私、はっきりと決意したんです! 『この人のために戦おう』って!」
彼女は、まるでそのときの患者の手を握るかのように、そっとオレの手を握った。
「あなたが今、ここにいること。それだけで、もう奇跡なんです! あとは、最後の勇気を振り絞って、目の前の命に向き合うだけ! そうすれば……」
「そうすれば……?!」
「即日現金支給!」
その言葉は、朝の眩しい光とともに、オレの胸に沁み込んだように思えた。
オレは、先ほどから疑問に思っていたことを看護士に尋ねた。
「看護士さん……先ほどから妙にリアルなアドバイス……あなたもひょっとして、経験があるのですね? 執刀の……」
…………。
……暫しの静寂の後、看護士はもはや聖母マリアのような、この世の全てを包み込むような柔らかな笑顔で、オレの両目をじっと見つめ、しかし断固とした口調で言った。
「あるわけないじゃないですか」
ストン……!
オレの心の中で「鹿威し」が鳴ったような気がしたと思った次の瞬間、彼女は両手でオレの両手をぎゅっと力強く握り、オレの目を見て言った。
「さあ、あなたら、きっとできる! 自分を信じて! あなたには何だってできる! あなたは何にだってなれる!」
その看護士の声を聞いていると、オレの中から忘れていた向上心、そして闘争心のようなものが湧き上がってくるのを感じた。
そうだ!
肝心なことから逃げてばかりだったオレの人生。
今やっと気付いた。
オレに大切なのは、最後の迷いの部屋を抜け出た先にある目的に向け、ほんの少しの勇気を振り絞ることだったんだ!
彼女は正しい。
オレには何だってできる!
オレは何にだってなれるんだ!
見ててくれ、父さん! 母さん!
オレ、医者でもなんでもないけど……
頑張るよ!
初めての手術!
メス……入ります!
(完)

