✨来島群島✨
来島群島は、来島、小島、馬島及び比岐島の4島からなり、芸予諸島の一部である。近年、芸予要塞跡への観光客が増えている。
国道317号を今治市波止浜へ
西条市を経由し今治市波止浜にある定期船乗り場に向かう。国道196号を進み、蒼社川を越えた先で国道317号に乗り換え波止浜に。この国道317号は波止浜港辺りで行き止まり。何故に波止浜で?チェックすると、この国道は瀬戸の島々を縫い、瀬戸内海を越えて広島県尾道市まで続いていた。「瀬戸内しまなみ海道」ができるまではフェリーボートを乗り継いでの、四国と中国地方を繋ぐ道ではあったのだろう。
波止浜港

カーナビナビの案内で波止浜の定期船乗り場に。波止浜湾の対岸や波止浜の東、今治市波方に大規模な造船所が見える。Wikipediaによれば、「波止浜港は港口には来島・小島の2島を控え、古来、箱港と呼ばれている。燧灘・斎灘を航行する船舶が、来島海峡の急潮と風波を回避するため利用していたほか、漁港としても利用されてきた。また、湾奥は古くは塩田であり、塩の積出港として発展してきた歴史もある。
港湾は埋め立ての歴史でもある。
港内には、今治造船、新来島どっく、浅川造船、檜垣造船等の造船所がひしめき、クレーンが林立し活況を呈している。西側は古くから港町で栄えてきた歴史を感じさせる建築物・構築物もみられ、来島・小島への定期船もこちらの桟橋から発着する。東側は西側に比べると新しく開けたエリアであり、造船所等の集積する工業港区である」とある。
灯明台

波止浜港の定期船待合室横に灯明台があった。Wikipediaにもあるように、奥深い入江が箱のような形をした波止浜湾は、筥潟湾(はこがたわん)と呼ばれ、古くから船の重要な風待ち、潮待ちの天然の良港であり、戦国時代は来島水軍の船溜まりとして、また、和3年(1683)以降の塩田開発による町家の増加、塩運搬船の出入りが多くなり、港町として発展し、伊予の小長崎といわれるほどに成長した、とのこと。
元禄16年(1703)には港の入り口に出入船舶を監督する船番所が置かれ、船舶と他国者の往来の取り締まりや船税の徴収にもあたった。船番所があった所は御番所前と呼ばれ、定期船桟橋対岸のドックの中あたりにあったようであるが、この大燈明台は、嘉永2(1849)年、その御番所前に建てられた。花崗岩の切石を積み重ねたこの石造灯明台は、嘉永2(1849)年の築造。「金毘羅大権現」の文字が刻まれ、航海安全への思いが込められている。
波止浜の町並み
村上水軍の根拠地であった来島への定期船の出発時間である10時10分までは少し時間がある。港の近くを少し歩くことにする。港に来る途中に「龍神社」があった。そこの往復ぐらいはできるであろうと港から道なりに神社に向かう。如何にも港町といった波止浜港辺りを離れ東に向かう、
Wikipediaに拠れば、「波止浜町(はしはまちょう)は愛媛県の越智郡にあった町である。旧野間郡。波止浜湾の西岸から波方町と接する小山までの地域。 東は今治市、南は乃万村と接し、北は来島海峡に面す。
かつては塩田で栄えたが、時代ともに消滅した。その後塩田は埋め立てられ造船所が立地するようになり現在では今治造船、新来島波止浜どっくなどの造船会社の本社、工場がある。造船が盛んなことから造船関連の産業も発達し渦潮電機、潮冷熱の工場が立地している」とある。
八木亀三郎翁
道脇に誠に立派なお屋敷が目に入った。八木亀三郎翁(1863年~1938年)の御屋敷とのこと。大正初期に建てられた近代和風建築で、各地から高級資材を取り寄せて建てられ、裏山を取り込んだ回遊庭園は、様々な石が歩くごとに変化するように配置されている、とのことである。
波止浜には明治期に塩田業で財をなし、その資金をもとに多角的に事業展開をおこなった塩地主が幾人かいるようであるが、八木翁もそのひとり。「えひめの記憶」に拠れば、「シベリア鉄道の着工を踏まえ明治24年にはロシアに渡り、翌年からシベリアの巨商クインスト・アルベルスと日本塩の輸送を特約した。のちニコライスクに日本人で初めての漁区を占有し,以降十数年大量のサケ・タラを輸入した。
函館に八木本店を設け,北洋の力ニ漁業に着目,大正13年に業界にはじめての3,000トン級のカニ工船樺太丸を建造,近代的な母船式カニ漁業の先がけとなった。北洋漁業経営は長男八木実通が受げ継ぎ,昭和工船会社に発展した。亀三郎は帰省して今治製氷会社の設立に貢献,今治商業銀行の頭取に就任した。
昭和2年同行が休業した時,全私財を提供して処理したため,政府の同情を得て融資が与えられ,預金者には迷惑をかけなかったという」とあった。
帆船に波止浜の製塩を積んでロシアで商い、サケやタラを積んで帰り水産事業家として大成功をおさめる。また、蟹操業は活況を呈し巨万の利益を得、その後、愛媛第一の多額納税者になった、とか。
ウバメガシの樹林

龍神社の境内を歩く。大鳥居の背後には繁茂した「ウバメガシの樹林」がある。この地方では珍しい貴重なものとして今治市の天然記念物に指定されている。 案内には「市指定天然記念物 ウバメガシの樹林 ウバメガシ(ブナ科)はバヘ・ウマメガシともいう。塩分・乾燥・公害に耐えてよく生育する。竪果(ドングリ)は海水によっても運ばれ、かこう岩地帯の海岸近くや絶壁によく繁茂する。
昔はこの辺り一帯がウベメガシの樹林であったのが、開拓されるにつれて切り払われ、当時の自然がわずかにこの樹林に残されたもので、昔の状態を想像することのできるただひとつのものといえよう。目通りの幹の大きさ50~100cmのもの26本、100cm以上23本、合計約50本のウバメガシの老木がある。 台風で倒れた目通り250cmの木の年輪が200年以上あり、龍神社創建当時より残された貴重な森といえる(今治市教育委員会)」とあった。
バベとは方言。ウバメガシの名前の由来は姥がこの葉に含まれるタンニンをお歯黒に使ったとの説、新芽の茶褐色の色、葉に皺があること、幹のごつごつした木肌から、などあれこれあるようだ。
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