アタール・プリジオス博士の『占星天文学論』に関わる自伝 【6.継承者】


ありがとうございます😭
「幸せなプリジオス家」ですね。
【6.継承者】 《目次》
①天文学の神
②冬至
③年明け
④継承者
【6.継承者】
*
①天文学の神
アリエルの死を「神の御怒りを受けたのだ」と神の冒瀆者への天罰だと嘲笑する輩が居る。
主神の象徴“黄羽揚羽”の鱗粉が原因という事実も、主神からの報いの証明だとされた。
だが、私は彼等に興味が無かった。相手にする気も無かった。私がこのとき最も興味が有ったことは、娘への学問の伝授のみだった。
アリエルの死を決して無駄にはしない…書斎の壁には亡き息子が描いた絵を貼り付け、毎日眺めては決意を新たにした。
にっこり笑っている母リーザラ、少し歯に噛んだ笑みを浮かべた姉ルーセラ、そして口角を水平に閉じたまま、緩い弧を描いた目で辛うじて笑っているであろうと分かる父である私の顔の絵だ。私の顔の横にだけ、小さな文字で「わらっているよ!」というアリエルの親切な注意書きが添えられている。それを家族全員で見ながら、暖かく仄々とした日々が続くのだと思っていたが、アリエルの死でそれは途絶えた。
私は少し厳し過ぎると思う程熱心にルーセラに己れの天文学を教え込んだ。ルーセラは飲込みが早く、大学の研究室の学生に教えるよりも、ずっと私に手応えを感じさせてくれた。我が娘ながら、教えるのが楽しく成る位、何でも直ぐに覚えるので、私は加減しなかった。学生達に教える速度の何倍もの速度で教えた。それでも未だ13歳に成ったばかりの娘は苦では無いらしく、矢継ぎ早に質問までして来る。もはや大学の学生など相手では無かった。
「ねえ、父様。天空は…宇宙は神様がお造りになったの? 学校ではそう教わるのだけれど、父様のお話を聞いていると、そうじゃ無いと思える」
「私は、“神”こそ人間が造った“創作物”だと思っているからな。“神”は政治と関わりが深い。統治者が社会を動かす為に利用するものの一つだ。天空の成り立ちとは一切関係は無い。
だが、この考えは決して誰にも言ってはならぬ。また野次馬が、石を投げ込んでくるとも限らないゆえ…ただ宇宙は果てしない。未だ解明が為されていない部分も存在する。それを“神の領域”と仮に呼称するのは構わないと思う。が、“神”が人間の頭の中のものであることに変わりはない。この場合は人間がまだ分からぬところを仮に“神”と都合良く言っているだけのことだからだ」
「つまり、“神の領域”とは人間にとって“未知の領域”ということなのね。神のみぞ知る、とよく言うけれど、要するに『分かんない』って言いたいのね?」
娘が少し楽しそうに笑った。偉そうに説教を垂れている教師や司祭達の台詞を揶揄しているのだろう。
私は頷いて「そうだな」と答えた。
「だが、私は何れ宇宙も未知は無くなると考えている。そうして、全てが明らかに成れば“神の領域”は消える。やがて、“神”の時代は終焉し、“科学”の時代が到来し、それがまた終焉すると、“神”の時代が再び来るだろう。然しそれは既に絶対者や奇跡としての“神”の時代では無い。“科学”の時代を経たことで、“神”は文化としての“神”と…聖典の文言を軸とした哲学的な心の指針としての“神”となる。私はそれこそが正しい“神”の在り方だと考えるが、未だそれは遠い未来のことであろう。故に現状私の学問は、神に対抗する異端と批判され、差別を受ける」
「それは、父様の未来予測? それとも前から考えていたこと?」
「…未来予測、などではないな。ただの思索だ」
私が答えると、ルーセラは少しだけ首を傾げながら思案げに呟く。
「私は、未来予測だと思うよ。だって、父様はもう別に調べなくても、全ての記録や法則を記憶しちゃってるから、無意識に解析もしちゃってるもの。自分ではただそう思ってるだけだって、思ってるかもしれないけど」
私は目を丸くした。
「つまり、私は生ける『天文全書』という訳か?」
「それよりずっと上だよ。言うなれば『天文学の神様』かな…誰も知らない領域のことまで知ってるからね。あはは!」
ぺろりと舌を出して、娘はおどけた。
*
②冬至
夏が過ぎ、木々の葉が秋の色合いを見せ始めた。
アリエルの7回目の誕生日を、私達は本人不在の食卓を囲んで祝福した。ベーコンとキャベツの煮込みスープ、白身魚のムニエル、葡萄パン。食後にはニャスム紅茶にカカオのクッキーといった、全てアリエルの大好きだった料理と菓子だった。
アリエルの椅子には、ルーセラが描いて上げたというアリエルの顔の絵を置いた。
「今日、見せる為に見せないでいた絵。すぐ見せて上げれば良かった。喜ぶかどうかは分からないけど、折角描いたのだから…」
ルーセラの言葉に、妻の目から堪えていた涙がぽろぽろとこぼれ出した。
「そうね、でも上手に描けてるわ。よく似ています。きっと喜んだはずよ…」
「後で、私達の似顔絵の横に貼ろう」
私の書斎の壁にあるアリエルが描いた家族の肖像画の隣に貼ることを、私は提案する。
「そうですわね、皆一緒の方が良いですわね」
涙を手で拭いながら、リーザラは頷く。
ルーセラも微笑んで頷き、母の背中を撫でた。
私達は悲しみを乗り越えて行ける筈だ。アリエルの分まで、妻と娘には生きて欲しかった。
私の病は恐らく不治のものの為、あまり期待は出来ないが、それでも1日でも長く生きなければならぬと思った。
私はまだ死なない。
まだ死ぬわけにはいかない。
いや、例え死んだとて…残さなければならない。まだ完成していないこの学問を…私の学問を、残す使命が有る。
ふと、遠めの場所から庭の枯れ枝に向かって投げ輪に挑戦するアリエルの姿を思い出した。
その時の私はもう少し近くから投げれば入るだろうに、と息子に言った。
息子はそんな私の言葉を無視して、同じ所から投げ続けた。
今更では有るが、我ながら本当に馬鹿な発言をしたものだ。何も分かっていない。息子の方がずっと正しい。
遠いから何なのだ?
遠いからこそ、挑むのではないのか。
挑むことを諦めては、そこには永遠に辿り着かないではないか。
…死んでなるものか。
まだ、私には仕事が残っている。
最後の仕事が…。
冬至、が訪れた。
“贄の年”の儀式の日でもある。
儀式は公開される訳では無いが、結果は神王により報告される。それが完全に事実と同一なのかは疑わしい部分も有る。然し我々がまず知り得るのはその報告であり、とりあえずは信じるしか無い。
今回の報告の文言は、こうである。
“贄の年の儀は、滞り無く相成るものなり。
贄人アストリアス・アレグレア・アペルはその責を見事に全うし、神のたなごころの内に穏やかにその命を捧ぐ。
彼が神に召されたのは、夜明けの儀式開始より正午直前の日中最も明るき光の頃合いなり。嗚呼、清らかなる哉。
我は彼に『聖アストリアス・プレパトラ』の神名を授与し、聖人として永遠に讃えるものなり。”
遺体は、“贄の教会”とも呼ばれ、儀式とその遺体安置の場として名高い『聖ルスファ・パナタトス教会』の地下の冷暗窟に式後3日間置かれ、贄の儀式が為された証拠として一般公開される。
私は痛ましい若者の死に顔をわざわざ見に行く気など寸分も無かったが、友人は自らの見聞の為にその新たなる若き聖人の尊顔を拝謁しに行ったらしい。
「…あれは、薬を飲まされてたな」
「薬?」
「幻覚剤のような薬だよ。表情がな…不自然だったんだ。口が無理に閉じられたように歪んでいた…やはり、最期まで正常ではいられなかったのだろう。
生贄であるからには、すぐには死に至らしめないと聞く。やり方は分からんが、多分拷問死に近い死なせ方をするのだろう…辛苦の中だんだんと死に逝く自分を感じるという訳だ。恐ろしいな。どんなに信心深い人間とて生に執着が無い訳が無いからな。生きているからこそ、信仰にも励めるので有るし…無残だな」
「…そうか。だが、私は今はもう憐れとは思わない。不幸な運の巡りで死なされたにせよ、それは周りも自分も分かっていたことだ。覚悟の時間が有る。私には全く理解が及ばぬものではあるが、宗教国家としての公的な“死の儀式”である。
だがそうでなく、何の前触れもなく、突如死に至る者の方がそうした事前準備期のある死より遥かに多数なのだ。偶然だとのみで片付けるには、余りにも心の準備が出来ていない。衝撃が強過ぎる。私はそうした死を避ける術を会得し、後世にも伝えていきたい」
「…アリエルのことは、本当に辛かったな」
ラムート・ファビルスは、妻リーザラの双生の兄である。つまり、アリエルは彼の甥でもあった。彼は鼻を啜り、幼い死を改めて悼んだ。
「ああ。今でも胸が張り裂けそうな思いに駆られる…だが、私はこの息子の死を絶対に無駄にはしない。必ず掴むのだ。私の命を賭けてでも、この『占星天文学』の真髄を」
「どうする気だ?」
「…今は、ルーセラに叩き込んでいる。己れの再確認も兼ねてではある。が、我が娘ながら、私とは比すべきも無い優れた頭脳を持っている。私の有りっ丈の知識を授けたいと思う。無論私も最後の最後まで諦める気は全く無いが、究極のところ、それをどう活かし、どう進めていくかは娘に委ねることになるだろう」
「成程。まあ、そのように準備するのは構わないと思うが、俺はお前こそが神をも凌ぐ程の叡智を極め、それを活かすであろうと思っている。
何故なら、お前の執念無くして『占星天文学』は生まれなかった。この学問は、お前の強い思いそのものであろう? その恐るべき執念に勝るものなど無い。故にお前だけが全てをやり切れる唯一の人間だと、俺は思う訳だ。
例えルーセラがお前の何倍も優れた学者であったとしても無理だ。
お前以外にこの途方も無い学問を極められる人間などおらぬだろうよ」
ラムートはにやりと笑い、妹に出されてから時間が経ち、少し冷めたニャスム紅茶を一口飲んだ。
「そうかもしれぬが、時間が有るか…」
「はははっ、お前は簡単には死なないさ。この俺が呆れる程の執着心の持主だからな。死んでも死に切れずに、地上を彷徨う亡霊に成るのは目に見えている!」
ラムートの言葉に私はそのとき馬鹿な冗談を言うなとばかり感じたが…。
強ち嘘でも無かったと言うことは、その後思い知らされることになる。
*
③年明け
雪がちらついていて、朝から酷く冷えた。窓枠に薄らと積もった儚げな雪の膜を見つめると、その先に有る庭の薔薇の枯れた鉢が何気なく視界に入ってしまう。私はそれすらもまだ辛かった。
昼間は白いカーテンで視界を覆い、窓も滅多に開けないようにしていた。妻も余り庭に出なくなっていた。鉢植えの水遣りも娘に託していた。
あの蝶がふらふらと飛んで来た日のことを思い出すと、思わず胸を押さえてしまう。
後悔ばかりが、念頭を過ぎる。自分の体調を崩して立ち直って間も無く、同じ目に遭うことのみを恐れ、アリエルへの配慮が疎かになっていた。妻も同様だった。妻も私の体調の方をより気に掛けていた。油断していたとしても、仕方が無い状況ではあった。それでも、やはり後悔してしまう。
逃れられない運命…というものも有るのかと、あの時ばかりは思った。だが、私の心の奥底に這う「そうではない」と訴える不動の信念の火は消えてはいなかった。寧ろそれはアリエルの命日を境に更に激しい業炎と成って燃え上がっていった。
「運命を変える」
それは、私達の行動と天空の時間を見つめることで可能なことなのだ。それを証明して見せる。
古来からの“占い”と原理は同じだとは思う。
占いは神事と同一の根源の文化である。体系化された文化であり、天文学的な要素も強く、根拠が有るもの故、学問と断じて問題は無い。
ただそれを真に体得していない者が操れば外れる。そうでなくても外れることもあるのに、更に外れる訳であるから、信じる者がいなくなるのは当然だろう。
昨今の占い師が不景気なのは、そのせいだ。人気を得たければ、腕を磨くしかなく、カリスマ性があれば更に良いのだが、その努力もせずに落ちぶれていく者が多い。
だが、私の『占星天文学』は似て非なるもの。
占いに名は借りているが、更に精緻で、ほぼ的中する。対応策も漏らさず提供出来る。占いの導く解答と異なる見解も多い。勿論重なる部分もあるが、それを遥かに凌ぐ密度と多様さを兼ね備えている。そして、ほぼ的中する訳であり…要するに、これは未来の“事実”を知る学問なのである。読み方を間違え無ければ、誰でも必ず分かる公式で有り、法則なのだ。
年が明けて、私は第二の論文構築にも取り組んでいた。これが完成すれば、『占星天文学』は学問として漸く踏み出せる。
第一の論文、
『好機掌握時機の認知と天体運動との関係』
この後編として纏めているのが、現在進行中に書き進めているもの。
第二の論文、
『災難回避の方法論としての占星天文学論』
で、あった。
「父様。多分、例の…」
「…そうか」
年が明けて、2度目の新月の夜である。
再びあの手紙が送られてきたのは、5日程前のことだった。
私は論文を書く筆を置き、客を出迎える為に書斎を出た。リーザラにも話してはあるが、出て来ないでくれと言ってある。ルーセラには少し眠そうであったが、勉強の為に隣室で話に耳を立てておくようにと指示した。
そして、娘は欠伸を堪えながら、裏口の戸を叩く音がしたのを聞いて、私を呼びに来たのだった。
「手紙の…新月の夜の客人か?」
「はい、プリジオス博士…生き残ったので、御礼に伺いました」
私は音を立てぬよう、慎重に戸を開けた。
「…私がどの筋の者であるかは、大方見当が付いておられることでしょう。ご慧眼な博士であられますから」
「誰であろうと、私にはどうでも良いことだ。研究の資料になるのであればな」
「成程、詮索はされないということですね…では、申し上げましょう。自ら名乗るのであれば、聞いては下さるのでしょう?」
「どちらでも良いと言っている。早く中に入られよ。話はそれからだ」
私は彼を室内に入れた。
冬夜の外気は冷たく、私の頬や耳を刺す。人目を気にするというよりは、入って来た寒気を家の中から早く追い出したかった。
男はやはり独りで、暑さが本格化する前の昨夏と同じ灰色のマントを羽織っていた。中に着込んでいるのだろうが、暖かそうには見えない。だが、それは男の青白く沈んだ表情がそう見せているだけなのかもしれなかった。
フードを剥いで、顔を晒すと、それはより明らかに感じられた。そして、前回は脱がなかったマントを今夜は脱いで、椅子の横にある小卓の上に畳んで置いた。中は厚着ではなく、寧ろ思っていたよりはすっきりとした薄手の僧服を着ていた。
「では。まず、貴方の報告を聞こうか」
私も椅子に腰を下ろし、彼と向かい合う。隣室に控えているルーセラにも聞こえるように少しだけ声を張った。
「はい。では、あの後、博士の言葉に従いまして“血の満月”の夜、青い巨星と仰っていた“神狼星”に向かいまして『私と私の家族を生かして欲しい』と妻と兄と共に懇願の祈りを捧げました。それから間も無く私達は運命の御告げを聞くこととなりました。私達はその時自分達がひとまず年内の死を免れたことを知りました。然し、私達の身代わりとなったのは、思いも寄らぬ親族で…私の胸は痛みに苛まれました」
「…祈りの効果はあった、とお考えか?」
「そうですね。私は直前まで覚悟しておりましたし、兄も気疲れで床に伏せておりました。御告げの前日の一族討議にて、私は候補であった為に出席は控えていたのですが、結果を父から知らされて、驚いたものです。効果は有ったのではないかと思われます…」
「成程。つまり、年内の死は免れ得たものの、貴方の身代わりとなった者に対する罪悪感のようなものは残ったと…そういうことかな」
「そうなりますね、恐らく。然し、これは私が望んだ結果なのですよね?」
「そうだな。だが、貴方は死を拒み、生きることを望んだのであり、身代わりとなった者は生きることを貴方のようには望まず、その死を受け入れたのだから、貴方の罪では無い。その者にもその者の意志が有った筈だ」
「そうですね…そう思うしか有りません。今更ですが」
「後悔されているか?」
「…いえ」
「ならば、問題無い。貴方は貴方の望むように生きることだ。その者に後ろめたさが有るならば、その者の分まで、生きてやることだ」
「はい。有難うございます。博士の言葉はどんな司祭殿の言葉より力強く、私を励ましてくれます」
そう言って、彼は壁に貼られていた私達家族の描かれた絵を見やった。
「…あれは、博士のご家族の絵ですか? 御子様が描かれたものですか?」
「そうだ。右は息子が家族皆を、左は娘が弟を描いたものだ」
「そうですか。どちらの絵もとても幸せそうに見えます。博士はご家族をとても大切にされているのでしょうね」
彼は目を細めて、薄っすらと微笑んだ。
「そのつもりだったが、息子は昨年の夏に死んだ」
「博士…」
「実際に幸せにさせてやれていたのか、もう知りようも無い」
私は無表情に呟く。
「…この絵の顔は皆笑っています。幸せで、家族が大好きだった証拠です。お嬢様が描いた弟さんの顔も、とても茶目っ気があって明るい。楽しく毎日を過ごしていたのが他人の私でも分かります。大丈夫です。幸せだったはずです」
「そうだといい。…救ってやりたかった。余りに突如刹那に起きてしまい、間に合わなかった…まだまだだ」
私は暗い目で相手を見つめた。彼は私の心が息子の死からまだ救われていないと感じたのだろう。栗色の瞳に微かに星屑のような光を浮かべると私に言った。
「博士、未だ『水晶玉』はお持ちですか?」
書庫の奥まった壁際の書棚の最下段に、それは割れぬよう幾重にも布で巻いて保管してある。
「無論。お返しするのに、取ってあるが」
「では、改めて…そちらを差し上げます。この部屋の見える場所に置いて下さい。そして、毎日強くそれに念じて下さい。研究を成就するまでは決して諦めないと。さすれば、何があっても博士の思いは達せられます」
「念を込めるのか?」
「そうです。お信じになるかどうかはご自由です。その玉は私のように逃げる者の味方はしませんが、博士のように挑み続ける者には強力な補佐となると、私は聞いています。我が家に“一子相伝”と古くから伝わるものの一つで、私はこれを亡き祖父から授かりました。
元々死ぬのであれば、売り払ってしまおうと思っておりました。その財を妻子に渡して、私の死後の一助としてやろうと考えたのです。
ですが、こうして生き延びました。博士の助力のお陰です。この品をどうするかは主人である私の一存で決めることが出来ます。
故に、差し支えなければ、博士にお贈りさせていただこうと思います。これは私の代で喪失したとします。
伝来の所持者を記した巻物が有りますが、此方は私の代で途切れますので、この新しい巻物に博士のお名前を記して下さい。改めてこの『水晶玉』の初代の主人は博士となります。それを継ぐべき方に同時にお渡しに下さい。名を記している者に『水晶玉』は従います」
私は訳の分からぬまま、その新しい巻物とやらを強引に渡された。
「先ず、1番目とお書き下さい。次の方は2番目と…譲渡或いは本人が死に至る場合、新しい所持者を要求されますので、必ず譲渡の際は名を書かせて下さい」
「…誰が、要求するのだ?」
「『水晶玉』です」
「…水晶玉が?」
「はい。不思議な『水晶玉』なのです。お持ちになれば分かりますよ」
俄には信じ難かったが、私は受け入れた。何故だか分からないが、受け入れてしまった。
「ああ。では最後になってしまいましたが、私の名を…アルドロス・ブラグシャッド・アペルと申します。司祭位は、司祭外交官特級です。特命司祭とも呼ばれたりしますが。外国語を話す素質を買われたものですよ」
言いながら、アルドロスと名乗った男は、傍に置いた灰色のマントを羽織り、フードで慎重に黒髪の頭を覆うと、冷たい深夜の暗がりの中、裏口から吐く白い息を隠すように俯きながら音も無く、影のように出て行った。
*
④継承者
夜の星々を眺めるようになったのは、いつのことだっただろう?
澄み切った暗い空に点々と浮かび上がる光の地図を、飽くことなく眺めていた。
あれは、9歳か10歳だったか…父親が病に倒れ、やや遠い場所の病院に入ることになった。
私は学校がある為、同行しなかった。母親が付き添いに毎日のように出掛け、帰って来ない夜もあった。3歳だった妹のレストア、2歳だった弟のイベルは母と同行し、父を見舞ったが、私は入院後は1度も見舞いに行けぬまま、入院して3か月後に父は亡くなった。
独りが、辛かった訳でも寂しかった訳でも無い。
ただ、今夜も“独り”だと、感じてはいた。
最初は“月”に興味が湧き、その満ち欠けについて観察日記を付けたり絵に描いたりしていた。大きく見えるときは、陰影を注意深く眺め、描写して楽しんだ。それは他の星へと及んでいき、流星群も数多く目視で観測し、その規模と美しさに心の内で興奮した。こんなことが、天空では何事でも無いように無限に起こっているのだと、目眩のするような魅力に取り憑かれた。
「プリジオスさん、貴方の瞳は何故いつもそんなに美しく輝いているのですか? 私はそれに惹かれてなりません」
大学の研究室に教授である父親と私と同じ年に入学した兄のラムートの分と合わせて、何故か私の分まで食事を差し入れてくるリーザラと知り合ったのは、私が15歳、彼女が18歳の時だ。まだ入学仕立ての学生で慣れぬ部屋の中で、私はいつも端の方に座っていたのだが、彼女は他の学生には目もくれず、いつも私に話しかけてきた。私は可愛らしい彼女に「瞳が美しい」などと言われるような目立つ顔でも無い。年若く子どものように見えるから、そんなことを言ってからかっているのだと思っていた。
「さあ…もしそう見えるのであれば、いつも星を眺めているから、その光が瞳に貼り付いてしまったのだろうか。私には自分の瞳は見えないので、あくまで想像だが」
とりあえず、軽く意趣返ししてやろうと、彼女の顔を見もせずに淡々とそう答えた。
「ああ、成程! そうですわね、きっと!」
それなのに、ぱっと花が開いたように嬉しそうな明るい声が返ってきた。
彼女は研究室の他の学生からも人気があった。故にまだ幼なげな私に母性本能をくすぐられているだけだと嫉妬する者も居た。私も彼女が本気だとは思っていなかった。だから、少し煩わしくなり差し入れを断ったことがあった。
「ご迷惑、でしたか…? 御免なさい」
想像以上にしょんぼりしてしまった彼女に私は慌て、後悔している自分に気付いた。私は知らず彼女に惹かれていたのだと、思い知らされた。
「リーザラ、貴方は何故私などに興味をお持ちなのか。未熟な異性を弄んでおられるのか。性格も然程活発では無く、容貌とて際立ったものでは無いと思うが…」
「アタール・プリジオス、分かるのです。私には。
この私には最初から貴方だけが光に包まれているように見えるのです。それは貴方が私の運命の方だからです」
「…本当に?」
「本当ですわ。アタール、私は貴方を私の伴侶としてみせますので」
大胆な求愛に、研究室には水を打ったような空気が漂った。
「婚約するか? プリジオス。妹はこうと思ったら聞かないタチの女だからな、諦めるしか無いぞ!」
ラムートが囃し立てる中で、父親の教授のみが咳払いをしていた。
私達が結婚に至ったのは、私が学科を修了し、大学の教員資格を得た18歳の時だった。リーザラは21歳になり、当時の女性としては遅い嫁入りとなったが、彼女の私への気持ちは変わらず、引く手は数多であったそうだが、来る縁談は全て断っていたと聞いた。
「リーザラ・ファビルス。…改めて、この先の貴方の大切な時間を、私と共に生きる時間として分かち合ってくれぬだろうか」
私が求婚の言葉を捧げると、リーザラは私に抱きついて泣いた。
「ええ、勿論です! アタール、私はこの日を本当に待ち侘びていたのですよ!」
私達はそうして結ばれた。
長女マランが誕生し、母にも孫を見せられた。母はその2年後に急な病で死んだ。マランが死ぬ前のことで、私が幸せの最中にある時であったから、母は安心して逝けたであろうと思う。
「父様。『水晶玉』を出しておいたよ!」
そのマランの妹である、この2番目の娘だけが、私達の生きた子として唯一残された。
ルーセラは書庫の奥から布で巻かれた球形の物体を大事そうに胸に抱えて、書斎に入って来た。
それを書架の前の床面に設置した黒い天鵞絨で覆われた分厚い座布団の上にゆっくりと置く。
「…ああ、そうか。済まないな」
前年の儀式の後、贄人となったアストリアスの父親アグリスが精神を病んで自殺したと聞いた。当主マルティクスはアグリスの長男メルティスが実は知的障害を抱えていたことを公表し、3人目は娘であることから、自らの後継を弟のペリウスと定め、ペリウスの長男でもあったアグリスが亡くなったことから、次男のフォステオスが受け継いでいく形に成るのかと思えば、フォステオスが自分ではアペル宗家の当主には力不足とそれを辞退した為、三男のアルドロスに継承権が移った。
先年、贄人の最有力候補だった男が巡り巡って、今度は由緒あるアペル宗家の当主と成る運命を辿ろうとしている。
「巻物を出して、父様。それに名前を書くのだよね? まずは父様の名前を書いて」
私は娘に促されるまま、アルドロスから貰った新しい巻物に、まず「1番目」と書いた。
「あのさ。こういうふうに書いたら? 1番目アタール、アタール・プリジオス。そしたら私はね、その後に書くわ。2番目アタール、ルーセラ・プリジオスって! だって、私は父様の学問の継承者で、繋いでいくものだから。それに、この学問は、父様の作ったものなんだし、その人の名前はやっぱり残していくべきだと思う!」
私は苦笑しながら、娘の言う通りに記す。
“1番目アタール、アタール・プリジオス”
と __ 。
(終)
《姉弟の作品》 (イメージ)


